子供の頃、東京下町の記憶 2回目
夜、ふと目を覚ますと、両隣に寝ているはずの家族が誰も居なかった。布団が3つ並べて敷かれている部屋から続きの居間のテレビではちあきなおみが「喝采」を歌っていた。その前のちゃぶ台には、きゅうりを切って並べただけのお皿がひとつ、蛍光灯の下で白々と乾いていた。私は恐怖に近い悲しみを覚え、2部屋しかない家の中を家族を捜しておろおろと歩き回った。遠くでチャルメラの音がして、しみじみと夜が染みわたっている感じがした。突然、玄関の引き戸が開き、賑やかな家族の声が帰ってきた。「あー寒かったね、まさみ、足、大丈夫?」「河原で走るからだよ、大丈夫だよな」「大丈夫。なんかお腹減ったね」「やっぱりラーメン食べてくればよかった」「あゆが寝てたから、可哀想でしょう」。私が寝てしまっている間に、家族は近くの川に散歩に出かけていたらしい。時間にしておそらく30分程度。でも、私にとってそれは、捨てられたに等しい記憶だ。しばらくは「喝采」を耳にすると、異空間のような一人の部屋を思い出して胸がチクっと痛んだ。
夜の記憶はいくつもある。あれはクリスマスイブの夜。家は雨漏りのするじめじめした畳が敷かれた和室が二間、和室にそって縁側があり、縁側の先に汲取式のトイレ、縁側の反対側に狭い台所と古い引き戸式の玄関があり、おまけに玄関と反対側の壁一枚隔てて父の勤務していた会社の事務所という汚くて狭い家屋だったが、そのような家に住んでいながら、家には当時の私の背丈よりも大きなクリスマスツリーがあった。母方の叔母から送られてくる、箱にトナカイとサンタクロースがデザインされた1枚板のチョコレート、クリスマスツリーのカラフルな電飾と綿の雪、モールのサンタクロース、バタークリームのバラとチョコの家が飾られたクリスマスケーキ。住まいの環境とは真逆なキラキラした、童話の世界のようなクリスマスが私は大好きだった。もっとも私に限らず、クリスマスが嫌いだという子供はなかなかいなかったとは思うけれど。
私が5歳くらいのクリスマスイブの夜だったと思う。眠っていると足元でカタカタと音がして、薄目を開けてみると赤い衣装と赤い帽子の、あのサンタクロースが横に屈みこんでいた。びっくりして起き上がろうとしたけれど、「ここは起きてはいけない」と思い、そのまま目をつむり朝までぐっすり眠ってしまった。朝、枕元にはサンタクロースの人形が置かれていた。サンタクロースは背中にジッパーが付いていて、開けると中には外国産のチョコやキャンディーが詰まっていた。弟はお菓子が詰まったブーツ、姉はビーズで刺繍された小さなバッグをもらっていた。弟もサンタクロースを見たといって、しばらく、小学校の3年生くらいまでは、二人でサンタクロースを見た話をしては、本当にいるんだと話し合ったものだ。
夜といっても、まだ暮れたばかりの夕方。母親に近くのお店に買い物を頼まれた。テレビの長寿番組「はじめてのお使い」に似ているかも知れない。でも結果はちょっと違っていた。姉が熱を出したので、母はヨーグルトを買ってくるように私に申し伝えた。私は少し不安だったが、そのお店がとても好きだったので、どちらかといえばルンルン気分で薄暗い道を歩いて、無事にお店に到着した。雑貨屋とスーパーが混ざったようなお店は、冬には大きなストーブの上に金盥のような鍋を載せて、そこで瓶の牛乳を温めていた。その日も牛乳を温めながら、店のおじいさんがその前に座っていて、お店の暖かさとおじいさんの「いらっしゃい」の声に私はとても安心し、安心したとたんに、買いに来たものが「ヨーグルト」か「プリン」かわからなくなってしまった。どちらかわからなくなったのではなく、よく思い出すと、ヨーグルトとプリンの違いが曖昧だったような気もする。ヨーグルトやプリンが並んだ冷蔵棚の前でじっと動かない私をみて、店のおじいさんが声をかけてくれた。プリンかヨーグルトを買うのだけれど、どちらを買うかわからなくなったと言うと、好きな方を買ったらいいとアドバイスをくれた。私は迷った末にプリンを選んで買って帰り、母親に叱られた。
夜眠る時、ときどき、それは多分土曜の夜が多かったと思うが、父親が私と姉と弟を自分の脇の下にはさむような形で寝て、物語を語ってくれた。物語といっても普通のお話ではなく、遊園地に行く話とか、動物園に行く話だ。遊園地や動物園に連れて行ってという私たちをなだめるためにはじめたことなのかも知れない。まず父は「はい、目をつぶって」「絶対に開けてはダメだよ」「じゃあ、これから遊園地に向かいます」というふうに始める。車に乗って、駐車場に車を留めて、入場料を払って「さて、まず何から乗る」と聞くので、私たちは「ジェットコースター」とか「コーヒーカップ」とか「観覧車」とか、乗りたいものを答えて、順々に乗って行く。ガタガタガタ、シューっという擬音と共に、腕を上下させたり揺すったりするので、瞑った瞼の中に回転する空や眼下に広がる遊園地の風景が広がり、実際に遊園地で遊んでいるように楽しかったのを覚えている。動物園にいく時は、父親の動物の鳴きまねがあまり上手ではなかったので、密着感と温もりがかもしだす安心感に身をゆだね、すぐに眠ってしまった。
3回目に続きます
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