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20240512 ちょっと京都・嵐山まで・・・行きは京阪、途中嵐電、帰りは阪急

昨日は、京都へと足を伸ばした。
半日ばかりの小旅行。

幼い頃、京阪沿線にすんでいたこともあり、祖母によく伏見稲荷、三条や四条、八坂神社や祇園、河原町辺りや鴨川べり、ちょっと足を伸ばして嵐山に連れて行ってもらったのを思い出したのだ。
元々、父は嵐山の鹿王院のそばで生まれた。
父の姉兄も皆、そこで生まれ育ったようだ。
父方の祖父が京都市の消防士をしていて、転勤が有ったとのことで、途中戦中に伏見稲荷のそばへと引っ越しをして、戦争が終わる1年くらい前に召集令状が来たことで、祖母は京都を離れ出身の兵庫県の田舎へと疎開したということを聞いたことが有る。
そんなことも有って、おそらく祖母は父が幼い頃を過ごした京都へとよく連れていってくれたのだろう。
父が亡くなる前に、嵐山に出掛けていったことがあり、そこで「生まれた家がまだ有った。」というのも思い出した。
京都という街は、そういうところが有る。

四条界隈

京阪電車で京都へ出掛けるとなると、京阪沿線でも中途半端なところにすんでいる人間からすると、急行の印象がとても強い。しかしながら、京阪間のスピードではJRにかなわないため、急行が無くなって特急があちこち止まるようになった。たまたま乗った電車が急行だったので、ちょっと嬉しくなったのだ。
四条(今は祇園四条って駅の名前になっているが、ついつい四条と言ってしまうのは、古い人間なんだろうな)で降りて階段を上がると、四条大橋の東詰め。この道を突き当たりまで行けば八坂神社となる。
川端通りは、昔は京阪電車が地上を走っていたところでもあり、電車を降りたらそのまま四条通りへと出ることが出来た。今はエッチラオッチラ階段を上ってようやくここまでたどり着く。
四条大橋の右岸には、日本一だか関西一だか古いエレベーターの有る中華料理屋のビルが有る。この景色が変わらないことがちょっと嬉しい。
鴨川べりをのぞいてみると、日常の世界が有る。橋の上の観光客がたくさん歩く風景とは一線を画す感じがあるのも面白い。
日常感、その2。
鴨川の流れは、この日は穏やかで強い日差しと相まって涼しげな感じがある。

河原町界隈

東華菜館その1
東華菜館その2
電話番号の市内局番が2桁。
東華菜館横の路地、観光客まみれ。
高瀬川ぞいのコンクリートに鳩が1羽
サクラの木の枝が川の上に覆う形で、涼しげな感じがいっぱい。
人がせわしなく動いているのが、それもまた景色の一部の様に見える。

四条大宮へ

河原町から2駅ほど、阪急に乗る。このフルマルーンタイプの電車の方が、頭のところが白くぬられているモノよりもスキだ。
四条大宮の駅の階段
嵐電の乗り場
親子連れが写真を撮っていた。
年季の入った電車。

嵐山界隈

嵐電嵯峨の駅で降りて、桂川の方へと歩く。
誰も住まなくなった家。モダンな家なのにもったいない。
桂川沿い
少しづつ渡月橋へと近づく。
人がたくさん。
乗り物好きのみとしては、渡月橋を渡る京都バスという構図がスキだ。
土産物屋は観光客やら修学旅行生でいっぱい。
幼い頃に、渡月橋のそばで水がすごい勢いで流れていて「怖い」と思った記憶が有ったのだが、それがどこなのかということを確認することが出来た。
ゆったりと丸々太ったさかながたくさん。
命がきらきらと輝いているように見えるのは、自分だけだろうか?
気持ちいなぁ。
渡月橋を渡って反対側へと来た。こちらの方が若干人気は少ない。
鵜が飛んできている。

この後、阪急で大阪へと戻る。

阪急嵐山駅
昔からの駅なので、駅の上屋の鉄骨が武骨な感じになっている。
駅舎の天井を見ると、アールがつけられた形になっていて、こじゃれた感じが有る。今は機能一辺倒で、石膏ボードを貼り付けたらおしまいというのがほとんどなだけに、こういうのを見るだけでもちょっと気分が上がる。
ホームの照明はやたら凝った造りに。
阪急といえばこの色。
ランプもピカピカに磨かれている。
単線区間は駅で行き違いをする。

昨日もnoteに書いたのだけれど、次行くときは、単焦点レンズをつけていきたいなぁ。
もっと撮りたいという欲求が、この画像達を見てふつふつと沸いてきた。

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