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こころが傷ついても助け合える世界(エッセイ)


私は昨日、憎いアイツの話を書きました。


こころから憎いと思っていたけれど、巡り巡って、今の就労移行支援施設に行きついた。技術的なスキルは何一つ身につかないし、PCスキルが磨けるわけでもないけれど、私を追い込んだのも「ヒト」で、心を救ってくれたのも「ヒト」だった。


日々、運動プログラムやSSTプログラム(認知行動療法にもとづく生活技能訓練)等をとおして、施設の人たちとぽつぽつ会話するようになった。私自身、話しかけるのは苦手だったが、服装等を褒めてくれる利用者さんやいつも声をかけてくれるスタッフさんがいたから、私も嫌われるのを恐れずに色々な人に話しかけるようになった。


ある日ウォーキングのプログラムがあり、既に数回参加したことがあったが、ちょっと苦手な人や話したことがない人たちと組むことになった。声の大きい人がもともと苦手だったから、私といても楽しくないかもしれないと思ったのだ。けれど実際は会話することができて、最近は割と話しかけてくれるようにもなった。

声の大きい人は気が強い人が多いから委縮するのだが、だんだんと克服し始めている気がした。


そのおかげか、今日はより多くの人と話をすることができた。その姿を施設のスタッフさんもみていて、

「今日は○○さんともお話ししていてすごいですね、自分から話しかけることも多かったですね」

と褒めてくれた。そんなの、人間なら会話できて当たり前かもしれないし、褒められても嬉しくないものなのかもしれないけれど、私は自分を見てくれる親のようなスタッフさんたちがとても好きだ。


もともと、誰かに話しかけるということも、普段話しかけられない人と仲良くなることも、私はすごく苦手だ。初めからできたわけではないし、施設でどう過ごすか、どの席に座るかでさえ悩んでいた私を知っているから、スタッフさん方はいつも気にかけてくれる。


ここにいる人たちは皆傷ついた人だ。スタッフさん方も色々な経験を経て行きついた人が多い。だからだろうか。居心地が良くて安心する。


今日、挨拶してもそっけなくて、嫌われているかもと思っていた方に話しかけてもらえた(別のグループだったが出会ったときに話しかけられた)

その人と仲良くなるのは難しいかなと思っていたので、話しかけてもらえて、色々お話しできたのは、素直にうれしかった。

ただ、嫌われていると思っていたから、話していても何となく怖かったけれど。話していて、感じの悪い人ではないのだなと思った。


たぶん、私が施設の色々な人と話せるようになってきたから、仲間と認めてもらえたのだろうかと思う。挨拶だけはしていたが、苦手な人には無理に話しかけない方が良いというのは本当だったみたいだ。ある意味、外堀から埋めることの大切さを学んだ気がする。


話したことなかった利用者さんとも会話したり、苦手な人にも会話を振ってみたり。今日は自分でも頑張ったなと思っていたので、スタッフさんに褒めてもらえて、気づいてもらえて嬉しかった。



じつは私は昔から、あまり頭が良くなかった。勉強はできても人の機微を読み取るのは苦手。高校の頃の部活で、顧問に誰でもできるようなことを、「○○さんだってできるでしょ」と言われたときに、褒められたと勘違いしたこともある。友人にバカにされただけだといわれたときに傷ついたことを、よく覚えている。


顧問に悪げはなかったと思うが、暗に私だって当たり前にできているのだからできて当然でしょ、ちゃんとやりなさいと伝えようとしていた場面だった気がする。私は自分の名前が出されて何となく認めてもらえたような気になったし、顧問はまじめで不器用な私を気にかけいていたから、顧問に嫌われていたわけではなかったと思う。

※自分でまじめというのは可笑しいかもしれないが、どこ行っても真面目と評されてきたので真面目なんだと思う。そして集団において殊更不器用だと思う。なぜなら自分の気持ちを言えずに誤解されてばかりだったから。



ただ、あの頃の私が精神科に行っていたら、発達障害を疑われたのではないかという疑念は、未だに消えない。

高校の頃でも周りからバカにされて宇宙人扱いを受けていたから、今「普通」に見られているのは奇跡であり、努力の証ではないかと思っている※無口で何考えてるかわからないと思われていたのが原因だったと思う。会話も苦手で黙りがちで空気を読むのも苦手だった。


他の人と同じように、日本人として普通に生きるというのは、存外難しいように思う。ただ、障害者になったからといって生きづらいことに変わりないのなら、私は人に自分のことを理解してもらう努力をしたいと思う。


自己開示が苦手だった。ただ、今色々な人と話したい、向き合いと思えるのは、施設のおかげだと思っている。誰もが皆、傷つき傷つけられながら生きている。


障害者ではなくとも、社会のレールをうまく歩けない人がたくさんいる。


沢山の自殺者がいるなかで、ひたむきに生きる私たちは、ただ生きているだけで偉いのだと私は思う。色々な人がいる。心が傷ついた人たちがいる。色々な話を聞ける。私は知りたい。

挫折のない人生なんてないのだから。今を生きたい。





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