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なぜ私が好きな事を仕事にしたいと叫び続けているか

Hello!


本日2回目の投稿です。どうか読んで下さる方が沢山いますように。


以前こんな記事を書きました。

今回はなぜ私が好きな事を仕事にしたいと叫び続けているか、その事について深堀り解説します。


もう一度過去の記事をここに置きますので、目を通していただけると大変ありがたいです。

この記事で紹介している本の著者は、中年になってから、自分の好きな事で仕事をしていこうと考えて行動したそうですが、その前に母親の死という出来事があり、自分の本当に好きなことはなんだろうと考えて、葛藤のある中好きな事を仕事にしたそうです。


似たような体験を以前SNSでも見たことがあり、やはり女性で中年にさしかかった時に、母親の死をきっかけに、本当にやりたかったことをやり始めたという経験談を読んだことがあります。


母親の死。それは、本当に人生を考えなおすきっかけとして大きい出来事だと思います。特に、女性の場合。


女性は生命を産む特性から、同じ同性で母親をロールモデルにする人が多いように感じます。自分が生命を育む性のため、自分をこの世に産み落とした母親に神聖を感じる人もいると思います。人にもよると思いますが、父親よりも、より母親の方が近い存在です。


その母親の死が娘に与えるインパクトは図りしれなく、人生そのものの枠を突然外され、もう一度、枠を自分で作っていかなくてはいけない事態に直面します。


その時に、好きな事を仕事にしたいと考えるのだと思います。なぜ、趣味ではなく仕事なのかというと、やはり、これは私の考えですが、女性は生命を産み育む性であることが関係あるのではないかと思うのです。


身近な女性を見てて思うのですが、仕事と女性って、距離がすごく近い気がします。男性よりも近い。自分を仕事と同一化する。どちらかというと、男性の方が、割と客観的に仕事を仕事と割り切っていて、女性は割り切れない人が多い印象です。


それを単なる母性という言葉で言い表すのは、表現が非常に足りませんが、今の所それしか私の語彙力では説明が難しいので、母性という言葉を借りたいと思います。つまり、仕事は女性にとって、単なる仕事以上に、身近な存在なのだと感じることがよくあります。(その心理を悪用している悪い奴も世の中には存在しますが)


おそらく、男性にはいまいち理解が及ばない領域の話にはなってくると思います。母親を失った女性が、仕事に対して本当にこれでいいのかと考えるのは、自分を産み育てた母親の無限の愛情がなくなり、仕事に分け与えていた自分の母性を、それまでしていた仕事に抱きにくくなるのではないかと。これはあくまで推測ですが。なので、好きな事を仕事にしたいという風になるのではと思ってます。


私は、上記の本の著者の方のように、母親が亡くなってから自分の好きなことをやるなんて悲しすぎると思いました。だって、そんなの本当に悲しい。私は自分の好きな事をして、輝いてる姿を周りの人に見せたい。何が何でも。


だから、好きな事を仕事にしたいと叫び続けます。誰かがいなくなってからではなく、今から。それが叶うまで。


ジェンダーの話は難しくて、議論を呼び起こすので、また書きたいと思います。


以上が、私が好きな事を仕事にしたいと叫び続ける理由です。ここまで拙い文章を読んで下さりありがとうございました。


また書きます。


See you next!







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