かなた

短文を書いています。1970年代前半の東京下町で育った子供の頃の思い出、夢の話、体験し…

かなた

短文を書いています。1970年代前半の東京下町で育った子供の頃の思い出、夢の話、体験した不思議な話、飲み屋で会う年の離れた人たちと始めた短歌会で読んでみた歌など、記していこうと思います。ホロスコープ も好きなので、もしかしたら星の話も書けるようになれたら嬉しい☆

最近の記事

短歌会はじめました 3

よく行く飲み屋さんで会う人たちと、短歌会をはじめてみました。 誰ひとり経験者はいないし、師匠もいない、勝手に楽しく読んでみる会です。第3回目は5月19日開催、テーマは「晴れ」。 だったのですが、、メンバーが集まらず。 今回は私かなたと真理子さんだけです。 テーマ 晴れ 肩濡らすしとどの雨の散歩道 寄り添う二人心は晴れ  かなた 長い冬耐えてこそ咲く夏祭り 弾ける笑顔に神も微笑む かなた 夜空咲く大輪の花君照らす 浴衣の君も一輪の花    かなた 初デートはしゃぎ過ぎたね僕

    • こんな夢をみた 2

      宇宙へ行ってみた 私は暖簾をくぐり、あるお店から出てきた。 外は真っ暗な夜で、雨が降って上がったばかりなのか、路面が街灯を写してエナメルのように光っていた。店を出て何処かへ帰るべく進行方向へと体ごと向いた途端、20メートルほど先の路上に、こちらへ向かってくる二輪車が見えた。二輪車はおそらくバイクで、乗っている人の頭が異様なほどに大きかった。ほとんど影のようでよく見えないが、頭がひし形に大きく張り出した逆三角形に近い形の人物が二輪車でこちらへ向かってくる。最初フラフラしている

      • 短歌会はじめました 2

         よく行く飲み屋さんで会う人たちと、短歌会をはじめてみました。 誰ひとり経験者はいないし、師匠もいない、勝手に楽しく読んでみる会です。第2回目は4月14日開催、テーマは「緑」。 「緑」 ある山に翠の池あり栃の実が落ちて沈むを誰も知らぬ (かなた) 奔放に生い育つ碧と蝉時雨沈黙の時に朽ちる砲台 (かなた) 葉の上に水滴光り土匂う雨の降る庭なにもない午後 (かなた) グレゴリオ聖歌鳴るほの暗き部屋映るは眩し日盛りの庭 (かなた) 君を待つ交差点には人多し電話取る人信号は緑 

        • 短歌会はじめました 1

           よく行く飲み屋さんで会う人たちと、短歌会をはじめてみました。 誰ひとり経験者はいないし、師匠もいない、勝手に楽しく読んでみる会です。第1回目は3月17日開催、テーマは「卒業」。 「卒業」 もう一度会えると思い会うこともなき少年のままの彼の人 (かなた) 暮れるまで話しこんだね帰り道夕立の日も小雪舞う日も (かなた) 先輩のいない放課後の校庭に早く慣れなきゃ僕も卒業 (かなた) 大人にはただのブリキのおもちゃでもまあるいあなたの心が欲しい  (あかりん) 3月に桜の咲か

        短歌会はじめました 3

          子供の頃、東京下町の記憶 4回目

           家のある工場の敷地内には工場勤務者のための大きな浴場棟があって、ふだん私たち家族もこのお風呂を利用していたが、父は時々、工場内にある小さな五右衛門風呂に入っていた。父がドラム缶で作った小さな五右衛門風呂で、下から焚き火のように燃やしていた記憶があるが、焚き火で燃やしていたのはもしかしたら記憶違いかもしれない。父の仕事が終わる頃に、母と姉弟と一緒に工場を訪ねると、父が五右衛門風呂で一汗流していることが何回かあった。五右衛門風呂の側には小さなテレビもあって、私たちが行くと、アニ

          子供の頃、東京下町の記憶 4回目

          こんな夢をみた 1

          死刑囚になってしまった  私は死刑を宣告されている。 何故かはわからない。騙されて人と喧嘩をして押しあいになり、相手が倒れて怪我をしたように思うが、あれが理由なのだろうか。私は釈然としない気持ちを抱えているが、誰にどう抗議してよいかわからず、諦めている。  友人のkも死刑を宣告されている。彼女の場合も理由が定かではないらしい。そして私たちは死刑囚であるにもかかわらず、拘束はされていない。自由に街を移動でき、変わらずに自分の家に住んでいる。私はパートナーと、そして友人Kと一緒

          こんな夢をみた 1

          子供の頃、東京下町の記憶 3回目

           ある夏の夕方、弟と姉と一緒に工場の前で、缶詰の空き缶に砂利を入れて水たまりの雨水を入れ、ジャッジャッと手でかき混ぜてお米を研ぐ真似をしたり、雑草の葉に泥だんごを載せたりして、おままごとをしていた。弟はまだおむつがとれず、だぼだぼのおむつは水たまりに浸かって泥で汚れていた。家の方から「ごはんだよー」と母親の呼ぶ声がしても、私たちは楽しくて遊びがやめられず、しびれを切らした母親が家の表にあった工場の事務所から私たちを連れ戻しに出て来た。私は瞬間、ハッとした。弟のおむつが汚れてい

          子供の頃、東京下町の記憶 3回目

          子供の頃、東京下町の記憶 2回目

           夜、ふと目を覚ますと、両隣に寝ているはずの家族が誰も居なかった。布団が3つ並べて敷かれている部屋から続きの居間のテレビではちあきなおみが「喝采」を歌っていた。その前のちゃぶ台には、きゅうりを切って並べただけのお皿がひとつ、蛍光灯の下で白々と乾いていた。私は恐怖に近い悲しみを覚え、2部屋しかない家の中を家族を捜しておろおろと歩き回った。遠くでチャルメラの音がして、しみじみと夜が染みわたっている感じがした。突然、玄関の引き戸が開き、賑やかな家族の声が帰ってきた。「あー寒かったね

          子供の頃、東京下町の記憶 2回目

          子供の頃、東京下町の記憶 1回目

           子供の頃、生まれてから小学校に上がる前までのこと。家は東京の下町の小さな工場の中にあった。狭い平屋建ての事務所の奥が両親と姉と弟、私の家族5人が暮らす住居で、お風呂は工場勤務者のための大きな別建となっていて、私たち家族もこのお風呂を使っていた。1階が浴場、2階は広い板間で、夏の昼下がりなどは窓を開け放って昼寝をすると冷んやりした床が心地よく、私は風呂場の2階を子供ながらに気に入っていた。工場の休みの日には工場の中に入り込んだり、側面の階段に登って遊んだ。工場の中には白い石灰

          子供の頃、東京下町の記憶 1回目