娘の激痛 (その1)

17歳の我が娘を、長テーブルの向こう側に眺める。周りの人たちと親しげに談笑している。我が家の中では彼女を至近距離で見ているけれど、こんな長テーブルでディナーを食べるオケージョンに招待された日には、ずいぶんしっかりとお化粧した娘を、ちょっとした距離の上で眺めるのだ。彼女は私がこうして見ている事に気づくわけでもなく、楽しそうに過ごしている。
「キャハハハ!」
ずいぶん明るい声で笑う彼女に、私はちょっと驚いた。思い切り口を開け、矯正でびっしりときれいにそろった歯がよく見える。これ以上の明るさはないだろうと思うような、心の底からの笑いで、どこにも抑えたようなところがなく、それでいて品が保たれている。我が娘と言えど、その持ち得た朗らかさと見た目の心地よさはなかなかで、安心と喜びを感じずにはいられない。
それにしても、テーブル越しに見る彼女の笑いは、私が今まで見たことのないような明るさだ。子供ではなくて、大人の女性のさわやかな自信のようなものもある。なんだか、新しいものを見ているような気がした。
娘がひと月ほど前にした手術と、それに至るまでに通った苦しみを思った。もしかしたら今までの彼女はいつも、ぼんやりした痛みや不安を抱えていたのかもしれない。病院で激痛に耐えながら過ごした一週間が、彼女を一回り、強引なスピードで成長させたのかもしれなかった。

(続く)

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