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山口周『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』を読んで

最近、山口周さんの作品を読み漁っている。

山口さんの作品は、どれも圧倒的な教養に裏付けられたものばかりで、はっとされられるものばかりだ。

今回は代表作とも言えるであろう、『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』を読んで、特に学びが深かった言葉を紹介していく。

著者紹介

山口周(やまぐちしゅう)
1970年東京都生まれ。慶應義塾大学文学部哲学科卒業。同大学院文学研究科美学美術史学専攻修士課程修了。電通、ボストン・コンサルティング・グループ等を経て、組織開発・人材育成を専門とするコーン・フェリー・ヘイグループに参画。現在、同社のシニア・クライアント・パートナー。専門はイノベーション、組織開発、人材/リーダーシップ育成。著書に『グーグルに勝つ広告モデル』(岡本一郎名義)『転職は寝て待て』『世界で最もイノベーティブな組織の作り方』『外資系コンサルの知的生産術』(以上、光文社新書)、『外資系コンサルのスライド作成術』(東洋経済新報社)など。神奈川県葉山町に在住。


論理的なアプローチの限界

高度に複雑で抽象的な問題を扱う際、「解」は、論理的に導くものではなく、むしろ美意識に従って直感的に把握される。そして、それは結果的に正しく、しかも効率的である。

VUCAというワードを筆頭に、不確実な時代と言われる現代。

とりわけ扱うべき変数が把握しきれないほどに増大したため、

モデルを構築して、そこに変数を当てはめて考えるといったいわゆる論理的なアプローチに限界がきているという。

また、論理的に解決していくアプローチは、すでにノウハウがコモディティ化し、差別化を図るのも難しくなってきている。

その中で求められるのは、論理的な意思決定ではなく、直感に根ざした美意識による意思決定なのではないか?と山口さんは提起する。

かの羽生善治さんも、正しい手を指すよりも、美しい手を指すことを追求されているそう。

そして、その方が結果的に効率がいいのだと語っている。

論理の伴わない直感での意思決定は危険だが、論理では解決しきれない部分は、直感と美意識に頼るのが得策なのではないだろうか。


巨大な自己実現市場の登場

求められるのは、「何がクールなのか?」ということを外側に探していくような知的態度ではなく、むしろ「これがクールなのだ」ということを提案していくような創造的態度での経営ということになります。

これもまたコモディティ化に関する議題。

モノが溢れかえった現代では、単に物質的な満足を満たすことではなく、想像を超えた感動を届ける必要性が出てくる

それはつまり、マーケットインの発想で、ニーズを捉えて製品を設計し、論理的に購入までの導線を考えるアプローチではなく、

プロダクトアウト的な発想で、「これがクールなのだ」ということを提案していくことが求められる。

市場に迎合していくのではなく、市場をいい意味で上から目線で見て、自分たちの美意識に根ざした「こうあるべき」をストーリー仕立てで伝えていく。

その中にだけ、「満足」を超えた「感動」があり、顧客1人1人の自己実現が達成されるのではないか?

これは非常に重要な学びだった、自分の実務でも活かしていきたい。

以下に、このテーマに関連した偉人たちの言葉を本文から抜粋しておく。

人びとはけっしてモノ自体を(その使用価値において)消費することはない。ー  理想的な準拠として捉えられた自己の集団への所属を示すために、あるいはより高い地位の集団を目指して自己の集団を抜け出すために、人びとは自分を他者と区別する記号として(最も広い意味での)モノを常に操作している。
ジャン・ボードリヤール『消費社会の神話と構造』
これからの時代、精神的な充実を求める声が一段と強まり、物質主義は後退するでしょう。企業も例外ではなく、もはや購買欲や物資的満足を満たすだけでは顧客を呼べません。成功するには、それ以上のものが必要です。
ベルナール・アルノー『ブランド帝国LVMHを創った男』


システムの変化に、ルールの変化が追いつかない時代に

システムの変化があまりに早く、明文化されたルールの整備がシステムの進化に追いつかない世界においては、自然法的な考え方が重要になってきます。つまり内在化された「真・善・美」の基準に適っているかどうかを判断する力、つまり「美意識」ということになります。

これもハッとされられる視点だった。

現代では、技術の進展も含めとにかく変化が激しい。

そのような環境下においては、ルール(=法律)が後出しじゃんけん的に制定されるケースが多々発生してくる。

その時に、ビジネスを実定法的な観点から進めると、結果的に後で罰せられることが起きるので、効率が悪いのだ。

現状の法律には引っかかっていないからよしとする実定法的な考え方ではなく、そもそもの法律を疑い、自らの倫理観・美意識に従う自然法的な考え方の方が、長い目で見た時に効率的なのではないか?という提案である。


美意識の磨き方

自分なりの「真・善・美」の感覚に照らして、誰かの生き様や考え方に共鳴するかを考えることで、自分のアンテナの感度を磨くということが大事なのです。

美意識の磨き方は色々書かれていたものの、本質はこれに尽きると思う。

媒体は文学でも、映画でも、美術でも、詩でも、哲学でもなんでもいい。

誰かの生き様や考え方を「表現したもの」に触れ、

それに対して「自分はどう感じたか?」

「どこに共感し、どこに共感できなかったか?」

といった内省を繰り返していく中で、美意識のアンテナの感度が磨かれていく。

これは自分も今後絶対にやっていく。

小手先のビジネススキルを身につけるよりも、

より本質的な自らの美意識を鍛えたい。

生き様や、人生哲学を、過去の偉人たちから学び、

その中で自分だけの人生哲学を確立させていきたい。

そしてゆくゆくは、これを日本の教育制度に落としていきたい。


まとめ

最後に、山口さんの「誠実性」の定義を紹介して終わりにしようと思う。

「誠実性」のコンピテンシーを高い基準で発揮している人は、外部から与えられたルールや規則でなく、自分の中にある基準に照らして、難しい判断をしているのです。

つまり、誠実な人間とは、外部から与えられたルールや規則をきちんと守る人のことではなく、自分の中の倫理観や美意識に逐一照らして、主体的な意思決定をする人のことである。

これからの時代、ビジネス的な思考力や、スキルというのはどんどんコモディティ化していく。

それはつまり、キャリアを考える上で、差別化を図るのが難しいということだ。

そこで重要な差別化要因になってくるのが、各個人が内面に有している美意識であり、なぜその活動をしているのかというストーリーなのだろう。

戦略的に考えての結果ではないが、少なくともぼくは圧倒的な教養に裏打ちされた自己哲学を有している人がかっこいいと思うし、

その方が幸せで、ブレない意思決定ができるようになると思うから、今後もこのような形で勉強と発信を続けていきます!

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