まほうのて
わたしが身体のどこかを痛がると、3歳の娘が飛んできて撫でてくれる。
お腹が痛い、と言えばお腹を、腰が痛いと言えば腰を、「よしよし」と言いながら優しく撫でてくれるのだ。そのちいさな手の感触が、あどけない声が、たまらなく愛しくて、気持ちが良い。
触れられた部分からぬくもりが伝わって、ほんとうに薬になる気さえする。
「もういたくない?」
と、聞くので、痛くなくなったよ、ありがとう。そう答えると、彼女は満足げに頷いて、先ほどまで遊んでいたおもちゃたちのもとへいそいそと帰っていく。
そしてわたしが真の薬を持ってキッチンへ行くと、すぐに娘の声が追いかけてきた。
「ママ?なにのんでるの?」
なんとまあ、よく見ていること!慌てて錠剤を水で流し込んでから、薬だよ、と正直に答える。
「まだおなかいたいの?」
そう言いながら、答えを聞く前に娘はふたたびわたしのもとへ走ってきて、よしよし、とお腹を撫でてくれた。
「ありがとう。娘ちゃんがよしよししてくれたから、もう痛くないよ。このおてては、まほうの手やなぁ」
娘の手を握る。やわらかくて、つるつるで、さらさらで、ふわふわのちいさなおてて。
この手にずっと触りたかった。この子がまだわたしのお腹の中にいた頃から、ずっと。
娘がお腹の中にいた時、大きく膨らんだお腹の内側から、ぐぐ、と強く押してくる物があった。
あれは胎児の手であったのか、それとも踵だったのか、わからないけれども、当時のわたしはなんとなく手だとおもっていた。お腹の上から何度もそのかたまりにそうっと触れた。
元気に生まれてきてくれますように。
この手と、たくさん手を繋げますように。
有り難いことに、その後、我が子は元気に産声をあげた。
エコー検査で見たふくふくのほっぺも、お腹の上から触れていた手も、いまはわたしの手の届くところにある。
うれしいなあ、幸せだなあ。
触れるたびに、繰り返しおもう。この幸福をいつまでも忘れてしまわないように。
いつか、このちいさなまほうの手が、わたしたち夫婦の手から離れる時がきても。
(2020/06/02)№2
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