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読み切りよりみち「ご飯を食べに行きましょう・後編」

※長編小説シリーズ「よりみち」の番外編です。長編でじっくり描く二人の関係性を凝縮したような読み切りです。
時系列で云いますと「よりみち・二」の後、秋のお話になります。「よりみちシリーズ」を読んでいなくてもお楽しみ頂ける内容となっております。
全編どなた様にもお読み頂けます。


   読み切りよりみち「ご飯を食べに行きましょう」(後編)

 日本酒も尋常に、料理に合わせて出て来る。殆どはりか子が受け持つが、今夜は真瑠も常に無く一緒になって飲んでいる。どうやら酒の変わる都度つど女将さんが用意する新たな愛らしいお猪口を空けるのが面白いと云う向きもあるらしい。真瑠は入店から今に至るまで、ジャケットを羽織ったままで居る。おろし立ての嬉しさに脱ぐのを惜しがっているらしく、然しそろそろ熱が溜まる頃である。アルコールに不慣れな真瑠には此方こちらで制御が必要だわと、料理の合間に世話を焼く。

「大丈夫?」
 真瑠は真瑠でそう心配されちゃ悪いと思って何ともないと答える。
「脱がなくていいの?暑くない?」
「うん、脱ごう」
 真瑠はすんなり袖を抜いた。りか子がそれを受け取って、女将さんがクロークへ引き取ってくれた。真瑠の心持ちも段々愉快になってくる。水を飲めと云われれば飲むし、お猪口半分にしときましょうと云われればはいと答える。只酒が回ると云うよりも、体に浸透していくと云う方が的確である。ぬくぬくとして、心地良い。御蔭で頭は常と変わらず良く働き、代わりに口から色々が出て行きやすくなった。


 次の料理が出て来た。
「器がグリーングリーンしていますが」
 大将のお茶目な一面に耳を驚かされてから、手元の料理の説明を受けた。鱧の蒸し物であった。刻んだ陸蓮根オクラの入った出汁のあんと、更に柚子が仕上げに振ってある。丸い器ごと温かく、両手で包むようにして、スプーンで食べた。続けて温かい料理が出され、揚げ物へ青い銀杏ぎんなんがちょこんと乗っている。サクサクの衣纏う太刀魚と共に天然塩を効かせて頬張った。さらに小丼が出て来て、食材の組み合わせの妙に驚かされる。料理も終盤が近付いて来て、食べ終えるのが惜しい。

「美味しいなあ」
「ええ、とっても」
 二人は何度でも美味しいを重ねて、味わって、噛み締めた。いつまでも料理の余韻に浸っていたい位、一品ごとに全く隙が無く、甲乙つけ難い。料理は殆どが一口で味わえる大きさなのだが、その一口に職人の業が籠められていた。配色の妙、香りの妙、味の妙、食感の妙、加えて素材への拘りも並みでない。的確な温度での提供。真瑠にとり次から次と繰り広げられる光景は、人生で体験した事の無い料理の新たなる魅力であった。

 真瑠が大人しくなったと思えば、酒を用意する女将さんの後ろ姿を瞳が追い掛けていた。カウンターの向かって左手奥には、ドリンク場を隠す暖簾が掛かっている。女将さんがそれをぱっと手で払う。手を上げる拍子に着物の袖がずれて細い手首が露わにされる。アンティークだと云う帯に描かれたカラフルな風船よりも明るい色をしていた。真瑠の瞳は暖簾が元へ戻る間にそれだけを観察して、また大将の手元へ帰って来た。

 続いて出されたのは椀物であった。外側は明るい色の木目調なのだが、内側は一面が銀色に光を放つ。二人して両手で抱えたまま繁々と観察して、りか子が器を褒めた。
「大将がお選びになったの」
 そう尋ねられた途端、大将は張り切って、
「はい!一目惚れです!」
 と云って隣へ立つ女将さんへ顔向けた。真瑠は一体何の物語が始まるのかと思った。それから段々会話を経て、どうやら大将は客と会話しながら隣の女将さんへ顔向ける癖があると分かった。椀物には刻んだ松茸が入っていた。蓋を開いた途端秋の香りを顔に浴びる。女将さんが幸せの国ブータンの松茸だと説明を加えて、又二人して驚いた。甘鯛、木の芽の葉と共に風味と温もりを食した。

 カウンターの奥は右へ抜ける様に開けており、揚場や焼き場等の厨房が或る。客席からは全部は見えないが、下げ物の行方から云って洗い場もそちらへあると思われる。大将は今魚の炙り加減を見極めている最中である。時々ガタゴト金属製の音が響く。料理の旬見極める目に余念なく、カウンターに並ぶ客は揃って期待を高める。料理の段取りにずっと夢中の真瑠に対して、りか子は時々女将さんと会話が弾む。カウンターの奥の手仕事の仕上がって行く様を見届けようと勇む真瑠は、りか子の腕を揺らす。ねえねえりか子さん、あれ見て下さいよと視線を引っ張る。りか子はもう何度か見ているから手品にならない。だが真瑠には手品に見える。その真瑠が愉快だから正面見る振りしてりか子は隣を観察した。

「凄いですね、一切が見事な職人技だ。とても真似できません」
 見届けた好奇心の瞳が隣の席へ帰って来る。
「あれを今から食べるのよ」
「そうか、そうだった」
 どんな料理に仕上がるか、両手が待ち切れない様子で持ち上がっている。りか子はお猪口を空にする前に次の酒を相談して、ここでスパークリングを頼んだ。大分で作っているものがあるらしい。国産は珍しいと声が弾んでいる。

「じゃあ自分も飲もうかな」
「大丈夫?」
「平気です」
 とことん付いて来ようとする隣の好奇心へ、反対にりか子の方がそろそろ先を案じている。何だかあまり大丈夫でない気がする。だが珍しく飲むと云う物を遮るのも野暮であるし、取り敢えず好きなだけ飲ませてみようかしらと云う気が働いた。どうせ帰りはタクシーで、しかも行き着く場所は同じである。りか子はたった今、万が一の時は最後まで面倒みればいいと、変な所で開き直ってしまった。カウンターではそろそろ次の一品が仕上がる。

 厚い特注の板海苔で包まれて、はい、と順に手渡されて行くのは先ず鯖の棒寿司である。最後に真瑠の目の前にも差し出される。海苔の内側から酢飯のほの温かさが指先に伝わる。一口で、との事なので真瑠も思い切ってがぶりと行く。魚は炙りこそ最強だと言わしめる、旨味がこれでもかと云わんばかりに凝縮されていた。さらに握りと、あの鰹節が、今度はおかか巻きになって出された。無論削り立てであった。それから味噌汁が出て、遂に料理が終わり、口直しに季節の果物が出た。

 そうして最後に、大将が手ずから巻いた金つばが出された。店の焼き印迄入っている拘りようである。口に含んで素朴な甘さに舌鼓を打つ。「美味しいです」がすかさず零れて、それでも大将まだ模索中と云う。砂糖無しの、小豆の甘さだけで作り上げる和菓子の旨さを追求中だと語る。それは云うなれば引き算の美学だと、真瑠は大将の心意気にいたく共感した。お酒も大概には作用して、うんうん大きく頷いた。女将さんの出してくれたお茶を飲みながら、是非もう一度訪ねたいと話は決まって、うんと先の予約を入れて貰った。大将と女将、二人して藤宮さんの頼みは断れないと笑う。真瑠は同居人の外活動に於ける影響力の大きさを想像してみない訳にいかなかった。
「真瑠ちゃん、帰るわよ」
 当の本人は平然としている。店へ存分に礼を述べて、二人はとうとう暖簾を潜った。

 帰り道。結果的に二人共酔い客である。ただ理性も脳の片隅にまだ同居していた。外の風を気持ちよく顔に受けながらも足元は確かである。頭の中も渦巻いてはいない様であった。だが、総じて何だか愉快だとか、外食の反響だとか、表向き我慢した物が、我慢した主張の或るのはりか子の方だけらしいが、知らぬ間に頭の上へ積もっている。それらは是非とも今日中に払い落すなり融かすなりする必要が在った。

 街灯の影踏んで歩く陽気な足音へ追い着いてついと止める。油断しきった顔がふわり此方こちらを向く。前置き無しに真瑠の頬を抓むりか子の暴挙が出た。
「女将さんの着物姿に見惚れてたでしょう」
 真瑠は笑った。案外平気なものである。夜の暗さが手助けしている。アルコールが背中を押している。単純に慣れっ子であるのかも知れない。
「どうしてわかったの」
 むしろ気付かれた事を喜んでいる。そうして自らの解釈持ち出す。
「やっぱり和服は素敵ですね。女将さんがこう、暖簾をぱっと払う仕草があんまり奇麗だったから、思わず惚れ惚れしました」
 りか子さんも見ましたか、とつまりは上機嫌である。余程楽しかったらしい。料理の味と美学を堪能し、和食好きだから絶対気に入るだろうとりか子は確信していて、だからキャンセル待ちしてでも連れて行ったのだ。それでもつれない態度をとる。
「さあ、どうだったかしら」
「あれ、着物に興味ないですか」
「好きよ」

 ふうんと返して、真瑠は先へと進んでゆく。りか子も隣を歩いて行く。
「見惚れるといえば、大将の包丁捌きは本当に粋で、かっこよかったですね。あの柳包丁かな、すらりと長い、刀みたいなの。カウンターの背後にもずらり並んで、壮観だったなあ。研ぐのも大変でしょうけど、切れ味抜群でしたね。料理人には、当然なんだろうけど、自分にはできないなあ」
 しみじみ思い出して、とことんまで感心している。
「りか子さん」
「なに」
「あ、いえ」
 饒舌だったものへ突然蓋をして、反対に相手をなぶっている事に、口籠った真瑠は気が付かない。自分の方が面と向かって云えないだけだと例によって怖じけている。あなたが着物を着たらさぞ奇麗だろうと、そう口に出したいだけなのだ。

「何よ」
 りか子は立ち止まった。
「白状しないと帰らないから」
「え、なんですか急に子ども染みた真似して」
 自分の思わせ振りは棚に上げて相手の方を嗜めにかかる真瑠も大概子どもである。夜風が冷たい。
「どっちだっていいわ」
 と段々色んなものが団子になってどうでも良い方へ転がりそうになって来る。けれど実はもう二人して坂道で団子追い掛ける余力は持たないので、早々に、先ずは片方が譲歩する。
「帰りながらにしましょうよ」
 促してもりか子は動かない。
「もう、それじゃ先に帰っちゃいますからね」
 云って数歩すたすたと先へ進む真瑠。振り返って、距離だけ空いた。またそうやって、拗ねてるんだこの人は。それとも自分が試されているんだろうか。こんなところで寄り道してる場合じゃないのに。真瑠はまたすたすたと戻った。そして、りか子の手を捉まえる。
「帰りましょう」
 引っ張ったらあっさり付いて来た。なんだ、と思う。風は少し落ち着いて、二人の動いた分だけ流れが生まれる。
「浮気者の真瑠ちゃんと手を繋いでる」
 そう云ってりか子がふふと笑う。こっちはこっちで調戯からかっている。
「違うもん」
 否定はするが説明は出て行かない。また風が、今度はひゅうと枯葉巻き上げて、一緒に二つの本心隠す。その癖真瑠は折角遠ざけた過去を諦めきれずに蒸し返す。

「実家にはあるんじゃないですか、りか子さんの着物が」
「ええ、その筈よ」
「へえ」
 へえ、の先が容易で無い。あと一つ欲が出せない小心である。対峙する方はもどかしさが募る。途端に酔いを冷まして、りか子は未だ飲ませ足りなかったかと無茶を思う。真瑠が手を離したから、二つの影は分離した。

 りか子は何時だって自分から飛び越める度胸と愛嬌と自尊心とを持っていた。それで自身の欲求を満たす事が出来、或いは相手から反響の或る時は、一層満たされる思いがした。だが同時に、もしも真瑠が、自ら此方の胸へ飛び込んで来るような奇跡が在ったら面白いのにと夢想するのだった。希望していると云うより、そんな天地割る様な出来事が二人に起こったら、あんまり予想外で面白いと想像している。

 タクシーを拾って、二人は尋常に家へ辿り着いた。夜はもうだいぶ更けて、今夜はダイニングで寛ぐ時間を設けないでそれぞれが自室へ引き取った。ところが結果的に布団へ入ってから、りか子の夢が少しだけ叶うことになった。酔いの抜けきらないのか、その所為せいで人恋しくなったのか、それとも離した手の責任を取りに来たのか、真瑠が自らりか子の部屋を訪ねて来た。いつも来たらいいのに。と云う主張は一旦隅へ除けて、取り敢えず隣へ迎い入れた。どうしたのと聞いても、曖昧を返すばかりで、だが帰る気は無いらしくこてんと横になった。りか子には背を向けている。しかし観察の隙も与えずにごろんと方向転換である。其処は完全にりか子の領域テリトリーであった。真瑠は其処へ留まり、遠慮がちに頭だけ彼女の体温へ触れてみる。けれどりか子が横向くと、吸い寄せられる様に懐へ納まった。一旦埋もれて、それで顔上げた。伏し目に、りか子さんと呼ぶ。それから、
「今日はありがとう」と云って、見事云い終えた自分に満足そうにしている。
「楽しかった?」
「うん。とても」
 云って、もう埋もれる。くぐもったところで、
「りか子さんと居ると、いつも楽しい」
 だそうだ。向こうがくっ付いて来たのだから、りか子が手を伸ばしても良い筈である。正当主張してぬいぐるみ抱くみたいに捉まえると、真瑠は安心したように寝息を立て始めた。

 真瑠の熱を傍に置いて、りか子は考えた。自分の性質がつかえになって、他者と温もりを共有しないまま大人になったであろう真瑠と云う存在。そのまま平気に独りで生き抜く事も可能なのだろうが、真瑠は此処に居る事を選んでくれた。自分と出会い、思いがけない温もりを与えられる度に、驚いて、慄いて、然しいつの間にか喜びを享受して、此方の伸ばす手を受け止めてくれるようになった。戸惑うものも、不器用なのも、りか子からすれば全部愛嬌である。真瑠と云う人間の、一個の個性だ。そんな風に考える自分の思考は、もしかして母性愛に近いのかしら。いずれにしても、平穏には違いなかった。

 この穏やかな秋風が続きますように。星を拾う天の子よりも、雲に寝そべる羊よりも平和な夜長を戴いて、願わずにはいられなかった。真瑠の寝息を数えながら、やがてりか子も深い眠りに落ちた。


                       おわり




お読み頂きありがとうございます。「あなたに届け物語」お楽しみ頂けたなら幸いにございます。