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「終末のノートパソコン」


それは11月の終わりでした。帰宅が日を跨ぎ、常の自分なら大人しく眠るところ、腹ごしらえすればもうひと頑張りできそうだと何故だかポジティブに思ってしまったのです。その時点で尋常でないことに気が付かなければいけなかったんです。腹ごしらえの後、自らの犯した重大な過失により、「物書きいち」の生命線であるノートパソコンが壊れました。

一瞬にして落ちました。それから相棒は二度と目を覚ましませんでした。とんでもない馬鹿をしたんです。時間が経つ程に情けなくて泣きました。

当時推敲していた箇所はバックアップ前でしたので消失しましたが、さらに良い文にすればいいので問題ではありません。問題はデジカメの画像です。八月以降、まだバックアップできていなかったのです。文章優先で追いついていなかったのです。すべて消えました。山形の旅の思い出、食の風景のあれやこれ、日常の諸々、もうどれだけ失ったか分かりません。SDカードの復元も調べて試みましたがダメでした。

翌日出勤前に家電量販店へ行き、在庫がある中から店員さんに相談して新たなる相棒を決めました。事情を説明して買い求めたのですが、店員さんはとても丁寧に対応して下さいました。深夜の出来事で、情けなさのあまりろくに眠れず訪れた私を精一杯気遣って下さいました。それはオーバーな言葉でも、無理な励ましでもなく、至ってシンプルに、自分の職務を全うするというものでした。それが当時の私の身にとても染みたのです。レジで会計を済ませた帰り際、店員さんは私にパソコンを手渡しながら、
「お仕事頑張って下さい」
とそっと言われました。その優しさが、心身をすっかり疲弊させた私を救ってくれたのです。
 
私はそのことをどうしても皆様にお届けしたかった。社会で働く一人の若者のさりげない優しさが人を救うんだと、これで社会は成り立ってるんだと再認識したことを伝えたかったのです。ですからこうして報告する必要のない大きな失態を語ることにしたのです。

あの日のエディオンの店員さんに良い事がありますように―


私は22時間後に復活しました。前に進むしかないのです。写真はなくても思い出すことはできます。奇跡的にnoteで既に山形の旅エッセイを書き上げておりましたから、そこへ張り付けた写真たちはネット上にあります。

人生なるようになる。すべては必然。自分の何かが良くなかったのか、人知れず身代わりにならざるを得ないようなことが身の回りで起こっているのか、今はまだわからないけれど、いつかわかるときが来るのでしょう。


あれから首を傾げたくなるような出来事に挟まれつつも矢のように過ぎ行く師走をひたすら前へ走り続ける自分ですが、12月半ば、今度は冷蔵庫が壊れました。こちらは寿命なのでしょうが、あまりに唐突です。強い寒波のために庫内も台所も温度差がないようなもので、その点この時期に逝ってしまったのは不幸中の幸いと言えるかもしれませんけれど、私からすれば先月の大出費からひと月と経っておりません。畳みかけです。

何がいけなかったのでしょうか・・・何かこれからよっぽど面白い事が起こるのでしょうか

この邪がいけないのでしょうか。しかしですね、そうやって無理矢理にでも面白さを発掘して顔上げなければですね、ハートが痛めつけられてるんですよ。まあ、折れないんですけどね。折れない心は自分の取り柄です。
では最後に、送る言葉を――

「諭吉よ、何十枚も気持ちよく飛んでいったね。バイバイ。また会おう」

                             いち

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