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掌編、短編小説広場

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此処に集いし「物語」はジャンルの無い「掌編小説」と「短編小説」。広場の主は「いち」時々「黄色いくまと白いくま」。チケットは不要。全席自由席です。あなたに寄り添う物語をお届けしたい…
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#秋

掌編「感傷」

 お気に入りのカップの底にひびが入っていた。毎朝使うコーヒーカップだった。ただ、それだけ。内側の白地に数センチ、不機嫌に入ったひび。そこへコーヒー色が沈着して、今朝始めて気が付いた。まだ広がるのか知らない。今の所水分が漏れたりはしない。まだ使える。ただ、使える。  私は洗い上がったカップの内側へ指を入れて、ひびをすーっと撫で付けてみる。何ら感触はなく、指の腹は傷の一つも見当たらない。忽ち赤く滲むかと、ちょっと嗜虐的趣味で、傷付けてあげようと思ったけれど、何ともなかった。 「こ

短編「ワンダフル・パンプキン・ナイト」

 今宵の夜空はオレンジ色  あの子の好きなキャンディ色  チョコチップばらまいて、弾けて、溶け合って  さあ、宴のはじまりさ    パンプキン・ナイト パンプキン・ナイト  くすぐっちゃうよ  歌が聞こえる。またあの歌が聞こえて来た。  静かな暗い夜である。闇の使いはうたた寝中、宵の番人も首埋めて黙然と宙をなぞっている。触れる壁は全て冷たく、どちらを向こうにも光は無い。すっかり冷たい二つの耳に、それでも毎夜、歌が届けられている。心地好い音色だった。だからもう、只眠りながらあ

掌編「秋の空」

 銀次は大のおばあちゃん子である。昔からばあちゃんの膝で白飯をかき込んで、ばあちゃんの割烹着に泣きべそ押し付けて、ばあちゃんの老婆心に悪態を吐いた。じいちゃんに怒られて不貞腐れるのも、ばあちゃんの前のみであった。  複雑に線を伸ばす電線が街の空を刻んでいる。高いのはビルばかりでその向こうはくすんでよく見えない。スープに浸してしまわないように胸ポケットへ入れていた身分証を、店を出てから元へ戻した。上空を仰いで、相変わらず狭いなと思い、ぐるり一つ首を回した。ふうと息が零れ落ちた

読み切りよりみち「ご飯を食べに行きましょう・後編」

※長編小説シリーズ「よりみち」の番外編です。長編でじっくり描く二人の関係性を凝縮したような読み切りです。 時系列で云いますと「よりみち・二」の後、秋のお話になります。「よりみちシリーズ」を読んでいなくてもお楽しみ頂ける内容となっております。 全編どなた様にもお読み頂けます。    読み切りよりみち「ご飯を食べに行きましょう」(後編)  日本酒も尋常に、料理に合わせて出て来る。殆どはりか子が受け持つが、今夜は真瑠も常に無く一緒になって飲んでいる。どうやら酒の変わる都度女将さ

読み切りよりみち「ご飯を食べに行きましょう・中編」

※長編小説シリーズ「よりみち」の番外編です。長編でじっくり描く二人の関係性を凝縮したような読み切りです。 時系列で云いますと「よりみち・二」の後、秋のお話になります。「よりみちシリーズ」を読んでいなくてもお楽しみ頂ける内容となっております。 全編どなた様にもお読み頂けます。    読み切りよりみち「ご飯を食べに行きましょう」(中編)  扉を引くと、直ぐに細くこじんまりとした通路である。出入りの音に気が付いて、出迎えに人のやって来る。先を歩くりか子を見て、互いに親しみの籠っ

読み切りよりみち「ご飯を食べに行きましょう・前編」

※長編小説シリーズ「よりみち」の番外編です。長編でじっくり描く二人の関係性を凝縮したような読み切りです。 時系列で云いますと「よりみち・二」の後、秋のお話になります。「よりみちシリーズ」を読んでいなくてもお楽しみ頂ける内容となっております。 全編どなた様にもお読み頂けます。    読み切りよりみち「ご飯を食べに行きましょう」(前編)  真瑠の日常的に足運ばせる散歩道で、コスモスが揺れるようになった。誰かの家の庭先で、畑の一角で、公園の隅で、土手で、すいすい背を競い合っては

掌編「おつかい」

 一人で行く事にした。いまだ自分の事を子ども扱いする母に、突き放すような啖呵切って飛び出して来た。飛び出しては来たものの、そう云う処が大人げないのだと、自戒を籠めて歩いている。  土手の薄は揃って斜めに傾いて、それでも秋の風を心地好く受け流すらしく、さらさらと揺れている。日が少し傾き始めた、暮れ前の河川敷である。空はブルーとオレンジに、燃える赤もじりじり加わって、自分には壮大に過ぎる。自分はもっと、箱庭位で十分だと思う。例えば家のベランダから見上げる、電線に切り取られた菱形

掌編「あの人を待っている」

 白状する。あの人を待っているんだ。私はあの人が来てくれるのを、ずっと毎日、待っているんだ。  日が昇って、眠りから覚めた私は、「あの人は来てくれたかな」と思う。冷たい水で顔を洗う時も、あの人のこと、考えている。外へ出て、背伸びして、空に残る月を見つけた時、あの人にも教えてあげたいと思う。「白い月が、まだ綺麗ですよ」って。それから今年の山は、いっそう紅葉が見事で、紅と黄と、緑と、橙と、色が豊かで、本当に綺麗で。あの人はもう、秋を見たかな。  いつ来てくれるかしら。そう思う

掌編「おやすみ、世界」

 日が短くなって、僕の家にも灯りがついた。秋の空は清らかで、美しい。けれど瞬く間に落ちていく。僕は薄暮に包まれる。空に残るのは、明日へと続く雲の階だ。いずれ訪れる闇の中でも寄り添って、慎ましく、朝日を待っている。  烏が一羽、飛び立った。僕を追い越して、先へ行く。おやすみ。紅がそろそろ山に隠れる。家へと続く石を飛んで、僕は背中に明日を乗せる。  ただいま。  そして、言う。おやすみ、世界。

掌編「里芋の花」

 朝起きたら、部屋の窓を開けて空を見る。夏の暑さは峠を越えて、日が昇ったばかりの町に涼やかな風が吹く。今朝の空には風に払われたような筋雲が幾本ばかり。電線の横切られた空にはいつまでも物足りなさが残るけれど、もう慣れた。人と自然。頬にひんやりとした朝を受けて、私は階下へ降りて行く。  家族はまだ布団の主。夢の主役。学生の皆卒業してしまった私に、十数年振りで訪れた忙しなくない朝。静かに鍵を開けて玄関を出る。中古でも戸建てを見つけてくれたお父さんに感謝する。玄関は緑の広場。季節の