”Self pities” on SHOW

”Self pity” = 自己憐憫

誰でも辛いことがあれば抱くことのある、ごく普通の感情。

その人がその時とても辛いのなら、自分をかわいそうがっていいじゃないか。
私はそう思う。

じゃあなぜ長兄の自己憐憫がこんなにも苦痛なのか。

彼は頭の先からつま先までお膳立てされ、それを『俺の欲しい物じゃない』と不貞腐れ、その上でそこに座ってやるという体を取ってきた。

俺は親の敷いたレールの上しか歩かれんとぞ!お前にこの辛さがわかるか!
そう当たり散らす長兄。

父は見識を拡げるため一旦外に勤めるよう言ったのだが、嫌だ家に帰らせてくれと自ら懇願した事実。

外といっても父がお膳立てしていた知り合いの会社。
父の面目は立たなかっただろう。

何も知らないと思い、そしてかわいそうな俺を満たすため、長兄は帰省する私を利用する。

「お前は誰の犠牲のおかげで好きにできてると思っとっとか!」
「お前に俺の気持ちがわかっとか!」
「だいたいお前は親に感謝が足りん!」
「俺がこの家は全部みてやる!その代わりお前たちには一銭もやらんからな!覚えとけ!」
「・・・!・・・・・!!!」

思い立ったように始まる八つ当たり。
私は一度だって長兄に対し跡継ぎなんだからそんなの当然だ、など言ったことはない。
一度だって長兄が過分にしてもらっていることに文句や妬みを言ったことはない。

ずっと、跡継ぎは大変なのだからそれに見合っているのだろうと比べることもなく、彼は彼なりに大変なのだから、きっと私の方が精神的に強いのだから大丈夫、彼は今辛いのだから、、、そう言い聞かせ「大変だね。」と言い続けた。

そんな私に長兄は言うのを忘れない。
「俺は次兄かお前に後を継がせろち言ったっちゃん!ばってん親父が俺じゃなかといかんちいうけん・・・俺は仕方なく・・・!」

私は一度だって長兄に逃げ場を無くすような言葉を投げたことは無い。
自分で勝手に言い出し自分で勝手に落としどころを作る。

『許容』というものは自分に余裕がなければできることではない。
その頃の私は不眠を抱え、摂食に問題があり、震えが常態化し字も書けない状態だった。

それでも私が許容しなければいけないのだと思った。

「お前たちは兄妹仲が良くて安心した」
「お前だけはしっかりしているからよかった」
父が帰省の度にそんなことをしみじみ言うから。

物心ついた時から緊張状態の中にいた私はちょっとした父や母の言葉が、それでも嬉しかった。
父や母を喜ばせていればきっと大事にしてもらえる、そんな気持ちだった。

その通り、私はずっと両親にできる限りの気遣いや贈り物、言葉を掛け続けていた。
それこそ憑りつかれたように。

長兄の自己憐憫とそれを強調するための他者利用は一対で、だいたいが独り善がりでお門違いだった。

だから私の許容が崩れてしまった時、残ったのは泥臭い嫌悪感だけだったという話。

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