見出し画像

【ミステリ小説】 『ソウルカラーの葬送』第一部 ③

☜第1話はこちらから
☜前話はこちらから



 第一部

 三、


「早速だが、棚戸たなこ君!」
 すめらぎの左手が私のそれから解かれると、彼は途端に大きな声で私を呼んだ。
「な、何でしょう」
「随分回り道をしてしまったが、本題に戻ろう。この本、これについて書店員の君が知っていることは?」
 皇が差し出した一冊。先程まで真剣な面持ちで読んでいた本だ。手にとってみて驚く。ここでこの小説に出くわすとは。
 それは少し前に本好きの間で話題になったあるミステリー小説だった。
「白昼夢。ひいらぎまい・・・・・・か」
「やはり知っていたか。一体これは何なんだ?俺は日頃小説なんて読まないから、さっぱりだ。わけがわからん。全くお手上げだったよ」
 探偵が本を読まない?意外だったので、余計なこととは思いながらもつい訊ねてしまった。
「知識を増やしたりするのって、探偵には必要なのでは?それには読書ってすごく手っ取り早いような。それに犯罪小説、ミステリーも参考になる気もするし」
「ならん。探偵にミステリー小説?まったく必要ないね。いいかい、棚戸君。現実の探偵に舞い込む依頼なんてね、浮気や素行や身辺調査、警察なんかじゃ親身になって探しちゃくれない行方不明者やら。そんな捜索探索に限られるんだ。必要なのは脚だよ、足。頭は依頼人に事実を告げる時だけに使えば良いんだ。要するに体力さえあれば探偵なんて誰にだってできる。健康第一。本なんか読んだって尋ね人は見つからんわけだ。そんなことより!何なんだ、この小説は。棚戸君、解説してくれ。俺には時間がないのだ」
 そう言って白手袋の右腕に巻かれた高級そうな腕時計を眺めて舌打ちをする。横道に逸れる原因を作り続けていたのは自分だから、反省して素直に皇の指示に従った。
「そうですね、この小説は広義にはミステリーのジャンルに属されていますが、大方の読者の意見は『幻想小説』だと言われています。著者はこの作品がデビュー作の女流作家、柊まい。経歴も何もかもが出版社に意図的に伏せられていて、作風と相まってミステリアスな印象を与えています。それは大成功だったでしょうね。実は男性なんじゃないか、なんて性別すら怪しまれていましたからね」
「ほう、その作家のデビュー作なわけだ。経歴も謎、性別も分からない、と。まぁ、小説の内容が幻想的と言うのは分かるな。場面があっちこっちに飛ぶし、靄がかかったような曖昧な表現も多い。時系列になっていないから最初と最後の繋がりしかよくわからん」
「鋭いですよ、皇さん。本当に読書しないんですか?確かに、多くの読者の声としてその分かりにくさが挙がっています。というか、ほとんどその感想で埋め尽くされています。では何でこの小説が話題になったか・・・・・・」
 そこで私は意図して一度言葉を切った。皇ならどう考察するか、それを聞いてみたかったからだ。彼は私の目を見据えてその意図を汲んだようにしばらくの間黙考した。
「ダメだ、わからん。ただ──」
 横槍を入れずに、私は黙って頷き先を促した。
「ただ、妙に会話に現実感があってな。あの男が少女を殺したことを自白するシーン。あれなんて男と少女との日常がまるで盗み見てきたようにリアルだった。しかも、その、なんだ。あのカップルの夜の描写。俺は元々苦手なんだ。そう言った男女の性的な──。要するにだ。他人様の家庭を覗き見するような、悪趣味な感じだ・・・・・・」
「皇さんやっぱり鋭いじゃないですか!探偵さんってやっぱり凄いな。そうなんです。この小説がある種の特異な興味で読まれたのは、密室のリアルさだったんです」
「密室?」
「はい。と言ってもミステリーのトリックであるところの密室ではありません。男女の、ある時は女同士の、密室性のある描写のリアルさ。普通は小説では描かれないような、些細な人間同士の感情の機微。そういった、目の前にいる実際の人間の挙動を写しとらない限り、到底表現できないような筆使いが話題になったんです。それは小説というかドキュメンタリーに近い。けれど、それを捻れた時系列が物語を幻想的な印象にさせていて、読者を煙に巻く。ラストなんて誰も救われませんしね。登場人物がみんな死んでしまうという。そして少女を殺した真犯人は──」
「小説家自身だった」
 皇がボソリと呟く。『白昼夢』は、語り手である小説家が自身の住むワンルームマンションの一室で自死の準備をするところで幕を閉じる。ダイニングテーブルの上には、遺書と呼ぶべき告白文をしたためた便箋。そこには犯罪に手を染めてしまった自身の生い立ちが長々と述べられていて・・・・・・。
「すると棚戸君。君はその著者の柊まいについての一件も知っているね?」
「はい、もちろん。一時期なんて連日テレビのワイドショーを賑わせていましたからね。そうか、あれからもう三ヶ月か。最近はその後の報道もなくなりましたね」
「柊まい。一体どんな人物だったのか・・・・・・」
 独り言のように皇がつぶやいた時だった。
 事務所のガラス扉がギイと音を立て、誰かが室内に入ってきた。
「すみません──」
 次いで控えめな女性の声がパーテーションに遮られつつ、こちらまで聞こえてきた。
 皇は一度自身の腕時計を見て、そして視線を私に移した途端にニヤリと笑った。
「依頼人のご到着だよ、棚戸君」
 依頼人。ゾクリと全身の毛穴が粟立つ。応接テーブルの上には、柊まいの『白昼夢』が。いや、まさかとは思うが。
 三度目。三度目の正直で。だとしたら神がかり的な偶然だ。

『あなたが強く望めば、あなたの切望する環境は自ずと整うのですよ』

 これは必然、なのだろうか。
 私は音を立てないように気をつけながら、窓際に移動した。逆光が作り出すその影の中に、身を隠すように。

 パーテーションから姿を現した依頼人を、皇が立ち上がって出迎えた。すかさず私は彼女を頭の先からつま先まで観察し始める。
 肩先まで垂れ下がった豊かな黒髪。細面のやや吊り上がった目。けれど冷たい印象を与えないのは、両頬に浮かんだ笑窪のおかげだろう。身長は女性にしてはかなり高い。皇とほとんど変わらないからゆうに百七十以上はあるだろう。ブラックにグレーのラインが入ったパンツスーツスタイルで、脚の長さが強調されている。
 ファッションモデルみたいな風格を纏った女性だった。

「お電話で予約させて頂きました、創幻舎の森元と申します」 
 そうして彼女は恭しく、探偵に名刺を差し出した。


(第四話へ続く)


illustrated by:
Kani様

物語の前日譚『奇譚編』はこちらから


サポートの程、宜しくお願い致します。これからも、少しでも良い作品を創作して参ります。サポートはその糧となります。心に響くような作品になれば幸いです。頑張ります!