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「いっしょに大きくなったから」

 絵本はいつも隣にあった。物心つく前から手が届くところにあったから、破ったり鉛筆やサインペンが走ったり、汚れたり折れたり散々な目に遭わせてしまった。やった記憶はないけど、古い絵本はシミだらけのぼろぼろで、ああ、やったな。ってわかる。全部自分たちきょうだいの仕業。けれど母さんがテープ貼って直したり背表紙を手書きしていたり、落書きは消せてないけれど一応読めるから、ずっと家にある。わが家の本の後ろの見返しには、買った日付と場所が鉛筆書きで記入されてて、それも全部母さんの手蹟

 大人しくページを開いてふんふんと読めるようになる前から、自分で勝手に触れられる所へあったから、本が大好きになったのかもしれない。ぼろぼろにされるリスクを背負っても、絵本は子どものものとして家の中にあったから、いつまでも忘れない物語があるのかもしれない。

 日々の不図した瞬間に、無性に絵本が読みたくなる時がある。
「あ、あれが読みたいな」
 そう思って家の図書室へ向かう。今日は小説の棚ではなくて絵本の棚の前へ。そうして選んだのは「ぐりとぐら」。これが読みたいと思ったのだ。以前買ったぐりとぐらの切手をそろそろ使おうかな・・と思っていた矢先に山脇百合子さんのニュースに触れたから、読みたいと余計に思った。

 わが家に最初にやって来た「ぐりとぐら」は「かいすいよく」だった。母さんに本屋へ連れて行ってもらい、みんなで相談して決めた一冊だった。毎年の恒例になるほど海キャンプが大好きな家族だったから、これにしようって決めたんだったと思う。

 字が読める子どもは自分でも読むけれど、新しい一冊は母さんが必ず読み聞かせをしてくれた。それは眠る前のお楽しみでもあって、保育園児も小学生もその時間はパジャマ姿で布団の上へ並んで、絵本の世界に夢中になった。


「ぐりとぐらのかいすいよく」を読んで貰った時はこんな気持ち。
 
 海の世界に飛びだしたぐりとぐらをすごいと思った。浮き輪を使うのは同じだなと思った。辿り着いた島のあちこちのきらきらがとってもうらやましかった。自分の持ってるビー玉より大きいんだろうなととっても大きなガラス玉を想像した。灯台の灯りに憧れた。

 絵本を読み聞かせて貰った夜は物語の事をいっぱい想像しながら眠った。

 歳の離れたきょうだいが小学生や幼稚園児だった頃、母さんがいつの間にかぐりとぐらを買い足していた。わが家のぐりとぐらは二冊になっていた。きょうだいもいつの間にか読み聞かせてもらっていた。私も当時一度読んだけれど、すっかり忘れていた。

 久々にぐりとぐらへ手を伸ばしたら二冊あったから、両方読もうと自室へ持ち帰った。そこに今度は自分で買った新しい一冊を加えた。
 タイトルは「ぐりとぐらのえんそく」
 わが家のぐりとぐらは三冊になった。私は遠足が大好き。二人ならどんなえんそくをするんだろうと、わくわくしながら絵本の扉を開いた――


 いくつになっても絵本は魅力的で、物語に満ち溢れていて、いつでも物作りの原点へ立ち返る事が出来る。こんなに素敵な世界を幼い内からそばへ惜しみなく置いてくれた母さんに、ずっと感謝している。

 次は何を読もうか。手に取るワクワクが胸の内へ蘇って来る。ちょっと心が躓いた時、ほっと息をつきたい時、あなたの傍に、あったかい絵本はいかがですか。

                            いち

ぐりとぐらのかいすいよくの見返し

 
今日のお話に上った「ぐりとぐら」です。


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