見出し画像

掌編「四尺玉に託すありったけの想い」


「ともさんっ、俺もう嫌っす」
 アイスコーヒーにガムシロ一つとフレッシュを三つ入れた佐久間は、ストローで勢いよくグラスの中をかき混ぜて一息に三分の一ほど飲み干すと、向かいに座る二つ上の先輩へ、愚痴の様な泣き言の様な思いの丈を打つけた。深夜のファミレスに集えなくなってから、彼等の集合場所は一人暮らしをしているともの家と決まっていた。

「なんだよ佐久間、又お母さんか?」
「うちの母親は何遍云っても無駄なんすよ、勝手に部屋に入るなって言ってんのに、絶対入ってるし、放課後も休日もどこで何してるか全部聞きたがる。干渉酷すぎますよ。もう一刻も早く出て行きてえ」
 ズズズズとあっという間に飲み干して、形を残した氷をストローで突っつく。氷はくるくると逃げる。
「まあ、分かるけどな」
 どっちの事だろう。佐久間は眉間に皺寄せたまま瞳を持ち上げる。俺の方に同情してくれてんすよね。と訴えてもいる。ともは声変わり以来ぐっと低く響くようになった声でははと笑うと、両方にだよ、と大人ぶった事を云った。佐久間は不満気に下唇を突き出した。
「おばさんはさ、心配で堪らないんだよ。お前はお人好しな上に無茶するから生傷絶えないし、それに―」と一旦言葉を途切らせて、
「お兄さんのこともあるだろ」

 佐久間の二つ上の兄が黙って家を出て行ったのは高校の卒業式の日だった。「母さんの欲しがっていた卒業証書はあげます」と、辛辣なメモを残して。以来佐久間の母は執拗なまでに弟の行動に注視して、その実同じ轍を踏まない様必死であった。
「だけど」
 自分は兄ではない。無茶はするけど黙って家を出たりしない。それを上手く口に出せないで、もどかしさが不満の渦となっては、佐久間の感情を刺激するのだった。
「はっきり言ってみたらどうだ。兄貴とは違うから心配するなって」
 核心を衝かれた。思わず瞳見開くと、先輩が白い歯を見せて笑った。やっぱこの人凄えと、佐久間はまた尊敬の念を強くした。

「それで、ナカちゃんは何で黙り込んでるの」
 と、いつもは真っ先に口を開く後輩へ、ともが顔向ける。訪問以来体育座りで俯いて、出されたアイスコーヒーにも手を着けていない。だが漸く話を振られて、堰切ったように溢れ出した。
「おばあちゃんが入院したの!」
「それって咲枝ばあ?」
「うん。もう駄目かも知れないっ」
「けど先月も入院して、ちゃんと帰って来たじゃない」
 ナカちゃんはぶんぶん首を振った。
「今度はもう駄目かも!」
「そんなに悪いのか?」
 佐久間が顔色を変えて聞く。
「分かんない」
「なんだよ、驚かせんなよ」
「だって分かんないじゃない、もういい歳なんだよっ何が在っても―」
 そこまで言って言葉を詰まらせている。
「大丈夫だよなんて気軽には言えないけど、元気な孫の姿を沢山見せて遣りなよ、得意だろ」
 ともがそう云うと、ナカちゃんも少し落ち着いて、うんと頷いた。漸くアイスコーヒーに手を伸ばす。天地に轟く蝉の合唱も落ち着いて、開け放した窓からそぞろ風が入るようになった。エアコンは節電中で、扇風機が首を振り回している。

 ―今、ちゃんと笑ってた?
「え、はい。そのつもりでしたけど」
「お客様はよく見てるから、わかるのよ、あなたがマスクの下でどんな顔してるか。心から感謝していないと、心からの笑顔は出ませんからね」
 高卒で社員として採用された飲食店で、ともは日々働いている。彼の教育係に付いた先輩は、お客受けの良いともの接客を中々認めようとしなかった。今フロアに立っているが、先輩の目は笑っていない。

 入社して数か月、研修を受けて、やっとの思いで現場へ立ったと云うのに、人間関係で苦しんでいる。だが彼はどうにか働きぶりで認めて貰おうと踏ん張っていた。
 また自動ドアが開き、客が一人入って来た。その瞬間スタッフ一同顔を強張らせる。毎度難題持ち掛けて来る常連客であったのだ。立ち位置から云ってともが担当する場面である。先輩は大抵のスタッフがする様に遠ざかっても良い処である。だが先輩は半歩前へ歩み出た。背筋を伸ばし、毅然としている。ともも思わず姿勢を正した。そうして二人して飛び切りの笑顔を目元に、客を迎えた。
 誰が訪れようと決して逃げを打たない。それがこの人の凄さだと彼は思う。だから余計に認めて貰いたいと思うのだった―

「ともさん、どうかしたんすか」
「ん、いや、なんでも」
「そっすか」
「ああ!見てこれ、明日花火大会あるって」
 ナカちゃんがスマホ画面を見て声を持ち上げる。
「まさか、無理だろ」
「ほんとだって。屋台とかは無いけど花火だけ打ち上げるんだって。サプライズだから集まらないでって書いて在るけど、SNSで一寸広まってるっぽい」
「まじか、そんなん見たいわ」
「よし、三人だけで集まって見よう。どっか離れた処から」
「何処っすかそれ」
「探すんだよ、チャリで」
「まじっすか」
「嫌?」
「めっちゃ面白そうっす!」
「私も賛成ー」
「よし決まり!俺休みで良かった」
「うわあ、なんか日本一の四尺玉が上がるんだって。私おばあちゃんの回復叫ぼう」
「じゃあ俺、心配するなって叫ぼう」
「それ直接言ってあげろよ」
「まだ無理っす!」

 三人は既に自転車走らせて、夏の夜風を追い越して遊んでいるようであった。届けたい想いは胸に熱い。せめて夜空に打ち上げたいと、切に願う、屋根の下である。

                       おわり


お読み頂きありがとうございます。「あなたに届け物語」お楽しみ頂けたなら幸いにございます。