【短編小説】キャビネットの奥
事務室のキャビネットからファイルを出したら、知らないメモが、自我を持ったようにぽろっと出てきた。
『田中さん
チェックお願いします
長崎』
丸い字で丁寧に、メモにピッタリ当てはまるように書かれていた。
書いた人も、宛てられた人も知らない。
ここに入社して3年目の自分は、いま働いている人たちの中で1番下っ端だ。
人数の多い会社では無い。なかなか顔が覚えられない自分でも、さすがになんという名前の人がいるかは把握している。
だからまあ、昔いた人なんだろうと思った。
誰かに訊けばいいのかもしれないけど、あまり気が進まない。
もうどこに戻せばいいのかわからない。
ファイルに挟まっていたのか、キャビネットの中に張り付いていたのかも分からない。
文面的にももう必要のないもののように見えたので、特に誰にも言わずに捨てようとゴミ箱に手を伸ばした。
自分がこの会社にいない時は、誰かが、今私が座っている席に座っていた。そうやって人がいなくなれば補充されていく。社会の歯車とはよく言ったものだと思う。
分かっているつもりなのに、それでも自分が今ここにいるという事実しか受け止められない。
たまにやってくる、定年退職した元職員などを見ると、なぜか少し怖くなり、疎外感を感じた。
改めてメモを見る。
そしてやっぱり、誰にも言わずに捨てよう、と決心した。
敢えてくしゃくしゃにして捨てると、中は空(から)だったらしく、虚しくからん、と音を立てた。
おわり
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