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支援者は良き伴走者であれ

金木犀の花が咲く今の時期、心大きく揺れる人が多いなあと感じる。

毎年思う。

季節の変わり目、涼しさが増してくる頃は、物悲しい気持ちになる人も多いのだろう。

「さみしくなってきちゃった。」
「体調良くないんだ。」
「歩けなくなってきて、どうしよう。」
「本当に困ってました。」
「どうしたらいいかな。」
「ちょっとしんどくて。」
「こんなこと言っても何にもならないんだけど、でも聞いてもらってよかった。」
「話まとまらなくてすみません。」
「聞いてくれてありがとう。」

こんな言葉たちを耳にする。

ある人は、今入院中で、病棟からたまに電話をくれる。
今の症状や体調を教えてくれて、家に帰ったらよろしくね、とお話される。

ある人は、配偶者のある症状がなかなか良くならなくて色んな病院に行っている。病院に行く日は連絡をくれ、結果がわかったら連絡をくれる。

毎日色んなことがある。

わかりやすい答えがすぐにでたらいいけど、そんなことはほぼほぼなくて、答のない問を一緒に共有して、共感し、何ができるか考える。
ただ、話を聞くだけのことも多い。

色んな過程があって、それを共有する。

時間が経過することで、症状や状態に変化が起きて解決していくことも多いし、解決していかざるを得ないことも多い。

日々進行していく病気なんかでは、日々意思決定をくだしていかなくてはならない場合も多くて、心は大いに揺れる。
心は行ったり来たりする。
その思いをただ聞く。

でも聞くだけではなくて、私は一応専門職として、誇りを持ちながら、支援者として、思いやりの気持ちをもち、できることをやっていくしかないのだ、と思う。

何もできなくても、時間を共有するそのプロセスこそを大切にしていきたいと思っている。

よく支援者は良き伴走者であれと言われるが、本当にその通りだなと思う。

はてさて、良き伴走者とはなんぞや、と思い追求しながら、この心揺れる季節、私も良き伴走者でありたいと思う。

読んでくださり、ありがとうございました。

そら


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