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【ミステリ小説】 『ソウルカラーの葬送』第一部 ⑥

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 第一部

 六、


「週末だって言うのに、ひどく閑散としているじゃあないか」
 すめらぎと私はローカル線のホームに並んで立ち、電車の到着を待っていた。右腕の腕時計を確認した皇は「あと五分か」と独りごちた。越後湯沢に着いてからかれこれ三十分、里見舞子の実家のある“魚沼中条”まではさらに電車を乗り継ぎつつ、加えてもう三十分はかかるらしい。
 私は目の前に広がる田園風景を眺めつつ、その真夏の眩しさに目を細めて返答した。
「都会の喧騒を離れて自然豊かな田舎を満喫できるんですから、自分も同行できて良かったですよ。強いて言うなら、自分も皇さんと同じく一泊できればなおのこと最高だったのですが」
「君には本業があるんだから仕方がないさ。俺はこれが生業なのだから必死になるってもんだ」
「同行させて欲しいと頼んだのは自分の方なんですから、ご迷惑にならないようにしっかりお手伝いさせていただきます。どうぞ何でも言ってください」
「そうかい?何でも?それじゃあ何をやってもらおうかなぁ。手始めに、面白い小噺でもしてもらおうかな」
「こ、小噺ですか?」
「冗談だ」
 皇がカラカラと朗らかに笑ったところで、ギギギーっと音を立てて電車が停車した。
「さぁ棚戸たなこ君、もう一踏ん張りだ。揺られていこうぜ」
 足取り軽く車両に乗り込む皇。よし!と気合を入れて私もそれに続いた。
 まるで青々とした若い稲の間を縫っていくように、小さな電車は田園風景の中をひた走る。早朝出発の疲れが出てきたのか、皇も私も黙り込んで車窓の景色を見るともなく眺め続けていた。どこまで行っても景色に変化がない。流れ去る青やら緑に、次第に私は眠気を催してうとうとと船を漕ぎ始めた。
 程なくして──。
「黒いワンピースの女」
 耳元で皇の低い呟き声が聞こえた気がして、私は咄嗟に薄目を開けた。
「幻想小説の中にあって、ある種の怪奇趣味を付与する存在、か。ネット上での不穏な評判、カレンの呪い・・・・・・」
 私はフワフワとはっきりしない意識の中、ほとんど反射的にそれに応えていた。
「里見舞子の半生における“黒いワンピースの女”に該当する人物に行き当たることができれば、この件は大きな進展を迎える──」
 私は自分のその声に自身で驚いて、思わず隣りに座る皇を見遣った。
 そこには大きく見開かれた探偵の双眼があった。
「た、棚戸君。君、今なんて──」
「え?自分何か言いましたか?」
 咄嗟にとぼけた私に向かって、なおも真剣な眼差しを保ったままで皇が問い詰めてきた。
「あぁ、確かに言っていた。俺がとてもじゃあないが思いつく事なんてできないような、どこか暗示めいたことを──。すまないがもう一度言ってくれないか。あまりに唐突すぎて記憶することができなかったんだ。頼む、もう一度。黒いワンピースの女とは、一体・・・・・・」
「すみません皇さん。たまにあるんですよ、寝ぼけている時に。自分の頭の片隅にフッと浮かんだことを無意識に口にしていることが。だから自分では何を言ったのか覚えていなくて。しばらくしたら思い出すこともあるので、その時にはお伝えします」
 皇は困ったような苦笑いを浮かべて頷いた。
「その時は是非ともよろしく頼むよ。君の方がよっぽど探偵に向いているな」
 私はそんな皇の正直な感想に鳥肌が立つほどの喜びを感じていた。大丈夫、全てはきっと上手く運ぶ。そのために私は今、ここにいるのだ。

 ──黒いワンピースの女。
 『白昼夢』の第三話【初故意】と第四話【裏見面見】に登場する正体不明の女。『カレン』の名を繰り返し口にしながら、執拗に登場人物たちを追い詰めていく。悪いモノに取り憑かれてしまったかのように、一心不乱に。いや、もはやその女自体が呪いを纏った亡者のようだ。それはヒトか、バケモノか。物語の中ではついに明かされることのない、不気味な存在なのだった。
 カレンと女の関係は?
 作者はその女の存在を描くことで、一体何を伝えたかったのだろうか──。

 魚沼中条の駅舎はとても小さく、しかも無人駅だった。どこを見渡しても駅員が一人もいない。改札すらなく、切符は出口の木箱に入れておしまいだ。そしてここにも水田の景色が相変わらず広がっていて、私は軽い目眩を感じて駅舎の外壁にもたれかかった。
 皇はと言えば手元の資料を繰り返しめくって熱心に何かを確認していた。それは森元紗代子から事前に渡されていた資料である。そこには里見舞子の実家の住所や、高校時代のクラスメイトたちの連絡先が明記されていた。紗代子が舞子の実家に根回しをしてくれて、卒業アルバムの住所録をコピーしてもらったのだという。さすが編集者と言ったところか、仕事にそつがなかった。
「里見舞子の両親とのアポまで取り付けてくれるとは。本当に気が利く女性だねぇ、森元女史は」
 まさに私もそう思っていたところだったから、深く頷いておいた。
「しかし日本中どこへ出向いても暑いな。棚戸君も疲れただろう。あそこの自動販売機で何か飲み物でも買ってきたまえ」
 そう言うと皇はジャケットのポケットから小銭入れを取り出して何枚かの硬貨を私に手渡した。良く見れば皇は少しの汗もかいていない。相変わらず女形のような涼しげな顔をしている。一体全体この男はどういう身体をしているのだろうかと少し呆れた。
「これからのご予定は?」
 買ったばかりの清涼飲料水を口に含んでひと心地ついてから、私は皇に尋ねた。缶コーヒーを一口啜った皇がそれに応えた。
「里見舞子の実家の方には午後三時頃を予定してもらっているそうだよ。ここから歩いて十五分くらいの住宅地にあるようだ。とりあえず昼飯を食えるところを探してから、まずはこの同級生名簿から当たってみようじゃないか。女流作家さんの旧友ならば彼女の秘密めいた何かをご存知かもしれないしね」
 しかし皇のその淡い期待はことごとく潰されてしまった。
 定食屋はすぐに見つかって米どころの美味米を堪能することができたのだが、肝心の聞き取り調査が捗々はかばかしくなかったのだ。
 まず、リストに記載された同級生のほとんどが地元を離れて県の中心部か県外へと出てしまっていた。その情報は調査を開始した直後に、数人の同級生たちからもたらされていた。
 もはやここには里見舞子の過去を知る人物は家族の他には誰もいないのか。せせこましい住宅地を縫うように、汗を拭いぬぐい歩き続ける皇と私の足取りは重くなるばかりだった。

「失踪した柊まいって小説家、あの里見さんなんだってね。あたし驚いちゃって」
 里見舞子の実家へと向かいながら、ほとんど諦めながら立ち寄った一軒でようやく彼女のことを覚えていたクラスメイトに出会えた。
「よかった!貴女ご存知なんですね、先生のことを。いやぁ、ここまでのご学友はそもそも里見さんが小説家になられたことすら知らなかったですからね。もっともお話ができたのはお二人だけでしたが。貴女で三人目です」
 家の中から幼い子供たちの駆け回る賑やかな音が聞こえてくる。
「たまたまね。あたし本読むの好きなんで。でも出版社の人がなんで里見さんのことを聞き回ってるの?やっぱり失踪した件で?でも警察だってこんな田舎にまで聴きに来てないわよ」
「いやぁ我々も柊先生の失踪の件は本当に驚いているんですよ。困ってもいるし。でもきっと少し疲れてしまわれて、どこかで休養を取られているんじゃないかって思っているんです。先生の身辺に不審な点が見つからないようですしね。ですから!」
 出版社の編集者に扮した皇が不自然なくらいに語気を強めた。
「いつ先生が戻られても良いように、元々企画していた『謎に満ちた柊先生の過去を少しづつ開陳する』という趣旨の連載の準備を進めていこうと。我々も立ち止まってはいられませんからね!ですからこうしてはるばると、先生の故郷に出向いてですね、先生のご学友にインタビューをと。柊先生との思い出話など、いくつかお聞きできたらと──」
 側で聞いている身としては、多少強引なところもあるけれど概ねまとまっている話のように思えた。目の前の同級生の女性も皇の熱意に押されて納得したようだったが、続く彼女の言葉はあまりありがたくないものだった。
「確かに里見さんとは三年生の時にクラスメイトだったけど、話せるほどの思い出なんてないなぁ。あの子、確か夏休みが明けてしばらくして不登校になっちゃったし。そんでそのまま退学したんじゃなかったかな。いや卒業はしたんだっけ・・・・・・?とにかくそんな感じでパッとしないんで」
「そうなんですか?先生が不登校とは・・・・・・。原因は何だったんでしょうか。やはり、その、いじめ、とか」
「やめてよ人聞きの悪い。アレはさ、里見さんが悪いんだよ。ノートに書いてたの、あの子。あたしたちの悪口を小説かなんかにして。そっか、あの頃から彼女小説家を目指してたのか。でもさ、酷いと思わない?悪口なんて生やさしいもんでもなかったんだから。クラスで人気者だった星野さんって子がいたんだけど──」
 彼女の話を要約すると、里見舞子が書き綴っていた小説モドキの中で、その星野という女子は“校舎の屋上から飛び降り自殺を図った”ということにされていた。確かにそれは酷い内容だ。
「でね、その小説が書いてあったノートが朝、教壇の上に置かれてたの。あとから噂になったんだけど、どうやらそんなことをしたのが、タカイカレンって子で──」


「ちょっと待って!誰ですって?タカイ?」
 皇が彼女の話を咄嗟に左手で制した。
「だから、高井花蓮。あの子もなんだかすごい子だったわね」
 ──かれん、カレン、花蓮。
 皇と目が合う。思いがけないところで『白昼夢』と里見舞子の人生が重なった瞬間だった。


(第7話へ続く)


illustrated by:
Kani様

物語の前日譚『奇譚編』は今回と重要な関わりがあります。


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