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20220417 復職メモ 復職してから初めて休みの日に仕事をする

金曜日に締め切りの書類を金曜日に提出することが出来なかった。
元々、上へ上げる締め切りが20日の水曜日なので、それまでに上司がチェックしたいということで設けられた締め切りが金曜日だったのだ。
流石に、チェックしてもらうのにギリギリでは申し訳がない。
ということで、仕事を持ち帰ってする事は嫌だったのだけれど、繁忙期と納得してする事にした。

しかしながら、昨日リハビリに出かけたあとは、やっぱりしんどい。
なので、昨日は仕事をする事が出来なかった。

今日は、午前中2時間、午後から5時間、書類作成のためにエクセルとにらめっこ。
職場で色々と声を聞きながら仕事をするよりは、遙かにはかどったのはうれしかった。
パソコンのディスプレイも自宅の方が大きくて見やすいし。
職場にもノートパソコンに外付けで繋ぐ液晶ディスプレイは置いてあるのだが、それをデスクに置くのは「嫌われるからやめておいた方が良い」そうだ。

こうした事って、些細なことではあるけれど、困ったものだよなぁと思う。
老眼という障害を解消するために、自らお金を払い、そして誰に迷惑をかけるわけでもないことなのに、「変わったことをするのはやめておいた方が良い」という根拠で却下される。
その考え方に立つならば、足が不自由で杖を持って歩くのも、「回りにはいないからやめておいた方が良い」と言っても良いことになる。

作業効率が悪くなり、かなり無理をして集中し、身体に負担をかけながら仕事をすることを強要されているような思考になる。
「障害」「障害」と言うのは嫌なのだが、自分のような障害は回りからは見えにくい。
「足が不自由だ」とか、「視力がない」など、外観でわかりやすい障害ではない。
自分で回りに迷惑をかけないように仕事の効率を上げようとしていることに対して、理解が得られないことによる苦しみというのを感じている。

現に、少しずつ残業する時間は増えている。
休日に仕事をする状況にもなっている。
本来ならば、今日などは一週間のメンテナンスに時間を使う日のはずだった。
しかし、メンテナンスではなく、負荷をかける状態になっている。
その影響が、後々出てくるのは正直怖い。
「毎日仕事に来ることが、信用されることにつながる」なんて言葉を毎日のようにいってくる人も居る。
でも、毎日仕事に行くための最低条件を崩さないと仕事が終わらない状態ということについて、おかしいと思う感覚がないのもまた困りものと感じる。

自分を守るのは自分しかいないという状況を脱するのはなかなか難しいと感じる。

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