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ひとときの優しさに感謝をこめて

僕は生協の配達員をしている。
毎日、時間に追われながらも必死に配達をしている。

そんな僕には大事にしている自分なりのルールがあった。

お客様(以降は組合員さま)に商品をお届けする時間は、毎回ほぼ同じくらいの時間でお届けする。時間でいえば誤差は五分で済ませる。

もちろん運転もして商品も届けて、何かしらの対応があれば少しくらい時間が遅れるなんて当たり前のことだろう。
ただ、そんな中でも時間が少し遅れただけでも『今日は遅かったね』と言われてしまうこともあるわけだ。

もちろん組合員様も悪気があって言っているわけではないと思う。
普段から同じ時間で配達できているからこそだろう。

毎回同じ時間にお届けできれば、組合員さんもそのあとの予定が立てやすくなるし、そこから信頼や安心につながってくるのだ。

そう。僕らの仕事は単に商品をお届けしているわけではない。
安心と信頼をしっかりと築いていかなきゃいけない仕事なのだ。

そんな僕だが、時には対応で遅れてしまうこともある。
この仕事は時間を巻くとなると組合員様との時間を削るしかない。
僕らは配達員であるがプロドライバーでもある。
住宅街では20キロ以内生活道路なども速度を控えて安全運転。
だからこそ時間を巻くことはほとんどない。
というよりもできないのだ。

多少の時間の遅れならば深呼吸をして諦めもつくのだが、その日は朝からなんとなく気分の乗らない日で、どこか集中力が抜けている感じだった。

配達はなんとかいつも通りに配達しているつもりだったが、対応も重なりお昼すぎには30分近く配達時間が遅れてしまっていた。
たった30分かもしれない、でも僕にとっての30分は違った。

そして、次第に遅れてしまっていることにイライラしてしまったのだ。

もちろん組合員さまの前ではいつも通り笑顔で対応できていたと思う。

そんな中、個配の80歳のご年配の組合員さまのお宅にお伺いした時「今日はずいぶん遅いのね、待ちくたびれちゃったわ」と言われてしまった。

あー、やっぱり言われちゃったかと思ったが「遅かったから心配しちゃったわ、事故にでもあったんじゃないかって、近所の人にも連絡しちゃったわよ」と言われたのだ。

商品のお届けが遅れたことを気にしているよりも、僕自身のことを心配してくれたのだ。
この方とは普段からよく雑談などのおしゃべりをしている。
しかし今日は違った。
『今日は美味しいコーヒーを淹れてあげるから、そこに腰掛けて待ってなさい』
時間の遅れもあり、今日は早めにと思いながらも、縁台に腰掛けて待つことに。
そして僕の気持ちとは裏腹に数分かけてコーヒーを淹れてくれた。
そう、豆から挽いて淹れてくれたていたのだ。
僕はコーヒーが大好きだ。よくその話もしていた。
もちろんコーヒーを飲めることはうれしいなと思った。ただなぜ今日なんだろうとも。
しばらくして入れたてのコーヒーを持ってきてくれた。チョコケーキとともに。

嬉しかったが、なるべく早く飲み終わらせようと焦りが消えない僕は、コーヒーをすぐに飲もうとしたが熱すぎて「あちっ」と声が漏れてしまった。

『おバカだねぇ、心を落ち着かせるためにコーヒーを入れてあげたのよ』と組合員さまはクスッと笑った。

あははと苦笑いする僕に組合員さまは『あなたの焦りが事故につながる、事故は自分だけじゃなく他の人も不幸にするの。あなたの家族だけじゃない、お仲間だって、そして私もよ。あなたが毎回明るい笑顔で元気に品物を届けてくれるから今の私があるの。買い物になかなかいけない私は、あなたの元気にたくさんの元気をもらっているの。時間なんて遅れても良い、毎回あなたが元気にきてくれれば』

たしかにそうだった。僕が商品をお届けした時、組合員さまはみんな笑顔で『いつも元気だねぇ』『元気をありがとう』『あなたが来るのがたのしみよ』と言ってくれていた。

組合員さまの言葉に胸のモヤモヤがスーッとなくなって、いつしか時間の遅れのイライラも無くなっていた。

僕が作っている配達時間の縛りは自分自身でつくっていたのだ。
組合員さまのためと思っていたことが自分の自己満になっていたのかもしれない。

その日から配達時間の遅れへの考えが変わり、想定外の遅れがでても平常心を保てるようになったのだ。

そしてあの日から4年の月日が経った。
今は配達の地域も変わり、その組合員さまにお会いすることもないけれど、あの日の言葉と美味しいコーヒー、組合員さまへの感謝のおかげで今でも僕は配達員を続けられている。

毎日たくさんの『ありがとう』に元気をもらいながら。

#やさしさを感じた言葉

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