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ボクが選手をやめた理由

親愛なる友達の本間くんからこれ教えてくれと言われたので書きます。

彼をなぜ後輩ではなく友達と表すか。それは簡単。

僕は彼を後輩だと思ってません。彼の言動からは学ぶことがたくさんあるし、毎週一緒にカレー食ってるし・・・。

そうだ。今度彼の話で1つ記事を書いてみよう!笑


冗談はこのくらいにして本題に移りましょうか。うーん。非常に難しい。どこから話そうか、、。高校時代くらいまで遡って話してみようか。


1.高校時代

高校受験に失敗し、いわゆる滑り止めと言われる高校に進学した。サッカーで志望していた場所じゃなかったし当然のことながらサッカー部も弱かった。

1年生の頃から試合には出してもらえてたし、最終的には10番でキャプテン。それなりに充実はしていた。

けれど、土日のどちらかは絶対休みで月に1回あれば嬉しい練習試合。リーグ戦にも参戦していない。想像していた高校サッカーとは大きくかけ離れていた。

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そんなこんなでオレの高校サッカーは想像通り「不完全燃焼」で終わった。


2.大学1年

大学でもサッカーやろうと思ったのは高校サッカーに後悔が残ったから。サークルでもなく社会人でもなく今のチームを選んだのはもっと熱くサッカーがしたかったから。
あの時の選択は間違いなく正しかった。


家が学校から遠くて練習に参加することができず自分は途中入部で今のチームに入った。

初めて練習に行った日、ゴッツと行男がめちゃくちゃ話しかけてくれたの今でも覚えてます。

夏頃だったかな。「広報部の立ち上げプロジェクト」

大二郎くんと前原さんが中心となって立ち上げた広報部。チョンボに入るために文理学部を受験する高校生が出たら最高だよねと目標を立てた。

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その年の年末には学生幹事の門も叩いた。Eー1選手権の都バイトに行った時に都協会や他大の人とめちゃくちゃ仲良くしてた先輩を見て憧れたのがきっかけ。あと和弥さんとうっちーさんがカッコ良かったから(飯奢ってください。)


・部の広報部立ち上げ 

・都学連の学生幹事になったこと

今思えばこの2つが今の自分を作った原点だと思う。


3.大学2年

この年は正直めちゃくちゃキツかった。

学連の仕事はわからないことだらけでトラブルメーカー。チームでは巷で噂の「ワールドエンド」。まじで何も上手くいってなかった。学連と部活2つに分けて話していきます。

部活

プレー面でのチームへの貢献度はほぼ0。自分が高校時代どれだけお山の大将だったか痛感した。そんな中での自分の存在意義が広報部の活動だった。

「PhotoShop」のソフトを課金して購入して、新歓のチラシ作りから始まり毎試合の広告作成。さらには新たな取り組みとしてスタメン画像の作成。

この年の新入部員の数は例年に比べてめちゃくちゃ多かった。自分の作ったチラシがどれだけ力になれてたかはわからないけど、、。

辛い思いしても辞めることはなかったし、昇格決まった時はまじで嬉しかった。結局、出れる出れない関係なく自分はこのチームのことが好きなんだと気づけた。


学連

学生幹事として働いた1年目。わからないことだらけだった。言われたことしかできない典型的な指示待ち人間だった。

1教えてもらえれば2、3くらいなら頑張ってできてたけど4以上は無理だった。試合会場がクソほど足りなくて流経大に島流しにしたり(言葉悪くてごめんなさい)当時の幹事長含めて幹部の皆様には多大なるご迷惑をおかけしました。この場を借りて再度謝ります。(何度目だろうか)

プレイヤーでも指導者でもない現場からは遠く離れたところからサッカーに携わることがめっちゃ難しいことだと学んだ。


3.大学3年

いろんなことを経験できた。

Jリーグの事務局のバイトも始めたし、初めて海外にもいった。

自分が将来やりたいことがだんだん明確になっていったのもこの頃。

今の自分を語るのにこの経験は絶対に外せない。


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研修委員長の経験。

四方さんとケンジさんとの出会い。このお二人との出会いは自分の「サッカー」に対する考え方、関わり方に大きく影響を与えました。

サッカークラブ作っちゃったり、海外でGMやっちゃったり自分の常識では測れないことをしている2人とお話をして研修会の企画に携われたのは刺激的でした。

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このシーズン。チョンボは久しぶりの2部の舞台。

結果はご存知の通り。言いたくもない。

そして個人としての結果。

出場時間0分。ベンチ入り回数0回。

18週間毎週メガホンもって声枯らして何もできない自分に絶望する。

それがルーティンみたいになってた。


正直、後期リーグが始まったくらいには来シーズンのことを考えてた。

そこでふと思いました。

ーこのまま来年も試合に「出る」「出ない」っていうところにこだわり続けて大好きなチームのために、ましてや自分のためになるんだろうか。


試合に出れなくてもチームのためにできることはある。

もちろんそうだ。しかし、やっぱりプレイヤーとしてやる以上は自分が試合に出続けて活躍する。そのエゴは捨てられない。

ならば、自分が戦うフィールドを移せば良いのではないだろうか。

都学連での経験やJリーグの事務局での仕事でサポートする立場の魅力や楽しさは十分に理解していたし、その魅力に自分も引き込まれてた。じゃあ選択肢は1つ。

選手からは身を引く。

選手やりながらでもできることかもしれない。実際自分もそうしたかった。けど、クソ下手糞な自分はそんな容量よくない。選手してたらやっぱそっちに重き寄っちゃう。

諦めだとか言われるけど自分はそんな風には思ってない。

今のチームをもっと大きくしていきたいという思い、サッカーに対する情熱はむしろ増した。



さあ、2020年。勝負の年。

こんな状況だけどやれることはきっとあるし、しっかり追求していく。

前のブログでも書いたけどこの期間での取り組みは収束後大きな差となると思ってる。


柄にもなくブログやってみたり、本読んでみたり、、、


チームにも学連にもしっかり爪痕残せるように自分磨き続けます。


Sora Kitamura






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