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「執筆風景」ー脱線もする。

 大体この前へ座り込んで書いている。畳。ご推察の通り、正座。

 WORDで執筆が多いけれど、noteで直接書くことも増えた。手紙は縦書きが基本。そして勿論直筆。もっと字が上手ければ良いのだけれど、中々どうして、難しい。母方の祖父は習字の先生もされていたそうで、他人行儀なのは私が写真でしか会ったことの無い祖父だからだけれど、「私に綺麗な文字を書く才能を分けて下さい」とお願いしたい。才能じゃない努力だ!なんてお叱りを受けるかもしれない。そんなありふれた事はとても仰られそうにないが、兎に角それでもいい。会った事無いから、芸術の感性の豊かだったらしい祖父と小難しい話をしてみたかった。祖父が書き上げた作品や当時のノートのようなものは拝見させて頂いたことがある。物凄い。に尽きる。手に取って、思わず背筋が伸びた。

 脱線している。けれどこう云う脱線の先に溢れ出す話も好き。いつもは考えていないけれど、過去の引き出しがすいと開けられる瞬間。そこから生まれる感情が、新しい物語を手伝う時もある。

 元に帰る。

 執筆に使う折り畳み式の机も、古い。母方の祖母の私物が、巡り巡って私の元へ辿り着いた。大変に使い心地が良く、足の不安定な素敵な机である。駄目になる迄は私が使えればと思う。天気の良い日はレースのカーテンもはぐって、自然光を浴びながら書く。眩しくて画面が見難いのに、そうする。

 春夏秋冬ありのままに合わせて過ごす自室には、冷暖房の類は存在しない。室内の気温は一度から三十九度まで、色々である。十度を切ると、指先が冷えて活動し難い。二十五度を越えると、集中しにくい。面白い。

 座りっぱなしは全然面白くないので、時々立ち上がって、部屋を出て行く。頭の体操している。走ったり、草花を見詰めて見たり、掃除、ご飯も作る。閃いたら、自室に駆け上がる。

 紙とペンは、いつでも傍に在る。何を書いても良い。此の走り書きの集まりが、大切。プロットを作る前の、未だ寄せ集めの素人たちを、変身させるのが私の役目。そして、外せないのが広辞苑。傍に連れて歩いている。重い。けれど頼もしい。探して、確認したり、安心したり、唸らされて、又探して。大事な作業だけれど、そのまま全て云う通りに使うかと言われると、近頃少し、違う。言葉は自由だ。意味通り使うことが、全て正しいとは言い切れない。読み手の想像を掻き立てるような、一度では飲み下せなくても後から、ああそうか。なんて気が付くような、そんな仕掛けも面白いと思う。そんな文が書ける様な物書きでありたい。

 以上、いつも世話になっている道具たちに敬意を表して、私の執筆風景と共に、此処に密かに紹介してみた。


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