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心と身体⑥

退職

 12月31日付で退職することに。
10人いる同期の中で2人目の退職である。
もっと続けたかったという気持ちは、正直あった。
お給料も良かったし、お休みも取りやすい環境だった。
仕事は好きだった。仕方ない。

 退職日の午後からは挨拶周りの時間にさせて頂けたので、お世話になった方にご挨拶にいった。皆さん温かく、よく頑張ったね、お疲れ様、元気な子を産んでねと言っていただき、沢山の花束を抱え、顔を見ては泣きあって、お別れをしました。
同期が開催してくれた、送別会で主人からの手紙をもらった。
友達が主人に頼んでくれたようだった。
今までお疲れさまでしたと・・・。
そう、と・・・・。何が書いてあったか覚えちゃいないし、その手紙も何処にやったか覚えてもいない。
  あなたにはわかるまい、この私の気持ちが・・・と思っていた。

 私の主人に対する気持ちは複雑でした。私が続けて、あなたが仕事を辞めて家庭に入ってくれても良いと、本気で考えあえたこともあった。
 環境も、体型も(?)変わらなくてはならないのは結婚生活においては絶対に女性の方だ。様々な変化に対応しながら女は強くなるのである。
 出産予定日は、4月25日。4月からは息子たち二人は新しい地元のボロボロ幼児園に変わります。

3人目

 仕事を辞めてからは、時間の流れがゆっくりになり、仕事に行くモードはすっかり私の中から消えた。改めて思ったのは、子供と過ごすのは大変だということ。正直に言えば、仕事していた方が楽だった。

 地元のボロボロ幼児園に4月から登園。
  出産までは実家の手伝いに行きながら短時間の保育を頼めた。家から少し離れた場所が園バスのあつまり場所なのでそこまで3人で歩き、帰りもお迎えはそこまでいけばバスが来てくれた。近所には同じ世代の夫婦が沢山住んでいたので同じ園の方も沢山いて、あっという間にお友達もできて、楽しい田舎暮らしを送っていた。
 今まで無縁だった、地元のコミュニティに誘ってもらったり知り合いはどんどん増えた。
 田舎の開けた平地に沢山の鯉のぼりが泳ぐ頃、出産の日は来た。
早朝より、鈍いおなかの痛みがあり主人には仕事を休んでもらった。
 主人が子供2人を園バス乗り場まで送っていった。その間かなり陣痛の感覚は狭くなってきていた。早く戻ってきて~と家の中で耐えていたら、主人がご近所ママたちと談笑しながらゆっくり歩いて戻ってくるのが見えた。
おい!状況わかっとるか?イラっとした。
 車の中では、痛くて座れず後部座席でうんうんうなりながら、必死で耐えた。自宅からは15分もあれば到着する、田んぼの中の平屋の産婦人科。
 途中の細い道で、トラックが侵入してしまい何度も切りかえしを始めたのを見て、ああ・・・・終わった。間に合わない・・・。と思った。
 なんとか病院に到着し、車から降りて玄関に行くまでに痛みで動けず、車に掴まって波が引くのを耐えた。主人は荷物持ったまま見ていた。男はなんもできん。病院に入ったらもう、そのまま分娩台直行だった。早い!

『えっ?えっ⁈私、もう産むの?』
 あっという間に剃毛。先生登場。
先生『はい、次の来たらいきむよー。あっ、外来10分遅れるって伝えといて』
看護師『はーい』
 何?10分で産むの?私?先生?
 上に乗ってぐいぐい押してる。
 ひぃ~。生まれた。
先生『あれ?デカいな~』
看護師『4224gね~』

4224g!!デカっ!!

娩出時間は午前9時10分。
上の子2人が園バスに乗ってから1時間経っていない(早っ)
超スピード出産。
上2人と同じ、勤め先だった病院で出産希望しなくて良かった。
いや、ほんとに。







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