【推し】ナチス・ドイツの陸軍最後の参謀総長ハンス・クレープス大将の生涯年表と人柄


0.はじめに

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私は今、2004年公開のドイツ映画「ヒトラー ~最期の12日間~」にドハマりしています。(原題は「Der Untergang」。意味は「没落」で、まさにヒトラーが亡くなり、ドイツが降伏し、第三帝国が崩れ去るまでのストーリーの的確な表現と言えます)

日本では「総統閣下シリーズ」で有名ですね。(ブチギレているヒトラー総統閣下に空耳、嘘字幕をあてるやつです)
https://youtu.be/CLno5xoQ-NI

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映画には、ドイツ陸軍参謀総長のハンス・クレープス将軍が登場します。ドイツ人俳優ロルフ・カニースが演じています。ヒトラーに振り回される苦労人だけど、ドイツ軍人としての責任感と矜恃が溢れているハンス・クレープス大将に感情移入して、ドハマりしてしまいました。ハマってからというもの、毎日のように映画を観ています。

「ヒトラー ~最期の12日間~」は、戦後初めて、ヒトラーをコメディとしてではなく、真剣に人間として表現するドイツ映画でした。「ヒトラー」という存在自体がもう歴史のタブーなので、当時は各国で物議を醸しました。ドイツが、自身の黒歴史である「ナチス」「ヒトラー」と向き合うという最大の試みです。ドキュメンタリー性を強めるために、俳優たちは実際の人物に酷似している人だらけで、完成度としてはヒトラー映画の中でも最高峰と言って過言ではありません。(しかし、私の推しのハンス・クレープス大将だけは実物とはあまり似ていません。実物のハンス・クレープスの写真は後述します)

映画でのハンス・クレープス大将は、第三帝国末期の陸軍の参謀総長であり、かつソ連と和平交渉を行った要人(結局失敗したけど)で、末期までヒトラーと一緒に総統地下壕にいたため、他のもっと偉い役職(ヴィルヘルム・カイテル陸軍元帥やヨードル上級大将など)よりも出番やセリフは多く割り当てられています。しかし、端役です。外道なホロコーストを行ったナチス党幹部連の面々とは異なり、残念なことに彼についての資料が少ないのです……。

そこで、推しのWikipediaの情報が薄いのがどうしようもなく嫌だったので、手に入れた資料をもとにしてありったけのハンス・クレープスに関する情報をまとめてみました。
(※ナチス・ドイツや戦争に関する思想賛美が目的ではなく、彼らの主義主張は一切支持しておりません)

▼スライド資料にすべての情報をまとめたのでこちらもぜひご覧ください。

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ちら見せ。こういう感じのまとめ資料です。

1.ハンス・クレープスの基本概要

ハンス・オットー・クレープス(1898年3月4日〜1945年5月1日)
ナチス・ドイツ政権下におけるドイツ陸軍最後の参謀総長。最終階級は大将。ヒトラー自決後の1945年5月1日、ソ連軍司令官ワーシリー・チュイコフ大将との停戦交渉を任されたことで知られる。

■勲章
2級鉄十字章 1915年8月22日 → 2級鉄十字章略章 1940年5月14日
1級鉄十字章 1917年2月6日 → 1級鉄十字章略章 1940年5月18日
ドイツ十字章金章 1942年1月26日
騎士鉄十字章 1944年3月26日
柏葉付騎士鉄十字章 1945年2月20日

■軍歴
1914年12月 曹長
1915年6月18日 中尉
1925年4月1日 中尉
1931年10月1日 大尉
1936年1月1日 少佐
1939年2月1日 中佐
1940年10月1日 大佐
1942年2月1日 少将
1943年4月1日 中将
1944年8月1日 歩兵大将

2.ハンス・クレープスの生涯年表

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※参考書籍:Gerhard Boldt著「ヒトラー最期の十日間」(TBS出版社、1975年)、Bernd Freytag Von Loringhoven, In the Bunker with Hitler :The Last Witness Speaks, 2005、Antony Beevor著「ベルリン陥落1945」(白水社、2005年)、Joachim Fest著「ヒトラー 最後の12日間」(岩波書店、2005年)、Gertraud Junge著「私はヒトラーの秘書だった」(草思社、2005年)、Henrik Eberle著「ヒトラー・コード」(講談社、2006年)

※参考サイト:
https://www.lexikon-der-wehrmacht.de/Personenregister/K/KrebsH-R.htm
https://sv.wikipedia.org/wiki/Hans_Krebs_(general)

3.ハンス・クレープスの写真

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▲1944年、バグラチオン作戦前(左端がエルンスト・ブッシュ元帥、左から2番目がヴァルター・ヴァイス上級大将、左から3番目がハンス・クレープス)

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▲撮影時期不明
左がエルンスト・ブッシュ元帥、右がハンス・クレープス
笑顔で映ってて可愛い

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▲1941年、クレープス(左)、ケストリング(右)

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▲1944年、アルデンヌ攻勢の作戦を練るモーデル(左)、ルントシュテット(中央)、クレープス(右)

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上の写真の別なものですが、モーデルとルントシュテットの間にいる人がわからず…。それにしても推しの後頭部可愛い。首の肉がむにゅってなってる。

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▲1945年5月1日、ソ連のワシーリー・チュイコフ大将との停戦交渉時の写真とされています。

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▲1941年5月1日のモスクワでのメーデーパレード参加時、左がハンス・クレープス。この1ヶ月後の6月22日に独ソ戦が開始された。

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▲1943年3月19日、ロシアのスモレンスク近くの陸軍グループセンター本部でヒトラーと挨拶する陸軍将校たち。左からゲオルク=ハンス・ラインハルト上級大将、ヴァルター・モーデル元帥、 ゴットハルト・ハインリツィ上級大将、ヴァルター・ヴァイス上級大将、ハンス・クレープス大将
真剣な顔で高々とナチス式敬礼を行っていて、ヒトラーへの忠誠心が見えますね。

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▲左がクレープス。右が上司であるヴァルター・モーデル陸軍元帥。モーデル元帥と写っているということは、1943年頃?
それにしてもおじさんたちが素手で雪合戦してんの可愛すぎて草。戦争してないで雪合戦しててくれ。

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▲撮影時期不明。左端がヴァルター・モーデル元帥、ハンス・クレープス大将、ヒトラー・ユーゲント全国指導者アルトゥール・アクスマン

見つけられた写真としては以上が限界でした。参謀総長として歴史上に登場し始めた時期が時期(1945年4月に任命、すでに大戦末期)なので、あまり残っていませんが、それでも推しが写ってると嬉しい。

4.ハンス・クレープスの人柄

W・ウェッテ著"The Wehrmacht: History, Myth, Reality"(2007)
1932年にベルリンを訪問したソ連軍代表団の記録によると、クレープスは「狂信的な共産主義者と不誠実なユダヤ人」を嫌悪していたという。

Wikipediaには「勤務態度から熱心な国家社会主義者と評価されていた」という記述もあるので、ナチス・ヒトラーの思想を信奉・共感していたのでしょう。

H・エーベルレ著「ヒトラー・コード」講談社(2006)
①新たに就任したのはハンス・クレープス将軍である。クレープスはつい数週間前に、自動車事故で負傷したヴェンク将軍に代わってOKHの作戦部長に就任したばかりだった。それ以前はモーデル元帥の参謀長であった。その機敏なところといい、活発な仕草といい、モーデルと彼はよく似ていた。クレープスはブルクドルフと、やがてはゲッベルス、ボルマンと、固い親交を結びことになった。

②この頃になると、将軍たちのなかで誰がヒトラーに忠誠を貫いているかがはっきりしてきた。それはカイテル、ヨードル、クレープス、コラー、グライム、ヴェンク、ケッセルリング、デーニッツの面々であった。

③10時30分頃、戦況を伝えるためにクレープスがヒトラーのもとにやってきた。ヒトラーがそれを求めることはまったくなかった。新しい知らせがあるときに、クレープスが自分の判断でやって来るのだった。他のメンバーにはもはや会議があることさえ知らされなかった。どのみち彼らは一日中地下壕のなかにいたので、クレープスが地図を抱えてヒトラーのところに行くのを見ると、こぞって会議室へやってきた。

ゲルハルト・ボルト著「ヒトラー最期の十日間」(TBS出版社)
④4月29日の朝、ベルントに起こされた。彼は早くもデスクで仕事をしている。しばらくして顔を上げ、事のついでのように言った。「おい、総統閣下は昨夜結婚されたぞ」。私はとんまな顔をしていたに違いない———二人は思わずげらげら笑った。するとカーテンの陰から上司クレープス将軍の断固たる声が響いてきた。「気でも狂ったのか、国家最高位者を軽々しく笑いものにするとは!」

「ヒトラーに忠実」かつ「真面目」な人柄が伺えますね。3つ目の記述はすでに総統地下壕に住んでいる頃(1945年4月後半)なので、すでにドイツの敗色は濃厚な時期です。ヒトラーも指揮する気力を失い、躁鬱状態でいたため、地下壕のほとんどが陰鬱としていたそうですが、クレープスは職務を一応は全うしています。

4つ目は、グデーリアンとクレープスの主席伝令将校(ほぼ副官のようなもの)として務めていたゲルハルト・ボルト大尉の回想録より。総統地下壕では、クレープスとその副官の2人ベルント・フライターク・フォン・ローリングホーフェン少佐とゲルハルト・ボルト大尉は同じ部屋で居住していました。

H・エーベルレ著「ヒトラー・コード」講談社(2006)
午前5時、地下壕は静まり返った。聞こえるのはただ換気装置の単調な音と、機械室のディーゼル機会群が立てている振動音だけだった。ギュンシェは椅子に腰を降ろした。だが、まもなく静寂は破られた。ボルマンとブルクドルフ、その後にクレープスが、騒々しく控えの間になだれ込んできた。三人ともすっかりほろ酔い機嫌だった。……(中略)……危なっかしい手つきでボルマンはポケットから3、4cmほどの筒を取り出すと、蓋を開けてブルクドルフに楕円型のガラスのカプセルを見せた。なかには緑色の青酸カリが入っていた。呻き声をあげて、3人は椅子にへたり込んだ。まもなく、三人の大きな鼾が聞こえてきた。

可愛い。飲むしかないよね。

A・ビーヴァー著「ベルリン陥落1945」(2004)
①ある幕僚の記録によると、『背が低く、メガネをかけ、いささかガニ股のこの男は、たえずほほえみを浮かべ、ファウヌスのような雰囲気を漂わせていた』。機知縦横で、しょっちゅう皮肉を言い、あらゆるきっかけをとらえては寸鉄人を刺すジョークやひとくち話を語るのだった。野戦司令官よりは幕僚向きのタイプで、まさにナンバー2の典型というべき、ヒトラーにはうってつけの人物である。

この記述からあふれる陽キャ感。頭の回転が速く、コミュニケーション能力があったということですね。でも後半しっかりディスられてます。

A・ビーヴァー著「ベルリン陥落1945」(2004)
グデーリアンの転出にあたり、フライターク・フォン・ロリングホーフェンは前線師団に派遣したもらいたいと申し出たが、クレープスが慰留し、『いずれにせよ、この戦争は終わる。どうかこの最終局面で私を補佐していただきたい』と言った。これを承知しないわけにいかない、とフライターク・フォン・ロリングホーフェンは感じた。彼に言わせると、クレープスは『非ナチ』で、7月のヒトラー暗殺謀議に加わらなかったのは、その失敗を確信していたからにすぎない。しかしほかの人びとは、旧陸軍大学の同期生だったブルクドルフ大将が、ボルマン=フェーゲライン一派に参加するようクレープスを口説いていることに注目していた。忠実なクレープスが軍の服従を確保してくれる、とボルマンは考えていたようだ。

映画でも行動をともにすることが多いヴィルヘルム・ブルクドルフと同期生だったことがここの記述で判明します。また、ナチ党員ではなかったこともわかります。

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(映画のブルクドルフ。下の実物写真とそっくりです)

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A・ビーヴァー著「ベルリン陥落1945」(2004)
総統地下壕からの電話でヒトラーの攻撃命令を伝達されたシュタイナーは唖然とした。そこで、自分の考えをまとめた上でクレープスに電話して実情を指摘した。しかし、クレープスはヒトラーにおとらぬほど頑迷だった。しかも、すでに手遅れだった。第一ベロルシア方面軍の右翼に対する攻撃を開始すべき、との正式命令をシュタイナーは受領した。彼と幕僚たちにも、命令を履行しなければ処刑とのおどしがかけられた。しばらくたって、このことを知ったハインリツィは総統官邸に電話を入れて、この狂気の沙汰に抗議した。すでに決定済みだ、総統は話す暇もないほど多忙なので、私から話すわけにはいかない、とクレープスは答えた

ヒトラーに忠実であるがゆえに融通が利かず、頑固な様子が伺えます。上司に持ちたくないですね。

A・ビーヴァー著「ベルリン陥落1945」(2004)
①あくる4月27日、クレープス大将は彼の指揮下の軍隊を欺いてきたナチ幹部連に追随した。和平交渉の問題については曖昧に口を濁しながらも、『米軍はエルベからベルリンまで90kmを最短時間で突破できる。そうなれば万事が好転する』と主張したのである。

②「燃え上がり、くすびり、煙をあげる大都市のパノラマが開けた。何度見ても心の底から揺さぶられるような光景だった。それでもまだクレープス大将は、もうすぐヴェンク軍が南西からやってくると信じるヒトラーに口裏を合わせていた

もう敗戦は決定しているのに、ナチ党幹部やヒトラーにへりくだって口裏を合わせています。彼自身、最も早く敗戦を理解しましたが、ヒトラーへの妄信的な忠誠心から、「降伏の屈辱は味わいたくない」「総統が起死回生してくれる」という縋るような思いがあったのでしょう。

A・ビーヴァー著「ベルリン陥落1945」(2004)
クレープスはドゥフィング大佐、ナイランディスSS中尉、それにドゥフィングの通訳を務めるラトビア人をともなって、午後10時前後に最前線におもむいた。クレープス自身は相変わらず全面抗戦論者だったが、毎日ひそかにヒゲそり用の鏡を相手にロシア語にみがきをかけていた

ソ連軍司令官ワーシリー・チュイコフのもとに停戦交渉をしに行くシーンです。毎日ロシア語の練習してたの真面目で努力家で可愛い。

Bernd Freytag Von Loringhoven, In the Bunker with Hitler :The Last Witness Speaks, 2005
健康上の理由で休暇を与えられたグデーリアンの後任は、ハンス・クレープス将軍であった。グデーリアンよりも10年若い46歳であり、クレープスは知的で機知に富んだ人物で、頭の回転が速く、勤勉だった。彼は参謀将校として急速に出世したが、部隊を指揮した経験はなかった。モーデル元帥の参謀長としてヒトラーの指令所を訪れたことで、総統の側近たちとの関係を築くことができた。クレープスはナチ党員ではなかったが日和見主義者で、彼は陸軍大学の同期生で熱心な国家社会主義者、かつヒトラーに非常に近い存在であるブルクドルフ将軍の友人という利点があった。トップポストに到達するより前に、2月半ばのヴェンク将軍の交通事故の後、クレープスがグデーリアンの代理人である彼の後任になった。そのときから、クレープスはグデーリアンと交代で作戦会議に出ていた。クレープスはすぐにヒトラーの好意を勝ち取り、その平然と皮肉を込めたユーモア性が評価された。
クレープスは非常に柔軟で適応力があり、自分の意見を表に出さないようにし、ヒトラーと対立することもなかった。彼が物事を軽んじる性格だったのか、それともヒトラーに影響を与える可能性に幻想を抱いていなかったのか、私にはわからない。クレープスは何度も私に、戦争はとっくに負けていると言っていた。彼は頭が良すぎて、このことが私たちをどこに導いているのかわからなかった。

クレープスだけでなく、前任の陸軍参謀長ハインツ・グデーリアンの副官も務めていたベルント・フライターク・フォン・ローリングホーフェン少佐の回想録。さすが最も近くにいた人物なので人物分析が細かい。仕事はできるし面白い人だけど、ヒトラーやナチスに対しては従順だったということですね。

ゲルハルト・ボルト著「ヒトラー最期の十日間」(TBS出版社)
①私はツォセンの総司令部、参謀総長クレプス将軍の控室でデスクを前にしていた。ひっきりなしに電話がかかってくる。私の机上の電話器三台をいっぺんにとりあげなくてはならないことも多かった。将軍がベルを鳴らす。防音走行ドアを排して私は執務室に入った。彼は大テーブルの前で、赤と青の印をつけた東部戦線地図に顔をよせていた。私が申告すると、将軍ははじめて顔をあげた。いつもはのんきそうな小柄な太りぎみの将軍は、つかれた目を私に向けた。

こちらも、グデーリアンとクレープスの主席伝令将校(ほぼ副官のようなもの)として務めていたゲルハルト・ボルト大尉の回想録より。「いつもは呑気そう」に見えていたんだ……可愛い……。

複数の文献をまとめると、クレープスの人柄が見えてきます。
・ヒトラーに忠実(日和見主義者)
・忠実であるがゆえに頑固者
・努力家で真面目
・頭が良い/頭の回転が速く、仕事面では有能
映画だとどうしてもヒトラーに怒鳴られて意気消沈する無能感が出てしまっていますが、経歴を見てもわかるように順調に出世コースを上り詰めてきているため、軍人としては才能(実力?)があるんだと思います。推しだから贔屓目に見てます。しかし、彼は敗色が濃厚なドイツ軍の実情をヒトラーの機嫌を損ねないために伝えようとしなかったり、口裏を合わせたりしていたので、そこは無能ポイントだと思います。

スライド資料の方にはクレープスに関する逸話など、ここで語られていない魅力についても解説しています。(少しですが、この時代の関係者についても記載しています)
頑張って作ったので、ぜひご覧ください!

また、新しい発見があり次第、加筆していきます。
それでは、品川そらでした( ¨̮ )


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