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新卒で入社したゼネコンを退社した話。

※独自の言語体(辛うじて日本語と読める何か)で長々と書いており読みづらいです。
内容も個人の主観です。記録です。
フォロー外のつぶやき程度に「くだらねーw」ぐらいに読んでください。


画像は「野帳」


・学生から社会人になり、退職するようになるまで苦しいこと、つらいこと、もちろん楽しいこと、私の人生の中でもいろんな意味で思い出に残る日々を過ごした。

・なかなか筆が進まず、途中まで書いて嫌になってしまったりして気づいたらもう4か月も経ってしまった。
辞めたというマイナスの文を書くけれど、愚痴っぽくなるのも嫌だし、私にも悪いところはあるのでなるべくおもしろおかしく書けたらな。なんて。
時系列順に書いて備忘録とする。



▽2019年

・私の就活はとてもあっさりだった。土木学科に入学する大半の人はゼネコン、コンサル、公務員、メーカーと大体この4つのうちどれかに就職する。
建設業界は他の業界と比べて比較的就活が早期から始まる。

私はとにかく就活を早く終わらして遊びたかった。

当時の私は、とにかくお金が欲しくて(まぁ今も)お金が4つのうちで比較的多くもらえるゼネコン、しかも私の会社には海外にも仕事があり、海外へ行くと20代半ばで年収が600~800になると聞きウキウキで志望をした。

というわけでゼネコンを志望、会社なんて入ってみないと実情はわからないし、過酷な環境でも自分が育つ機会だと思ってその一社しか受けず、大学3年の12月にはほぼ内定をもらった。
社会人のことは社会人になってから考えればええわと余裕ぶっこいていた。
軟弱者である。(今も)

現場監督という仕事のコミュニケーション能力だとかリーダーシップ能力には少なからずその時は自信があった。
会社に入ればそれぞれ個人の能力に合わせて教育され、入社した一人一人はみな立派な現場監督になれると信じていたし期待もしていた。
甘い。
人任せだったし、なんとかなると思ってた。

コンサル(図面を書く)とか公務員(試験勉強が必要)とかより、私は現場に出て仕事をするのが向いていると思い、試験勉強してもし落ちた時に遅れてスタートする就活に不安があったのでゼネコンに向かうのはしょうがないよねーみたいな感じはあった。
今思えばどれだけでも動けたなと感じるけどあの時楽しかった生活の思い出は一生モノです。
バイトして、ダンスして、ゲームして、お酒も飲んで。
寝るの深夜3時とか当たり前だったもんな。
1時に寝るのでさえ早寝だった。

▼2020年4月

・時は進み2020年の4月。
コロナの感染が進み、私の学校も卒業式を行えず区切りなく終わった。
僕は僕だ。僕でいたい。(←伏線
おめでとう。ありがとう。

でもマジで楽しかったよ。

4月に入り、緊急事態宣言が発令され予定していた入社式や研修がすべてキャンセルになり、最初は1週間の自宅待機が最終的にGW明けまでのびた。

その間、自宅に研修で使う予定であっただろう法令集(建築土木関係はとにかくルールが多い)のテキスト等が送られ、各自勉強するようにという形がとられた。

▽5~6月

・GW明けの4日程で研修というか会社の沿革と組織形態を学び、現場に配属された。
同期も一応顔は知っているという仲だけでみなそれぞれの現場へ。

わたしが配属されたのは下水道工事だった。
そこの社員は所長を含めたベテラン4人と、二つ上の先輩が1人いる、私を含め元請け計6人の現場だった。

規模がそこまで大きくない割に人数が多いからよく見てくれると思うよと4日の研修中に言われていたので私は安心してしまっていた。

初日、挨拶をするも所長の様子がおかしい。
顔が黒い。とにかく。
お昼のお弁当を頼んでも全く食べず、一日中PCのモニターをみつめて動かない。

2週間ほどで会社から所長は休職したという知らせを聞き、次席の方が新たに所長になった。

重度の鬱だったらしい。
この現場では重大なミスがあり、工事が止まりそれの責任を感じていたらしい。
現場に行かなければならないという使命が自分の中でとてもあるらしく、奥さんの反対を振り切って来ていたという。

新入社員だった私はとても驚いた。
私のしようとしている仕事は責任が重く、精神的に参ってしまうリスクと隣同士ということに恐怖した。

言い方は悪いとは思うけれど「こうはなりたくない」とこの時強く思った。

・現場では研修を受けてきたものだとして扱われる。
本来研修は2か月程あり、そこで業務の大半を覚えるらしいのだがこの状況下では仕方ない。
現場へ入れば実務と勉強どちらも並行して行わなければならず、とにかくやること、覚えることが多い。

最初に躓いたのは測量。
学校でやったのは平地&基準点がしっかりしている場所だったが現場に入ると全く違う。
先ほどの現場の重大なミスによって基準点がとにかく多く、覚えるのも大変、やり方も難しいときた。
しかも下水管の中でもやる。(資格もないし手当も出ないのに)
Gがたくさん。虫平気な私が鳥肌たつほど。

大卒なんだからしっかりしろと何度も怒られ、私も血気盛んというかやる気に満ちていたので「教えてくださいよ」というが「俺はお前の教育係じゃねぇ、担当が違う」と言われ愕然としたのを覚えている。

周りの同期も理不尽に怒られたり、土曜日曜出勤だとか毎日20時近くまで残業しているというのを聞き、私は土曜休みで平日も定時少し過ぎるくらいで帰れるのでまだ恵まれている環境だな思い仕事をしていた。

下水管も次第に慣れた。辞める時には時間がどうしてもない時におにぎり食べれるくらい。
慣れってすごい。

この時から将来への不安しかなかった。
はやく勉強、経験を積んで海外で一儲けしよう。そのころには一通りできるようになるだろう。

▼7~8月

・所長が変わり、本格的に工事が再開した。

徐々に仕事を覚え、新人がつまずく写真管理と職人、業者とのやりとりにわたしも苦戦した。

写真管理、誰もができるようにマニュアル化されているものだとイメージしていたけど全然簡単じゃない。
よかれと思って撮ったものがやり直しを食らったりする。
事前にしっかり教えてくれよと喉まで出た言葉を飲み込み説教を受ける日々。反論しても火が付くだけで説教が長引き仕事が増え帰れなくなる。

この二か月で上司に意見するという気持ちはなくなってしまった。

・現場監督は配属時から中間管理職という立場で上司と職人さんとの間で板挟みになることが多い。

前提に私は「楽しく仕事がしたい」という気持ちがあったので常時接する職人さんといい関係づくりになるよう雑談をしたり手伝ったりするよう、いろんなことをしていた。
上司には「甘すぎる、職人は別の人種だと思え」と言われ、不思議でしょうがなかった。なぜそこまで押さえつけようとするのか。偉そうなのか。
完全に私は上司よりも職人さん目線で仕事をし始めるようになった。教えてくれるし、仕事も進むし楽しい。

まだなにも知らない若造がいくつも上の職人さんに対して「あれやれ、これやれ」と命令するのはなかなか難しいことだ。
「なめられないように」と上司に言われ虚勢を張っていたけれど、そらそんな奴いたら嫌いになる。
一緒に協力してやるべきだ。管理する側だけどわからないことを言葉は荒くともきちっと教えてくれる職人さんたちは本当に助けになった。

▽9~10月

・話し相手になってくれた2コ上の先輩が別現場へと転勤になった。
急にである。

当時の私的には転勤というものは2~3か月前には連絡が来て、異動するかを考えていろいろと準備していくものだと勝手に想像してた。
でも違った。先輩の異動が決まったのは一週間前。

「じゃあお前は月曜日からココ」と言われているのを見て、こんなに簡単に住む場所が変わるのかと驚いた。
先輩もかなり嫌だったようで、「残りたい、少し考えさせてほしい」といったようだが「仕事だから」の一言で片づけられてしまったようだった。
「仕事だから」「雇われてるから」「お金もらってるから」
この3つがとにかく強い。
理不尽がまかり通ってしまう。

引っ越しの準備や業務の引継ぎ、住んでた地域の友達付き合い、趣味ぜーんぶまとめてやり切れる自信は私にはない。
たとえば半年で契約してたジム、3週間ぽっちでいけなくなるの嫌すぎん?
料理を趣味にしようとして1回しか行けない料理教室とか。
なんも始められんやん。私は嫌。

仕事だから、お金もらってるからを呪文のように繰り返して先輩は異動してしまった。

・入れ替わりのように海外帰りの今度は5コ年上の先輩が配属してきた。
私が会社で一番お世話になった人。

パチンコ大好き。夜の遊び大好きの典型的なこの業界の人。
でも現場の社員の中では一番話しやすくて愚痴も聞いてくれた。
あと結構ドライ。気合とかそういうのが嫌いなタイプ。
あとオタク。私並みに。

▼11~12月

・この2か月がわたしにとっては一番平和だった。
仕事もだんだんと慣れてきて、工種的にも毎日ほぼ同じ作業なので効率よく進めることができてた。

最初から現場にいた課長クラスの方がこれまた異動になった。
今度は4日前。もうこの時には私もなにも思わなくなっていた。
まぁそういうものだよね仕方ないよねって。

お金も増え、週末もけっこう遠くまで出かけてた。

相変わらず所長はうるさいけどこの感じなら趣味も仕事も続けていけるなーと感じていた。
このころから本格的に現場のお金(利益や業者の支払い)を見るようになる。

▽2021年1月~2月

・彼女ができた。
とてもかわいく性格がとても素敵なすきなひと。
同時に仕事が忙しくなり始める。
自分にとってなにが大切か考えるようになった。

私とすきな人との距離は付き合った時から離れていて休みを作れるよう頑張って会っていた。
ただ、ずっと一緒にいるためには距離の問題がついてまわる。
それこそこの仕事は転勤が多く、海外だってある。
どちらを優先させるべきか。

・お金を見るようになって稼ぐという意識をつけろ、金儲けをしろと上司に言われるようになった。
これがまた難しい。職人さん、業者と仲良くするのと儲ける現場も動かす安全も見る、法令を守るということを全部バランスよくやるのは難しい。

少なくとも私にはムチャだった。
勤務時間が延々と伸びていく。
誰も助けてくれない。

地震等で緊急に現場へ行くことがあったり、休み中でも電話がかかってきたりと私生活でも仕事に時間を割くことが多くなってきた。

▼3月~5月

・現場は変わらないが、工区を一つ丸々任されるようになった。
工事のほとんどを見るようになって&慣れてきたのもあって自分の意思とは違うことをするのに抵抗がなくなってきたのを感じていた。

とにかく上司に説教されるのが嫌だったので、上司の言うことは「はい、分かりました」で全て実行していた。
反論するだけ時間の無駄だったから。

仲良くしていた業者さんの工事が終わり、新たな業者と付き合うようになり今までのように進まなくなった。 

仕事を進めるためにしかたなく汚い言葉で怒鳴ったり、喧嘩したり。
言いたくもないことを伝えたり、2度とてめぇらと仕事しねぇと言われ出ていかれてしまったり。
その逆で出ていけとキレたり。とにかく苦痛だった。

そのやり取りに段々慣れていく自分が1番怖かった。
上司にされて嫌なやりとりを普通に自分がし始めていることに気づいて。
このまま根本の性格まで変わっていくんだろうか。

・後輩ができた。去年の自分を見ているようで上司達にボコボコにされているのを見て「自分だけは支えになろう」と思った。

自分の考え方が世間一般と変わってきているのを後輩を見て感じてこの1年の長さを痛感した。

・このあたりから月100時間近くの残業をするようになってきた。
朝6時過ぎから仕事して21時ごろに終わる毎日。
残業した時間をそのまま報告すると、所長から「遊んでないで早く帰れ」と長々説教され、終わる仕事も終わらないので月36時間を超えないよう休憩時間をわざと増やして調整していた。
あと、現場のお金を見ているので少しでも儲けようという気持ちもあった。

喧嘩してまで業者に無理言って値引きするよりこういった積み重ねのが楽だったから。
効率よく仕事ができていない自分も分かっていたから。

・私はバイクに乗るのが趣味なんだけれどこの頃から乗っていて「事故りたい」とふと思う事があった。

事故ったら明日仕事しなくていい。休める。

▽6月~7月

・夜勤が本格的に始まる。
時間的に体力的に精神的に限界だった。
昼夜昼や昼夜夜のシフトも普通にやった。
昼勤だけの時も帰りが日をまたぐ事も多くなり22時に帰れた日は「今日めっちゃ早く帰れたな」と思う程。
やるしかなかった。
上司に昼夜連勤はさすがに止めてくれと相談しても「考えとく」で時間だけがすぎるだけ。
あきらかにおかしい勤務表でも本社は何も言わない。同期もみな同じような事をしているから。

本社に気づいて欲しくて1日にとる休憩を7時間とかにしてみるもなにもない。

前に先輩から聞いた、同期は入社して5年で3人になってしまったという話。
人事部は辞める事を想定してわざと多く採用するようだ。
何十年もこれが続くのかと絶望していた。

けれど働かなくちゃいけない。
なんとか続けていた。
これもそのうち慣れると思って。

・工期がカツカツな7月の初め、昼夜の通し作業をして12時近くに帰って寝ている時に上司から電話があった。

この時点でムカつく事なのだが(深夜3時に仕事の電話がかかってくることを想像してください)
上司はとても怒っているようで
「今日雨が降る予報だけど夜の工事はどうするんだ」
という電話。

そのくらい考えてくれよ上司だろと思ったが、天気予報を確認して
「行います」
と言う。
しかし上司は
「現場の責任者という自覚があるのか?もういい、職長を叩き起して聞け」
と指示される。
聞かなくても確実にできる、小雨が降るか降らないかの天気予報なのに。(見たら分かる、降らんヤツやん)

業務時間内のお前が電話しろよという言葉を飲み込んで、上司命令に従う。
夜勤明けの昼電話のウザさは私自身痛感している。
職長に電話して案の定怒鳴られる。

その上司は夜個人的な用事があってわざと工事を私の判断で止めさせて休工にしたいんだという話も聞かされ愕然とする。

ここで私の中でなにか吹っ切れた。
辞める決断をした。身体がもたない。

・週末に辞める手順と辞めた後どうするかの方向を決めて翌週、退職願を出した。

本社から色んな方が来て、たくさん話をされたが決意は硬かった。

だだ、この環境で成長できて会社にも恩があるので8月で退職する希望を1ヶ月伸ばして9月までの勤務を決めた。

▼8月~9月

・退職に向けて準備...と行きたいところなんだけれど中々そうはいかない。

引き継ぎがメインのはずなのに7月と変わらず勤務した。
でも辞めるというゴールが決まっているので頑張れた。

・一度やらかしている現場なのでとにかく法令に厳しく、ミスにうるさい。
うるさいという言い方はいけないな。ルールで決まってることだし。

でもこの業界、多少は目をつぶるというかどうしても妥協しなければ点が出てくる。
妥協はいけないんですよ本当は。
でも1から100まで順守しているとまじで工事進まん。
家に帰れない。でも妥協すると怒られる。
妥協しないと無理だと訴えても努力不足であしらわれる。
人はこんな風になるとどうするか、妥協を隠し始めます。

工事をうまく進めるためにやりくりしているのに隠すという作業で余分に手間がかかり、うまくやろうとしているのになぜか罪悪感がある。

この矛盾の説明が1年半の間、私自身解決できず後輩も悩んでいた。
「辞めないでください」と何度も言われたけれど「早く辞めようよ」としか返せなかった。

・辞める当日も22時まで残業して終えた。
辞めるといっても正確には半月ほどの有給消化に入り、私もけじめとして月末に最後の挨拶をする予定だったので「じゃあな」程度であっさり終えた。

・最後の挨拶もスーツを来てお菓子を現場に持って「今までありがとうございました」で締めた。
色んな事があったけれど確実に成長できた。
途中でバックれず、自分の意思で身体を壊す前に正式な手順で辞めれた。
他人から見たら逃げたと思われるかもしれないがよくやったと褒めたい。

ま、この後に別件でもう1回戦うんですけどね。
それはそれ。

▽で、結局なんだってばよ

辞めた理由のまとめです。(時系列が長すぎ)

1.社員
歳の離れた上司が常時現場に3人いたけれど、あきらかに一般人の感覚じゃない。本社の役員さんたちも同様。
かっこいい言い方をすればコンプライアンス違反だらけ。
私的な言い方をすれば「怪物」。人間じゃない。

2.今後の将来
毎日苦痛を感じる仕事で一生終わる。
身体がもたない。

3.長時間労働
実態を誰もが見て見ぬふりをする。
6:30〜23:30の毎日の勤務時間が耐えられなかった。
建設業界(私が見た中では)の閉塞感。

4.転勤をしたくない
転勤が多い上司達の家庭崩壊っぷり。
通信が発達しても「会う」ってとても大切なことだ。

5.罪悪感
ウソ書類、ウソ報告もうこりごり。
なにが白でなにが黒?

6.お金
とにかくお金が欲しいと目指した海外勤務。
本当に欲しかったのは「楽しむこと」
お金は目的を叶えるための手段のひとつでした。

7.自分自身
自分の出来ないこと、やりたくない事を他人に押し付けたりやってもらう事に罪悪感を感じるタイプです。
すぐに手伝っちゃう。

現場監督の仕事をしている上で良好な関係づくりにはいいけど、管理する側としては失格でした。

▼最後に

会社の愚痴ばかりを書いてしまったかもしれないけれど、
とても、とても成長できた1年半でした。
色んな人に迷惑もかけたし私が悪い所もたくさんです。
ただ、入社した事を後悔はしていません。
これも私の人生。
知らない人に電話かけるの大嫌いな私が1日何十件も電話かけたりね。
メタルスライムくらいは倒しました。きっと。

ゼネコン職員、とても素晴らしい仕事です。
社会にはなくてはならない仕事で毎日毎日多くの方々が奮闘しています。
私は仕事が合わず退職してしまったけれど、とてもやりがいがあってこれから先もどんどん変わっていって働きやすくなるであろう職種です。

明日から見る建築・土木工事のイメージがより良いものになりますように。

ものをつくる仕事はステキです。


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