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【ミステリ小説】 『ソウルカラーの葬送』第一部 ⑦

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 第一部

 七、

 
 ──ご面倒をおかけして、申し訳ございません。
 里見舞子の母親はその言葉通り心底申し訳なさそうな声音でそう言って、皇と私に頭を下げた。舞子の実家のリビングで脚の低い長テーブルを挟み、座布団に正座しながら両親と向かい合う。
 何とも言えない居心地の悪さだ。
 学校の教師が生徒の自宅を訪問するときの心境はこれに近いのではないだろうか。そんなことを頭の片隅で思いながら、私はすめらぎと舞子の両親とのやり取りに耳を傾けていた。
「奥さん、顔を上げてください。これが僕の生業ですのでね、調査や聞き取りこそが重要な職務なんですよ。それになんとかして早くお嬢さんを探し出したい。舞子さんが今、一体全体どんな状況にあるのかを一刻も早く突き止めたいのです。ご主人、警察の方からはその後特に連絡はありませんか?」
 それまで皇の名刺を弄んでいた父親が、ハッとした様子で顔を上げた。
「いいや、特には。こっちからも電話したりしてみてるんだけどね。なんだ、現在捜査中みたいなことばっかりで」
 父親は言い終わると大きな溜息をついて首の付け根に手をやった。疲労と困憊の影が父母ともに見て取れる。
「出版社の方から連絡をいただいてから三ヶ月も経っちゃって、正直もうあの子は・・・・・・」
 右手に持ったハンカチを口元に当てた母親が声を震わせて言い淀む。それに哀れみとも困惑とも取れるような視線を送る父親。
 私はそれをただただ無感情に観察し続ける。皇からの言い付けを守ろうと心がけている結果である。
 この家のチャイムを押す前に、皇に耳元で囁かれた。
 ──いいかい、棚戸たなこ君。これからご家族に相対する訳だが、常に冷静にね。向こうの感情に流されないように。俺たちは客観視を忘れてはいけない。会話の中から必要なキーを探し当てなければならないんだ。それからこれが最も大切なことなのだが──。
「奥さん!気をしっかり持たなければいけませんよ。ご家族が舞子さんの無事を信じて待っていてあげなければ!ご主人、これは警察にも聞かれたことかもしれませんが、舞子さんの交友関係についてどの程度把握されていましたか?」
「やあ、それがね。恥ずかしながらまったく。一人娘だからってかわいいかわいいで育てちゃったからか、気が強くて頑固でさ。言いたくなけりゃ何にも話さない奴で。東京で彼氏でもできたか?なんてからかったらえらい剣幕で怒られたよ。そんときは『仕事で精一杯だ!』とかなんとか言ってたか。仲が良い友達もなぁ、別段聞いたことはなかったけどね」
「そうですか。交友関係のトラブルはなさそうだ、と」
 そう呟くと皇は手元の手帳にメモを取る。そして右肘で軽く私の腕を突くと、目配せをして手帳へと私の視線を向けさせた。
 紙面には大きく『花蓮』とあり、グリグリと丸で囲まれていた。
 私は咄嗟にその意味に思い至る。
 皇が先に言っていた、調査で最も大切なこと。
 ──それはね、他方向からもたらされた情報の裏を取ることさ。違う視点からその情報の真偽と真意を確認してみる。そうして浮かび上がってきた像こそが俺たちの求める真相だ。最も基本で最も大切な事。覚えておいて損はないよ。
 “ソレ”を今、ここで口にしたら私たちは真相に近付くことができるのだろうか。
「舞子さんの学生時代の交友関係で一つ、ご両親の知ってらっしゃることをお聞きしたいのですが。高井花蓮さんという方をご存知ですか?」
 高井花蓮。
 私は先ほど聞いた、舞子のクラスメイトだった女性の話す“舞子と花蓮のあるトラブル”についての証言を頭の中で辿った。

『秘密にしてたノートを高井さんにだけ見せてたってことでしょ?誰にも見せないでいたんだから。まぁ絶対に見せられないけどさ、あんなの。それをよ?朝来たら教室で一番目立つ教壇の上に置かれてたら、まぁ慌てるよね。実際スゴい状態だったわ、里見さん。こう、髪の毛ぐちゃぐちゃにかき回して、教室中を睨みつけて見回してさ。でね、確かそう、カバンからペンケース出して、中身を机の上にぶちまけて。何かを手に持ったんだ。それで、そうそう!あの子、動物みたいな声で叫んで高井さんのとこに走ってった。多分ボールペンかなんかかな?席に座ってた高井さんをそれで刺そうとしたんだわ。腕振り上げてさ。うん、でもね、そのままずっと固まってた。ブルブル震えてたと思う。みんな?みんななんてあたしも含めてもうずっと固まってたわよ。動けないでしょ、怖くて。で、里見さん、フラフラーって教室出てって、そのまま不登校になっちゃったの。え?高井さん?あの子はねぇ、あの子も、その後そうとうスゴいことがみんなに知られちゃって・・・。あぁ!思い出しちゃった。こわ!じゃあ何?そっか。高井さんのゴシップ写真を学校中にばら撒いたのって、里見さんの仕業じゃん。そういえばみんなでそんなこと噂してたっけ。復讐だ復讐だって。学校の怪談みたいでさ、里見さんは死んだ、なんて噂まで出てたっけ。わー、なんかさ、そう考えると里見さんが失踪したのってなんかそれと関係ある気がしない?え?だからさ、高井花蓮と──』


「──高井花蓮さん、ですか。その子は確か──。一時期舞子と仲良くしてくれてた子、だったと思います。三年生の夏休みでしたか、ほとんど毎日、外であったり家に来たりしていたような」
「一時期ですか。という事は二人の間に何かがあって、その後は疎遠になってしまったとか?」
 皇が母親に尋ねる。母親は小首を傾げながら遠い昔を思い出すように天井を見上げていた。
「一度だけ、舞子が話してくれたことがあって。珍しく嬉しそうにペラペラ話すからよく覚えています。高井さんと作品集を作ってるんだって。あの子、子供の頃から文章を書くことは好きだったみたいで、あの夏休みに夢中になって原稿用紙に向かってた姿が──」
 再び感極まってしまった母親の気持ちが落ち着くまで皇も言葉を挟まずに待っていたが、その結果次いで彼女から聞けたことは目新しいものではなかった。つまりは舞子と花蓮の間に、その作品集を巡って仲違いがあったらしいという一点に終着した。それは先ほどの元クラスメイトの主婦からの証言と変わらない。調査に混乱を招くような齟齬がなかっただけ、まだ良かったのかもしれないが。
「高井花蓮はどうして関係を悪化させるような行為をしたのだろう・・・・・・」
 ほとんど無意識といった様子で皇が呟いた。その吐露には私も同感だった。共通の趣味を持つ友人である里見舞子を、なぜ高井花蓮は裏切ったのか。そもそも最初から裏切ることが前提で友人になったのだとしたら相当に性格が歪んでいる。しかし舞子と決別してからの高井花蓮は、むしろ舞子よりも壮絶な出来事に見舞われ退学するところまで追い詰められたのだ。
 花蓮の目的が全く見えない。
 ──高井さんがね、うちの高校の教師と抱き合ってる写真がねぇ、ばら撒かれたのよ。
 これは舞子以上のゴシップであり、確実に身の破滅をもたらす行為だ。
「これは舞子さんと高井さんのクラスメイトだった女性から聞かせていただいたことなのですが、高井さんは三年生の十一月に、卒業まであと半年を切っていたにも関わらず退学されていたようです。どうやら親戚を頼られて東京の高校に編入されたらしいと。その事についてお嬢さんからは何か?その当時でも、最近でも」
「高井さんのことを──昔と最近・・・・・・」
 考え込む妻の横顔を見つめていた夫がふと何かに気がついたようで、皇に向き直って話しかけた。
「これは近頃の娘の様子を警察に聞かれた時に話したんだけどね、警察は探偵さんみたいに過去に遡るつもりがなかったみたいで聞き流されたんだけどさ」
「どうぞ、なんでも話してください。何がどこで繋がるかわかりませんから」
「うん、そうだよな。俺ね、アイツがいなくなる日の昼間にアイツが学生時代に書いてた日記帳を届けたんだよ、東京駅でさ」
 思わぬ方向からもたらされた情報に、皇と私は顔を見合わせた。
「日記帳ですか?それってもしかして」
「たぶん、その高校三年の頃のだろうね。本当になにかしら書くことが好きだったみたいだから、小学生の頃からずーっと欠かさずノートに書いてたんだよ。今でも二階のアイツの部屋に段ボールいっぱいに入ってるよ」
「後で見せていただけますか?」
「あぁ、構わないよ」
「──ねぇ、お父さん」
 母親が唐突に割って入ってきたため、皆の視線が自然と母親に集まる。それに気がつく様子もなく、母親は夫の顔だけを見つめて言葉を続けた。
「あの子と最後に電話で話したとき、おかしなことを言っていたでしょう?」
「なんだよおかしなことって」
「お父さんにも私、話したじゃない。あの日の夜、お父さんが東京から戻ってきたら。あの子、担任の菊池先生に宛てた手紙がなんで日記帳に挟まってるんだって、すごい剣幕で電話してきたの。その話をお父さんにもしたでしょう?」
 夫婦の会話を黙って傍観している探偵。その交わされる内容に私も釘付けになっていた。
「──あぁ、俺が母さんから頼まれたけど出し忘れていたって奴か。それが一体──」
「だから、その手紙が舞子が失踪しちゃう原因になったんじゃないかって。お父さん、中身見たの?」
「見てないよ。舞子が絶対に見るなって言ってたんだろ。それに封がしっかりされてたし」
「お話のところ、すみませんが」
 今度は皇が口を挟んだ。
「警察はその日記と手紙ですか、それを回収したんでしょうか?」
 夫婦がピタリとあったタイミングで首を振った。父親が応える。
「いや、それが見つからなかったんだと。どうやらアイツ、その日記を持ち歩いてるみたいなんだ」
「そうですか。棚戸君、どうやらこれは君の推理が正しかったようだよ。里見さんの失踪には必ず過去の出来事が関わっている。奥さん、その手紙、お嬢さんは“菊池先生宛の”と言っていたんですね?」
「はい」
「その菊池先生は今も魚沼にいらっしゃるのか、ご存知ですか?」
 母親はまたも小首を傾げた。どうやらそれが彼女のモノを考える時の癖のようだった。
「もう十年以上も前でしたか、先生、行方不明になられて──」
 娘と同じ状況であったということに思い至ったのか、そこで彼女はハンカチで口元を押さえて石像のように固まったまま動かなくなってしまった。
 それは皇も私も同じだった。
 行方不明の教師。そのかつての教え子も今、行方知れずになっている。
 奇妙な符合に、私は果てのない戦慄めいた衝撃を感じずにはいられなかった。


(第8話へ続く)

illustrated by:
Kani様

物語の前日譚『奇譚編』は今回と重要な関わりがあります。


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