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はじめまして

SNSは他にもやっていますが、自分がどういう人間かということは伏せがちです。そこでは自分自身というものは上手に隠しながら、気が付けば中途半端で自分不在のモノになっています。

でも私の内側には書きたい伝えたいって気持ちが沢山です。
"ここに私はいます"と自分のことをnoteに書きたいと思います。

はじめまして😊
熊本県在住の三姉妹を育てる母親です。世界がワールドカップで盛り上がる4年に1度の熱い戦いの年に、私は出産という戦いを家族と迎えてきました。そんな4学年差の我が子たちです。

しごと

主人は鍼灸師です。夫婦で鍼灸院を営んでいます。鍼灸院という名前で開業をしていますが、鍼灸が主では無く「身体を整える」仕事をしています。
鍼灸は施しの一つで、鍼・灸・アロマ・整体・スポーツトレーナーとして運動指導などを、お客様の身体の状態とお客様の感覚を大切にしながら組み合わせて施術を行なっています。

長年かけて崩れた身体は一度では良くなりません。少し時間をかけて整えていく流れです。ここ近年は予防やメンテナンス、身体作りで来院される方も増えました。

看板も無い、宣伝もしない。主人はずっとお客様からお客様への紹介制を大切にしています。有り難い事に、ご縁があった学生からプロのスポーツ選手、年配の方まで幅広い年代の方が足を運んでくださっています。

私は自分で自分の身体を整えるセルフコンディショニングの大切さを伝えたく、体操のインストラクターの資格を取り、体操が必要な方へ、ちょっこ、ちょこっとですが教えています。

しかし今年の2月の緊急事態宣言による社会の変化を機会に、自分の仕事について向き合う時間ができ、思考をリセットし自分が本来やりたい事にも意識が向かっている現在です。

主人が職人として仕事を始めてから15年、鍼灸院として今の場所に移転してからは6年になりましたが、自営業というのは常に変動があるもので大変な年月、長くありました。

この生活を乗り越えたのだからもうこれ以上の苦しい生活はない・・・という経験も糧に、何よりたくさんの方とのご縁に心より感謝を想いながら、今日も元気に営んでおります。本当にありがたいことです。

次に独身の頃の話を書きます︎︎︎︎ね(o^^o)

独身のころテーマに抱えていたのは経験は宝
熊本 →  東京 →  熊本

熊本市の専門学校で医療事務の学びを経て、卒業式を待たない年の明けの1月、私は20歳の時に上京しました。
目黒区にある歯医者で歯科受付として勤務。後にひょんな巡り合わせから新橋にある税理士事務所に転職をし2年半ほど庶務、秘書業務を任され勤務。4年の東京生活を経て熊本に帰郷しました。

東京を去った理由は、税理士会では有名な会社だったため、会長の名前があってこそ、会社の名前があってこその自分に劣等感を感じていました。
性格がねじれてますから(今も)こんなに何もない小娘…会社に在しているからみんなが自分に良くしてくれるんだ。それがなければ自分なんかが…的な自己肯定感の低さ。腐ってますね。

たいした能力もありませんが、どこか、本来のただの自分を認めてもらいたい気持ちが大きかった気がします。

また年齢的に結婚願望も有りました。親の事や、自分が腰を下ろす場所など複雑に考えていた時期でした。
慣れない東京生活を癒してくれた大好きな東京タワー。その場所から地元の熊本にやはり腰を下ろそうと決意しました。

熊本に帰ってからは、自分が未経験で一度はやってみたいと思っていた仕事をしてみる事にしました!まずはアルバイトで居酒屋のホール係。
看板娘!など憧れていましたが、すでに看板娘兼、接客業のプロフェッショナルがいました。その仕事ぶりは本当に尊敬と憧れに値するもので、彼女から沢山、勉強をさせて頂きした。会う機会は少なくとも大切な友人の一人です。

個人経営の居酒屋でした。温かく面白いオーナーと優しい仲間に恵まれ楽しかった。体育会系で生きてきたので大きな声を仕事中に当たり前に出せるのも魅力でした(笑)

数ヶ月経ち、仕事にも慣れ、お客さんにも名前を覚えてもらった頃、その頃に店の常連客のある方から”2人は絶対気が合うから”と何度も何度も言われ、遊ぶ約束もさせられ、仲良くなったのが同じく居酒屋の常連客で店に通っていた2つ年下の今の主人です。

主人と出会ってから

主人は高校の頃には、整体師になりたいと将来の志があり、在学中にすでに東京へセミナーを受けに行ったり勉強をしていたそうです。(私はただただ遊んでいた)

そして大学の頃から整体師として働いており、卒業後は若くして店を1人で切り盛りしていました。世界一周をする事を目標に計画を立て長年過ごしてきたようです。(私はただただ自分探しの旅)

しかし私との出会いがあり世界一周の夢は大きく変更され、3ヶ月タイでマッサージの勉強、その後は私も一緒に3ヶ月ほどアジアを旅しよう!と提案してくれました。

その頃私は、居酒屋の仕事からスポーツクラブの受付の仕事に就いており、仕事の楽しさを感じていた時期でもありました。

また海外に全くと言っていいほど興味も知識も無かったので、少し悩みましたが人生の中でこんな事は二度と無いかも!面白そう!って事だけで簡単に行く!と返事をしたのを覚えています。

そんなこんなで2人でバックパックの旅に出る事に。その決断がその後思わぬ方向に進み、私の歴史が変わります。

歴史が変わるのは一瞬

それは、海外で何かトラブルがあった時にパスポートの名前が同じ方が安全だと言う義母の想いから籍を入れて旅に出る事になったのです。
熊本県出身の私と栃木県出身の主人…国内でも距離が…な感じですが、日本を経つまでの間に親や家族の顔合わせをバタバタと済ませました。

主人の家族は元気な祖父母さんと、お母さん、優しい妹さん達、みんな祝福してくれ、心から迎い入れてくださいました。

入籍の時は、市役所に用事があった祖父と一緒に栃木県の鹿沼市役所へ行きました。その時の事は鮮明に今でも覚えています!!

主人の祖父が車内で
「あそこは〇〇さん家の田んぼダンベ〜○×※◉△〜あそこは〜」
と聞き慣れない栃木弁でずっと会話をするので、ずっとまじめに相槌しておりました。これから名字が変わる手続きに行くと言うのに(笑)会話に集中している内に市役所へ到着!笑。(年配の方の栃木弁難しい!)

そして祖父を待たせないようにと入籍届けをドタバタ急いで提出しました。役所の人から「おめでとうございます」と言われ、出会って10ヶ月のうちに結婚をした私たちです。

結婚って話が出て、籍を入れるまでのスピードとイベント的なハイテンションが自分の本来の心情を置いてけぼりにしていたのでしょうね。

入籍をした日は名字が変わったという自分の歴史上の一大事を夜になってやっと実感し、とてつも無い寂しさに襲われ主人の実家で大泣きをしたのでした(笑)名前が変わってしまった〜涙 と。

旧姓が変わった時、一つの歴史に感謝

縁がある人とは話がトントントンと進むと言いますが、トントントンと進み過ぎる時には自分の心とゆっくり話をする時間も必要ですね。自分なりに頭で理解し整理したつもりでいたのかもしれませんが、実感が無かったのだと思います。

名前が変わった時に思った想いはただただありがとうの感謝でした。

旧姓の私を育ててくれた両親

可愛がってくれた家族や親戚

出会ってくれた女友達、男友達

私の人生に関わり深い理解をくれた人

年代年代、守ってくれ、側に居てくれた男性。

感謝の気持ちばかりでした。過去に関わって頂いた方がいて今の自分が在る。辛い出来事も含め、どれが欠けても、どの人が欠けても今の自分は存在しないということですね。

結婚から12年が過ぎましたが、これから自分を振り返るように日記を書いて行きます。よろしくお願いします。

また続きを書きますね☺︎

そして続き↓




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