子供の話すフィクション
冷蔵庫の中に、友人が持って来てくれたカップケーキが幾つかあった。かわいらしくデコレーションがされていて、カップケーキといえども華やかだ。
「ビー君、今日、私の誕生日なんだよ。一緒にケーキを食べようか。」
家で朝ごはんをしっかり食べてきたのか、私の出す朝ごはんに手を付けなかったビー君は、「食べる!」と元気に言って、テーブルに着いた。
小さな皿にカップケーキを一つづつ置き、それぞれにキャンドルを灯す。3才のビー君はもちろん、キャンドルの火を見ながら、ワクワクしている。
「一緒にキャンドルの火をフーって吹こうね。今日で私は48才だよ。」
すかさずビー君が私に叫ぶ。
「違うよ。今日は僕の誕生日だ!僕が今日で48才なんだ!」
「えー?ビー君は3才でしょ?今日は私の誕生日だよ。」
「ノー!今日は他の誰の誕生日でもないよ!僕だけの誕生日だ!僕が48才になったんだ!」
「そうか、じゃあ、ビー君は大人だね。」
「そうだよ。僕は大人だよ。」
小さな子供は、どこまでも自由に、好きなように話を展開させる。フィクションとノンフィクションの間に境界線もない。その自由さに、私はいつも感嘆する。そんな自由に飛び出す言葉の数々を、私はできる限り受け止めたい。自由な世界を描いたストーリーの、読者になるような感じだ。
カップケーキを前に、誕生日の歌を一緒に歌い始めると、ビー君はしっかり、Happy birthday to youではなく、Happy birthday to Meと、自分にお祝いの言葉を投げかけるように歌詞を変え、元気よく歌い切った。私も負けずに、to Me!と声を合わせた。
「フー」と目の前のキャンドルの火を吹き消すビー君は、大満足だ。
「私のキャンドルもビー君が吹いていいよ。」
「フー」「フー」「フー」
何度も一生懸命、ビー君は息を吹きかけるけれども、キャンドルの火はなかなか消えない。
「マサコ、やって。」
大きく息を吸って「フー」とすると、かわいいカップケーキの上のキャンドルの火は消え、煙が気持ちよくスーッと流れた。
ビー君は会話の中で、自分の年齢を好きなように変えていく。話の内容も、自分の好きなようにどんどん変えていく。この世界にある、どんな時計もカレンダーも、ビー君には、かなわない。
人気のスーパーヒーローのDVDを手にし、自慢げに私に見せるビー君は、正真正銘3才だ。DVDのケースをよく見ると、その映画の適正年齢が15才以上とある。
「あれ?ビー君、ほら、ここを見てごらん。これ、15才以上の人が見る映画だって書いてあるよ。」
私はそう言って、15という数字をさす。すかさずビー君はその数字を、彼の小さな指で隠すように押さえ、「ノー!」と言う。
「ビー君はまだ3才だよね。」
「違うよ。僕は18才だよ。」
18才は、アイルランドの成人年齢だ。
「へー。そうか。」
「そうだよ。僕は18才だよ。でも、次の誕生日が来ると、4才になるんだ。」
こんな滅茶苦茶とも取れる会話が、私とビー君の間にはいつも交わされる。私が焼いたんだよとケーキを出せば、彼は、僕が焼いたケーキだと言う。テーブルの上に見つけたコインを、ラッキーコインだよと言って手渡すと、僕が道で拾った宝物だと言う。私が自分の事を何か話すと、ビー君はそれを、自分の事として話し始める。
そんな自由な作り話をする時のビー君は、いつも真っすぐ、私を見ている。声も力強い。「ふーん。」とか「へー。」とか言って、簡単な質問をしながら聞いてあげると、彼はどんどん話を膨らませる。満足感いっぱいだ。
我が家によく遊びに来る、同じく3才のノアは、どちらかというと、その日にした事とか見た事など、事実を秩序立てて話す事が多い。それでも先日、私と二人でゴロゴロ寝そべっていると、ついにノアの口からも、フィクションがもれた。
「これ、私が描いたの。」
ノアは世界的に有名な絵画のプリントの一部を指している。
「へー。」
私はノアが指した部分をよく見てみる。でも、追加されて手描きされたようなものは、見つからない。
「きれいな絵ね。私はこの絵、大好きよ。」
そう聞くとノアは、うれしくてたまらないという顔をした。
「それでね、ここはお兄ちゃんが描いたの。ここはお姉ちゃんが描いたの。」
そう言ってノアは、その有名な絵画の一部を次々と指していく。どんなによく目を凝らしても、やっぱり、誰かがそこに何かを描いたような跡は、見つけられなかった。
「わー、本当にきれいね。すごいな。」と私が言うと、ノアは、ふわふわでフレッシュなマシュマロのようなほっぺたを、私にすり寄せてきた。ノアの表情は、うれしさに溶けてしまいそうだった。なぜか、大好きだった祖母が、その昔、私の所へ泊まりに来るたびに見せた、くしゃくしゃになるほどの、うれしさであふれる表情を思い出させた。
小さな子供がする話は、本当におもしろい。偉大な作家の書くストーリーにも負けない、自由な広がりがある。短い言葉も、詩人顔負けの美しさだったりする。成長するにつれて、そんな自由さを失うことが当たり前な世界の中で、そうなる前の小さな子供の、スーッと出てきた言葉を聞くと、私は感嘆する。フィクションでもノンフィクションでも、子供には、そんな自由な表現をさせてあげたい。注意深く聞いていると、その中には、感動するようなストーリーがあふれているのだ。
4才だった我が息子が、ある朝に私に話した事は、そんなストーリーの一つだ。
その週、私の母方の祖父が、もうあと数年で100才という年齢で、静かに息を引き取っていた。何とも穏やかな最期だったと聞いている。遠くアイルランドに暮らしている私は、祖父の最期を電話で簡単には聞いており、静かに祖父を想う週だった。
朝、いつものように私が息子を起こしに部屋に入ると、彼はベッドから起き上がるなりすぐ、「お母さん、僕、夢を見たよ。」と話し始めた。
「お母さんのおじいちゃんを見たんだ。」
祖父は、地域の人々の健康に尽くしきる現役時代を送り、医院を閉めた後の晩年は、自宅で静かに過ごす人だった。漢詩を作ってみたり、健康食品を作ったりもしていた。寝たきりになった祖母と寄り添っていた年月ですら、その使命の中に喜びがあるようだった。囲碁や将棋を楽しむのは連日で、おそらく、最期の最期まで、静かに碁盤に向かう姿勢は変わらなかったと思う。
4才の息子に私は、さほど祖父の話はしていなかった。
「お母さんのおじいちゃんは、神様と一緒にいたよ。白い服を着ていたよ。」
私は驚いて、言葉が出なかった。単なる息子の夢とは思わなかった。まだ純粋な子供が見ることが出来る、夢の中に現れた本当だと思った。
私は胸を熱くしながら、あの世とこの世がつながっているのを、この耳で確認した瞬間にひたっていた。私たちは皆、人間を超える崇高なものの、いつくしみの中にあるという、私の持つ信仰心のようなものを、神様と一緒にいたという祖父の姿で、確認されるようでもあった。祖父が今いるであろう場所に、心から安心した。
言葉も出ず、感激にひたる私に、一瞬の間をおいて、息子はあっけらかんと言い放った。
「ただのイマジネーションだよ。」
息子はただ想像して、それをおしゃべりしただけだったのか。こんな落ちがあるとは思わず、すっかり感激した自分に、可笑しさがこみ上げた。
すっかりだまされた私だったけれど、なんだかとてもステキな話に思え、落ちの部分ももちろん含めて、母やおばに電話で伝えた。4才の息子が作った、小さなフィクションだったけれど、心からの感激を私に与えた、力強いストーリーだった。
私は、子供に自由に話をさせるのが好きだ。滅茶苦茶な作り話のようなものの中にも、真実はたくさん詰まっている。それらを見つけることは、そんなにムズカシイことじゃないと、子供たちの言葉の数々に、私は思う。
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