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【ミステリ小説】 『ソウルカラーの葬送』第一部 ④

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 第一部

 四、


 探偵事務所を訪れた顧客から一体どういう流れで職業探偵に相談や依頼がなされるのか。私はその流れを興味津々の心持ちでつぶさに眺めていた。
 依頼人である女性編集者──森元紗代子は、先程まで私が座っていたソファの位置に私がしたのと同じように遠慮がちに浅く座ると、チラチラと横目で事務所の中を見渡していた。彼女も探偵事務所という空間が珍しいのだろうか。当の主の探偵はと言えば、事務所の隅に形ばかりに備え付けられたキッチンに向かって小さなケトルを火にかけようとコンロのツマミを捻っていた。
「コーヒーにされますか?それとも紅茶がよろしいかな?」
 すめらぎが依頼人に尋ねると「紅茶をお願いします」と、やや低音の聞き取りやすい声が彼女の口から発せられた。
「オーケー。棚戸たなこ君はコーヒーだったね?ミルクたっぷりの」
 はい、と返事をしようとして少し喉が擦れてしまい、すかさず咳払いをした。するとソファに座っている森元紗代子が私のことを真正面から眺めてきた。
 目と目が合う。
 逆光の中にいる私は、きっと彼女の位置からは薄ぼんやりとした影に覆われていることだろう。少し節目がちに軽い会釈をした。紗代子はどことなく物問いたげな視線を向けてきたが、結局は何も口にはせずに頭を下げ返してきた。
 しばらくの間、キッチンでパタパタと動き回る皇の動作音だけが聞こえてくる室内で、私は窓の外の景色を眺めていたし、紗代子は身動き一つせずにじっとしていた。
 ふとそんな彼女に視線を戻すと──。
 依頼人は応接テーブルに置かれた柊まいの『白昼夢』を凝視していた。
 間違いない。創幻舎と言えば『白昼夢』の版元だ。そして彼女はおそらく柊まいの担当編集者だ。事前に皇が小説を読んでいたのだとすると、依頼内容は九分九厘、柊まいの件だろう──。
 偶然か必然か、だなんて些細なことのように感じ始めている自分にふと気が付く。
 流れに身を任せるのだ。
 ──全てがカチカチと小気味良い音を立てて繋がっていく。精密な機械仕掛けのように。
 この感覚を受け入れるだけで良い。私は自分自身にそう言い聞かせて、ともすると冷静さを欠き始める意識を頭の中の片隅へと追いやることだけに集中した。

「ここまで来るのに大変だったでしょう。朝の天気予報で言ってましたよ、日中は最高気温四十度近くまで上がるとか。おぉ考えただけで汗が出てきた。ヒートアイランド現象あな恐ろしや」
 客人にはティーカップ、自らと友人にはマグカップ。きちんと内容物によって器を分けながら湯を注いでいる皇が、独特の表現を含めながら背後の客人を労う。細かな気遣いができる男なのだろう。決して見掛け倒しの人間ではないことがわかって、どことなく安心している自分がいた。
「ありがとうございます。平日のお昼過ぎですから、電車の中は空いていました。冷房が効き過ぎて肌寒かったくらいで。外に出ると確かにヒリヒリと焼けるような日差し、と言いましょうか、息苦しいほどの暑さで。けれどわたし、夏にはわりと強い方なので案外すぐに慣れてしまうようで」
 例の耳障りの良い声音で返答した紗代子の前に、ソーサーに乗せられたティーカップが置かれた。小さな花柄がちんまりとあしらわれた白い可愛らしいカップだった。
「そうですか、そりゃあ羨ましい。僕は暑いのが苦手でしてねぇ。真冬のあのツンと鼻にくる朝のひと時が大好きです。あぁ、どうぞ召し上がってください。お菓子もあります」
 「俺」ではなく「僕」と言った皇は、今やすっかり職業探偵の姿になっていた。ズズッとマグカップに唇を当ててコーヒーを一口啜ると、
「さあて、では早速ですが今回のご依頼内容を詳しくお聞きしましょうか。棚戸君、君もこっちへきたまえ」
 皇が私のことを呼んだとき、再び紗代子と目が合った。
「いえ、自分はここで」
「そうかい。あぁ、森元さん。彼は棚戸君。棚戸埴彦君と言いまして、僕の手伝いをしてくれている友人です。彼も同席させていただいても?」
 紗代子はコクリと頷くと、再び私を見た。軽く頭を下げた私のことをチラリと一瞥した皇が「よし!」と掛け声を挙げる。
「では森元さん。どうぞお話しください」
 ついに始まる。ここから、全てが始まるのだ。止まっていた時計の針がようやく動き出す。
 未体験の緊張感が瞬間的に事務所内に充満した気がして、私は思わず生唾を飲み込んだ。

「小説家の柊まいが失踪した件については、ご存知でしょうか?」
 間髪入れずに皇が返答した。
「ええ、もちろんですとも。一時のこととは言え、あれだけ世間を騒がせましたからね」
「わたしも含めて、会社の方でも突然のことで驚き慌てまして。会社にも柊さんにとってもこれからというときでしたから。音信不通の件をすぐにご家族に連絡し、ご家族の方から警察に通報していただいたのですが、三ヶ月が過ぎても何も進展がなく。それで、色々な探偵事務所を社内で検討させていただいた結果、この度こちら様にお願いしてみようかと・・・・・・」
 紗代子は言葉を選びながら、心底困り果てているといった様子で整った眉根を寄せてそう口にした。
 皇は彼女の目をしっかりと見据えながら一度大きく頷くと、
「それでは、ご依頼内容と致しましては柊まいさんの行方および現在の彼女の置かれている状況の把握、ということでよろしいでしょうか?」
「はい、それでお願い致します」
「調査が万事上手く運び、柊さんの行方および現在の状況把握がなされた場合は、当方と致しましては速やかに依頼主様へ調査結果をご報告させて頂き、必要によっては警察への情報提供も致しますのでご了解を。まぁ特に柊さんが何か危険な状況におかれていない場合、つまりはご本人の意志で失踪状態を継続していることが分かれば、その結果のご報告のみにとどめ、その後の対処は依頼主様へ委ねることとなります。その場合も警察への報告は忘れずにお願いします。おっしゃって頂ければ当方も警察署へ出向きますのでご安心を。ここまでは?」
 噛んで含めるような皇の説明に、紗代子は緊張した面持ちで頷いた。おそらく今、彼女の頭の中には様々な可能性が渦巻いているのだろう。
「よろしい。では早速、いくつかご質問をさせて頂きます」
 皇は自分のデスクから取ってきたブラウンの革製の手帳を開くと、ペンを左手に構えた。白手袋の右手は軽く手帳に添えてある。彼の利き手が左手であることを私はこの時知った。
「まず初めに、柊まいさんの本名とご年齢を教えてください。柊はペンネームですよね?」
「はい。本名は、里見舞子さんといいます。年齢は、今年の七月で二十九歳になっています」
「さとみまいこさん、か。先月がお誕生日でしたか。早く探し出してお祝いしてあげたいですねぇ」
 皇の笑顔に、紗代子の口元も一瞬緩む。
「ご家族もそう望んでおられます。もちろんわたしも」
「僕たちも是非とも混ぜてもらおうではないか、ねぇ棚戸君。えぇと、では次、里見さんのご出身は?」
「新潟県の魚沼市です」
「お米づくりの盛んなところですね。それと冬は豪雪地帯だ」
 間髪入れずにスラスラと地方の特徴が出てくる。さすがに探偵、知識の幅は広そうだ。
「冬が嫌いだ、と以前に話してくれた記憶があります。たしか雪かきが──」
「あぁ、女性には大層難儀な作業ですからね、あれは。では森元さん、単刀直入にお聞きしますが貴女自身には里見さんの失踪について何か心当たりはありませんか?」
 紗代子にとっては、核心に迫る質問だ。ここで初めて彼女はティーカップに指を添えて、音を立てずに静かに紅茶を口にした。
「警察の方にも聴取を受けたのですが、記憶の中にある彼女の言動を思い返せる限り辿ってみても、一向に・・・・・・」
「そうですか。例えばお仕事、執筆活動で何かお悩みがあったとか?」
「確かに、柊さんはまだデビューしたての新人作家でしたからそういった悩みを抱えていた可能性は否定できません。現に二作目のことで何度か打ち合わせが始まっていた矢先のことだったので。思い詰めていた、のかもしれませんが」
「それも可能性のひとつ、ということですが原因とするには弱いと。里見さんのプライベートの悩みなどは?」
「いいえ、何も。担当のわたしもまだ柊さんとの関係も希薄で、本当にこれからという時だったので。わたしにとっても大事な時期でした」
「あぁ!でも」と、紗代子は突然何かを思い出したように、いや、何かに気が付いてハッとして自らの言葉を止めた。それをただ黙って見つめている皇。私はそんな彼らをまるで映画かドラマを観る視聴者のように受け身で眺め続けていた。
「これは警察の方には言わなかったことなのですが。というよりもすっかり忘れていました。今、この本を見て思い出して、急に引っかかって。あの、これが柊さんが失踪と関係があるようには思えませんが──」
「良いのですよ、情報は多いに越したことはない。どうぞお話しください」
 皇が穏やかな口調で先を促すと、紗代子は例の本『白昼夢』を手に取って話し始めた。
「柊さん、前に言っていたんです。ネットのとある掲示板でこの小説が話題になっていたって。それが、この小説を読了した読者は必ず不幸になる、と。『死人も出た』なんて書き込みもあったと彼女から報告されたことがあって。彼女、少しショックを受けている様子でした」
「森元さん、それは・・・・・・」
 ──不幸を呼び込む呪われた小説。


 それじゃあまるで下手クソな都市伝説じゃないかと、私は内心で嘲笑あざわらった。


(第五話へ続く)


illustrated by:
Kani様

物語の前日譚『奇譚編』はこちらから


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