清らかな朝にて

朝一番のちょっとした仕事を終えて、まだ起きてもいない人が大勢いそうな、静かな住宅街を歩いていた時のこと。風が厳しいくらいに冷たくて、私は首をジャケットに埋もれさすようにしながら歩いていた。そんな寒さにも関わらず、朝日は驚くほど明るくてまぶしかった。冬の寒さに春の明るさが重なって、自然のすべてが新鮮なものに生まれ変わるかのようで、気持ちが良かった。
ダブリンは首都とは言っても、郊外のこの土地は緑がいっぱいだ。住宅街にも木はたくさんある。そんな木々を眺めて歩きながら、澄んだ空気のきれいさに、私は身が清められるような思いだった。

ゆるいコーナーを曲がった所まで来ると、明るい朝日に向かって、若い女性がまっすぐに立っているのが目に入った。女性は、黒くてクラシックな長いワンピースを着ていた。夜のお出かけに着るようなスタイルではなくて、こんな若い女性が着るには、あまりにも静かでおごそかな感じだった。この寒さの中、女性はコートも羽織っていなかった。体の前で、大事そうに両手で支え持っているのは、短く切られた花々をいけたものだった。
葬儀に出かけるのだろうか。この女性は道路の脇に立って、迎えの車を待っているようだった。両手に抱えられた、そのいけた花々が、着いた先で静かに飾られるのが目に見えるようだった。

歩いてその女性の近くまで来ると、朝日をまっすぐに浴びているその顔がよく見えた。目は真っ赤で、うるんでいた。涙の粒が流れているのではなくて、両方の頬が、もうたっぷりの涙で濡れていた。朝日を受けて、真っ赤な目も、濡れた頬も、キラキラと光っていた。大切な人の葬儀に出かけるところなのは、まちがいないようだった。
私に気づいて顔を向けたその女性に、私は声をかけずに控えめに笑顔を送った。ハローと声を出してしまったら、きれいな何かを壊してしまうのじゃないかと思った。その場にぴったり合う声の調子も、私にはわからなかった。
私は女性と目をしっかり合わせて、笑顔でちょっと頭を、それとわからないくらいにうなずかせるような感じの、小さな会釈をした。彼女の今をわかりますという、確認の合図で、共感も含んでいた。女性も控えめに、私の思いに応えるように、同じジェスチャーで笑顔を返してくれた。

女性の表情はとてもきれいだった。すみきった朝の空気の中、すみきってこちらにまで見えるようなこの女性の心が、つくろうことも、飾るようなこともなく、そっくりそのまま表れていた。まったく私には見ず知らずの人なのに、この人が故人との間にしっかりと持っていた愛情まで見えるというのも、よく考えてみると、不思議な事でもあった。
何年も近くで接している者同士でも、心の深いところで体験しているものが見えない事は多いのに、この一分にも満たない、見ず知らずの人との無言のやり取りは、外見や状況を取り去った後に残るものの、出会いのようだとも感じた。
私にとって何の変哲もない今日という日が、私の知らない誰かにとっての、魂に関わるほどの日でもある事を思った。今日という日は、私たちが思っているよりもずっと、大切にされるに値する、美しいものかもしれない。

私がこの女性のそばを通り過ぎるとすぐに、タクシーが向こうからゆっくりと来て、私の横を通り過ぎていった。私は振り向くことはしなかったけれど、女性が大事そうに両手で花を抱えて、このタクシーに乗り込むのが見えるようだった。

清らかなものが、私の前をすっと通り過ぎたような、清らかな朝だった。

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