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映画『落下の解剖学』頭の中に証拠を集めれば集めるほど、選択肢が増える


先日、『落下の解剖学』という映画を見た。
最近、映画館で映画を見ておらず久しぶりに何か見たいな~と思い上映スケジュールを見ていたところインパクトのあるタイトルに興味を惹かれた。

2時間半という少し長めの映画でありつつも、最後までまったく飽きることなくとても面白かった!!
何年かぶりに自分の好きな映画ランキングの上位に食い込んできたほどに。


次々と出てくる新しい証拠。
映画を見ている私たちは裁判の傍聴席に座っている1人のように、はたまた検察側か弁護側か。それとも全てを俯瞰して見ているのか。
どの立場で見て考えるかによって、いくつもの楽しみ方があるだろう。

裁判ではあらゆる証拠や証言によってだんだんと核心に近づき、それをもって有罪か無罪か最終判決を下されるのが通常の流れだろう。
しかし、この映画ではそうじゃない。むしろ逆である。
新しい証拠が出てくる度に、新しい選択肢が増える。

映画を見ながら頭の中で紙にペンを走らせて証拠や証言を整理していく。
それをするほど核心から遠ざかり、ぼやけていく。
それが面白い。

そして、作品の中に散りばめられている数々のテーマ。
紙に書きだしただけでも10個以上は見受けられた。
そのすべてのテーマが「男性が落下した」というこの映画の内容に繋がっている。
映画を見ている観客がどのテーマを拾い上げるか、どのテーマに重きを置いて考えるかによっても物語の解釈が変わるだろう。

実際、私自身が拾い上げたテーマだけでも複数の展開が生まれた。
この映画の面白い点は、観客の解釈次第でいくらでもストーリーが生まれるということだ。

私は1人で観に行ったが、同じ劇場にいた人に「どう思いました?」と映画の感想を聞きたくなったぐらいだ。観た人と語りたくなったほど観終わった後もしばらくは興奮冷めやらぬ状態だった。笑

そして、この映画の中でキーマンとされている息子のダニエルと愛犬のスヌープの演技が本当に素晴らしかった。
メディアや多くの人々に絶賛されていた理由がわかった。あれは凄い。
彼らの演技はまるで心臓から送り出される血液のように自然と全身に巡り、それらが一気に心臓に集まったような。彼らの演技にくぎ付けになり、自然と涙がこぼれ落ちた。

あくまでも個人的な感想だが、あの映画で男性が落下したのは自殺だったのか、他殺だったのか、それとも事故だったのかが重要ではないと感じた。
「自分は何を信じるのか」ということが1番大事なのではないかと。
真実を追求するのではなく、何を真実にするか、だ。

それは人生や現実社会にも通ずることだと思う。人生は選択の連続というように、生きていれば迷うこともたくさんあるだろう。シンプルに迷うこともあれば、周りのノイズによって分からなくなるということもあるだろう。
だが、どんなことがあっても自分の人生の歩みを進めるのは自分だ。
「自分の信じたことが真実である」

この映画を見ながら考えるのは面白いことだと改めて感じた。
深く深く思考に潜っていくのは、とても楽しい。
潜って潜ったのち、浮上してきたときの疲労感も含めてね。
一晩寝ると「あれ、こういうのもあるのでは?」とまた違う考えが浮かび上がる感覚も好きだ。

洋画は字幕で見るのが好きな派なので、
観賞中、字幕を追うこと、言葉の意味を理解すること、物語の内容を整理することに頭の処理が追いつかなくて何度か頭がバグりかけた。笑
ん?と、え?が混ざった「んえ?」が頭を駆け巡ったら、スプライトを飲んで一旦落ち着いて。それもまた面白い。
2回目、3回目と何度も観たいと思うし、今度は違う角度から観たいなとも思う。
きっと私はあと何回か劇場に足を運ぶことだろう。

さて、この映画を観た人はどんな解釈をしたのだろう?


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