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デジカメ遍歴:まとめ編【仮】自分の中での写真や画像の存在(まだまとめている最中)

カメラとの関わりについて、デジカメに絞ってこれまで使ってきた物を通してまとめてみた。
そうすると、なんだか色々な事が見えてきた。

こうして、ここ20年間くらいについて振り返ってみるというのもアリなのかもしれない。

まだ、まとめ切れていないけれど、なんとなく年代別にまとめてみたらどうだろう?とおもって、メモしてみた。

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きっちりと言語化はしていきたいなぁと思う。

基本的にデジカメだけでどうこう言うことが出来るものでもないんだなと言うのは気がついた。
社会において、通信速度の大きな進展やデジタル端末の進化、共有の方法などがこの20年の間に変わったことは、やっぱり人と人とのコミュニケーションであったり、コミュニティの形成において大きく影響しているのは間違いない。

そして、その世の中の流れの中に、自分もどっぷりとはまっているというのが実際なんだろうなぁ。
情報を得るのに、図書館や新聞記事を検索するというのは、確かに今でも有効かもしれない。しかしながら、デジタル社会になったことにより、世界中の誰もがメディアとしての発信者となった。それぞれの発信者は、自分の持って居る専門性に則ったものとしての個性を発揮している。
そして、そういった情報を高度な検索技術によって探し出すことが容易になった。

そんな世の中での「写真」や「画像」の立ち位置はどうなのか?

それが、カメラについての状況の変化につながっているのだろう。

そうすると、ここまでまとめてきたデジカメ遍歴は、そのまま自分と社会との距離感を示すものそのものという事も出来る。

そうしたところで行くと、自分の場合はまだ「動画」という所との接点が薄い。だから、動画撮影のための「カメラ」というところにこだわりが向いていないことにもなる。
これに関しては、自分の範疇では無いとも感じていることと、これまでの動画のメディアは、技術の進歩によって二度と再生出来ない状況になるものというところもあり、そこには手を出しにくいとも感じている。
実際に、VHSのビデオテープはスゴイ数あるが、ビデオデッキはかれこれ10年近く動かしていないから、今後見ることが出来るかどうかも怪しい。
仕事では2000年代初頭はデジタルHigh8を使っていた。これがMiniDVになったことでハードがなくなり、いざそれらの動画をまとめようとした際に再生出来る機材を探すほうに苦労することもあった。
デジタルビデオカメラになってからも、メーカーによって記録方法がまちまちでコンピュータに取り込んでも見ることができないということが有る。
おそらくそうした流れから、嫌気が差して普通のデジタルカメラによる動画の撮影という流れになったのだろう。メーカー全体でユーザーを囲い込むという方法は、立ちゆかない。

まあ、ちょっとこのまま書き続けると話が広がりすぎて、ダメになりそうだな。
今日は、ここらあたりで止めておくことにする。

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