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発達障害と『「個」の時代』

コモンセンス(常識・良識)

人間は身体の5感の感覚を用いて生活しています。その中で、その5感の一人一人の発達の度合いは異なります。

ある人は視覚が他の人よりも精妙に見えているが、聴覚認知が苦手。ある人は嗅覚の感覚が敏感だが、視覚や聴覚の情報処理は苦手・・・というようにその長短のパターンは一人一人異なります。

その中で、人間はコミュニティーを創り、助け合いながら生きていきました。

一人一人の発達的な特性は異なり、感じる個人的な世界は異なります。

しかし、コミュニケーションを創り、コミュニティーを維持するには、共有の媒体がなければ成立しません。「みんなと同じように感じている感覚を共有化する」ということを行わなければコミュニケーションできません。

そこで、人間は言語という道具を用いてコミュニケーションの交流を盛んにすることで、そのコミュニティーは複雑にも多様な決まりや制度が発展し、社会へと成長していきました。

こうしたそのコミュニティーに属する多くの人々が共通し、共有している感覚をコモンセンス、つまり常識や良識と呼びます。

そのコモンセンスはコミュニティーによって異なります。これが国によって文化や制度が異なる理由の一つです。

しかし最初に話したように、もともと人間一人一人の感覚は異なります。こうして人は、個人が感じている独自の感覚と、社会が感じているコモンセンスと二つの世界を持つことになります。

このコモンセンスは細分化すると、家庭、職場、交友関係・・・と色々な場に分かれています。

人間は進化の過程で、情報空間にまでその知覚の範囲を伸ばしてきました。家庭、交友関係、職場、と言った場は言語を用いたコミュニケーションが多いので、情報空間の比重が大きいものです。

そして、前頭前野で日々思考する割合がとても多い。

時代が進むにつれて、個人的なオリジナルの感覚を感じているよりも、コモンセンスの場にアクセスしている時間が増えてきました。特に情報化の進歩によるSNSの発展でますますその傾向は強まりました。

気がつけば常にスマホを見て、情報空間の中にいる光景は、ほんの20年前までは全くなかったことです。

発達障害という個性

もともと個人個人の発達模様は一人一人異なります。その中でも、発達障害というものは、コモンセンスからの逸脱する範囲の割合が大きい状態であるとも考えられます。

つまり、発達障害の人々はコモンセンスと自分が独自に感じている身体感覚との間の隔たりが大きいのです。

そうなると、コモンセンスを共有している人々との間でのコミュニケーションで、かみ合わないという現象が多々起こります。

それば「TPOをわきまえない」「場の空気が読めない」といった現象として表出されます。

人間は群れで生活し、生き延びてきているので、群れを形成するコモンセンスをくみ取れない、共有化出来ない、という事態はその個人の「死」を連想させます。

また、コモンセンスを共有している群れにとっても違和感を感じます。

群れとその個人と双方に、アンハッピーなわけです。

お互いに、つまりストレスが溜まりやすい。

ストレスが加わると、不安や恐怖の情動を司る扁桃核が発火します。そして不安と恐怖を基にした辺縁系優位の思考パターンが習慣化します。

それに伴い、身体は活性酸素が増加し、酸化します。簡単に言うと、体中が炎症を起こしている状態になります。

だから

発達障害の偏りが強すぎると・・・
=「5感の感覚のアンバランスさ」(アレルギーとしても表現されることが多い)
=「コモンセンスとの隔たりが大きくなる」
=「不安と恐怖が喚起される」
=「情緒の不安定さ、慢性疲労が生じやすい」
=「その不調にはっきりとした理由が自分で分からない為、無駄に自尊感情を損なう思考が発達する」
=「コモンセンスへの不安と恐怖、敵意といった感情が芽生える」
=「その個人への理解者が少ない為にコモンセンスとますます離れてしまう」

というようなチェーンアクションと悪循環のループが現象化する確率が上がります。

人間は失敗を記憶にとどめておく機能がある

人間は進化の過程で、成功よりも失敗を記憶にとどめてく機能が発達しました。

いつもと何変わらぬ同じ光景の道の記憶よりも、ある時その道で毒蛇に遭遇したときの記憶が印象に残りやすい。

何故毒蛇に出会った記憶の方が印象に残りや易いかと言うと、それは自分の命に直結することだからです。だから、次にその同じ道を取る時に、また毒蛇に遭遇しないか工夫を凝らしたり、違う道を通ったりするという戦略をたてます。そうやって、種としての生存の確立を伸ばしてきました。

発達障害傾向のある人は、コモンセンスからの逸脱が特徴の一つとして挙げられます。そうなると、それが「失敗現象」として認知されると、自己肯定感と自尊感情が低下してしまいます。

このような背景あるために、未だに発達障害について、社会と個人の中でネガティブなバイアスがあるように感じます。

発達障害がなければいまだに人類は原始時代の生活を送っていた

しかしながら、発達障害人がいなければいまだに人類は進化・成長せず原始時代の生活を送っていたという論考があります。

その理由は、地球環境は長いスパンで見てみると、常に変化しているというとから考えられます。災害大国日本は、夏は台風が頻発しで、活断層プレートの真上に日本列島が位置していることから世界で有数の地震大国でもあります。

また、疫病や病、戦争といった環境を激変する出来事が沢山ありました。

それに伴って、人間の共同体コミュニティーは破壊と再生を余儀なくされていました。

共同体はコモンセンスを中心に機能しています。そして、コモンセンスは常識と良識、固定観念といった過去からの現状維持を基本とします。

コモンセンスの役割として、安定を保つには良いのですが、変化の時には安定、つまり「現状を維持しよう」とする力はマイナスに働きます。

激変する環境に適応せず、昨日までの生活にこだわり続けると、下手したら、そのコミュニティ―の滅亡を意味します。

つまり、このような非常時には、コモンセンスでは捉えきれない、既成概念を取っ払った知覚と思考・情報処理を行う発達障害人が、革命的な発明や、既成概念にとらわれない考えからの方針を打ち出し、その危機を乗り越え続けてきました。

彼らは偉人や天才と言われ続けました。

著名な人々を上げるとアインシュタイン、スティーブ・ジョブズ、イーロンマスク、エジソン、レオナルド・ダィヴィンチなどコモンセンスを超越した視点と感性を発揮し、コモンセンス自体の意識変容に貢献してきました。

そうしたわけで、私たち人類は今日まで生き延びて文明を発達させてきました。

激動化する時代

では現代はどうでしょうか!?

環境問題、パンデミック、IT技術により根底から覆される生命観、誰しもが激動の時代ということを認めざるを得ない時代だと思います。

一例を挙げると、トランスジェンダーや在宅ワーク、AIの発展による生活の変化など、これまで保たれて来たコモンセンスはありとあらゆる分野で変化を余儀なくされています。

こうした状況では、これまで生きづらさを感じていた発達障害人が今こそその真価を発揮しやすい時代だと感じます。

いや、発揮するべき時代です。

つまり、コモンセンスに隠れて、今まで見えなかった世界と情報を共有化し、よりバージョンアップしたコモンセンスに書き換える時代になっているとも思えます。

とはいえ発達障害人だけがこのことにあてはなるわけではありません。発達障害人はコモンセンスからの隔たりの程度が、ある一定値を超えた状態だと仮定するならば、

今現在そのコモンセンス自体が機能を果たせずに崩壊しているとすれば、

コモンセンスを共有していた全ての人々がいったん自身のオリジナルの感覚に立ち戻らざるを得なくなっているからです。

つまり一言でいうと、『「個」の時代』

ということになります。

結論を言えば、自分自身の感覚をコモンセンス、つまり他者と比較して評価するのではなく、「これでいいのだ」と全肯定したうえで、他者を尊重し、コミュニケーションを取っていくということです。

そうすることで、コモンセンスからの評価や繋がり云々で、不安と恐怖に費やしていた無駄なエネルギーを無くすことが出来ます。

余ったエネルギーで、創造的な人生を創造することが新たなよりバージョンアップしたコモンセンスの想像に繋がります。

つまり、エネルギーの経済効率が良くなります。



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