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どうして『太陽』の写真を撮っているのか?  その1

フリーランスのカメラマンです。 舞台や人物、イベント、旅などの写真を撮影しています。

そして、ライフワークとして『太陽』の写真を撮っています。せっかくなので、自己紹介も兼ねて、2011年5月にギャラリー冬青で写真展『ゆらぎ太陽』を開催した時のステイトメントを少し修正して此方で紹介させて頂きます。この時に展示した『太陽』の写真は全てカラーフィルムで撮影し自身で暗室でプリントした(CP print)になります。


『太陽』の写真を撮り始めたのは2000年代です。それまでは自分では職業カメラマンタイプで自分から写真を通して何かを伝えたり、作ったりする『作家』ではないと思っていました。けれど仕事で使うカメラを「フィルムカメラ」から「デジタルカメラ」に変えて暫くたった頃、ハワイで撮った写真を一枚見直した時に「あれ?」と思いました。(写真集「沁みる太陽」の一番最後に掲載した一枚。)この一枚が自分が『作家』として活動を始めたきっかけになったと思います。そして、振り返ると、デジタルカメラの登場にも大きく影響を受けました。デジタルでの撮影を仕事で続けていくうちに自分の「身体と心」が悲鳴に近い何かを挙げたのです。(これは簡単な言葉で説明する事が難しいので後日ゆっくり書こうと思います。)

それ以前も旅先や日常で写真を沢山撮ってはいました。けれど「デジタルカメラ」を仕事で使い始めてから、仕事以外は「フィルムカメラ」で撮影して自分の中でバランスを取る事が必要になってきていました。

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「どんな写真を撮っていますか?」と聞かれるとまずは「太陽の写真」を撮っていますと説明しています。詳しく説明すると、「太陽とその光」をフィルムにとらえる為のメディアとして『植物』」を選択して、見えないけれど私達が五感で感じとっている確実に存在する『目に見えない何か』をフィルムに映したくて『太陽』の写真を撮ってます。』になります。(太陽を撮る為に植物をメディアに選んだ理由はまた別の機会に説明させて貰おうと思っています。)

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ゆらぎ太陽

『太陽』は生命の源であり、希望、幸せ、未来、そして生きる喜びを私に感じさせてくれます。
太陽の光を浴びながら撮影する時間は、自分の「今」と対峙し、確認する為の時間です。
「今」を写し取る撮る事は同時に次の瞬間「過去」になる瞬間を記録する作業ですが、私にとって『太陽』を撮る事は同時に希望にみちた「未来」をフィルムに閉じ込める作業です。

そして、太陽の光を写したフィルムには、
私達をとりまく様々な波長から伝わり生じる目には見えないけれど五感で感じる確実に存在する「何か」、そして身体の中から出てくる感情と言う「波」、
『香り、音色、風、熱、湿度、ぬくもり、苦しみ、喜び、楽しみ、悲しみ、不安、恐れ、怒り、痛み、気持ちよさ、そしてめまいがするような何か、』が写しとる事が出来るのではないかと思いながら撮影しています。

認識する目に見える限られた世界を意識的に消失させる。
成長する課程で覚えた知識や価値観から自分を解放する。
太陽の光だけを見つめる事で出会える新たな風景を楽しむ。
五感を通して身体の外側で感じられる様々な波を自分の肉体を通し感情という名の別の波に変換し吐き出す。
自分から発せられた波を太陽の光を通してフィルムに記録する。
全ては錯覚の上での作業かもしれません。
けれど想像する力が希望を感じさせてくれる、その時間が私はとても好きです。

2011年の太陽は私の身体を通して見ると違って見えました。

2020年の今は同じに見えます。

太陽には国境がありません。

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"ゆらぎ太陽" はその様な作業を繰り返し、目に見えない波にゆさぶられながら撮影した、"游ぐ太陽"と"1/fの太陽"で構成しました。
"游ぐ太陽 Sunshine Pulse" では、先の見えない不安感に強くつつまれた社会で、自分の生活圏である東京の空気と水で育つ桜を媒体として太陽の光にレンズを向けました。生まれ育った日本を象徴する桜に自分を投影し、太陽の光を希望、闇を現代社会に潜む不安に置き換える事で、その間をゆれ動く自分の感覚や感情を写真に写し撮る事は出来ないだろうかと考えたからです。
”1/f の太陽 Sunshine Volitionでは、地球の生態系のバランスが崩れ身体の外から負の波を感じる事が多い今、自分の内側にある意志の力や選択をするという事の重要性を考ながら撮影をしました。
負ではない何かを選択をする。強く生きる為の選択をする。
まず、一番好きな季節に一番気持ちがいいと感じる太陽の光をフィルムに記録する事から始めました。

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Yuragi Taiyou (Sunshine Pulse, Sunshine Volition)

The sun is the source of life and it gives me hope, happiness, future,and the joy to live.
The time I spend doing photography while basking in the light of the sun is important and necessary for me in order to come face to face with myself and establish a relationship with myself " now" .
The memories that are summoned up by taking photographs in the warm sunshine invoke to me a future filled with hope.
I take photographs imagining that perhaps I can transcribe something that was invisible to the eye into the film holding the images of the sun's light. For example, fragrance, timbre, wind, heat, temperature, warmth, joy, pleasure, sadness ,fear, worry, anger, pain, comfort, or vertigo, are transmitted from the various waves all around us.

To consciously erase block out, squelch, suppress the world that is limited to that which can be confirmed by the eye.
To release myself from the knowledge or values I learned in the process of growing up.
To find pleasure in an original scene or view that I come upon by looking exclusively at the sun's light.
To make a statement by taking the waves that come into me through my five senses and transform them into a different set of waves that correspond to the emotions that come from within me.
To record on film the waves that emit from me by way of the light of the sun.

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Perhaps the entire process procedure is based on a fallacy However I very much like this time that ?evokes ?hope through the power of the imagination.

In "Yuragi Taiyou " I retraced these processes over and over taking photographs while being rocked by these invisible waves and constructed them into "Sunshine Pulse" and "Sunshine volition."
In this time of such uncertainty about the future I turned my lens to the sunlight on the cherry trees that grow in the water and air of Tokyo, the place where I live.
I thought I might be able to capture myself in the photos of the cherries that are the symbol of Japan where I grew up, by exchanging the emotions and senses that were in fluctuation between the hope in the sunshine and the darkness of the insecurity sinking into modern society.
n Sunshine Volition, on the other hand, I tried to focus on an internal world now (in resistance to) an external world where one feel a wave of defeat form the sense that the balance in the environment is falling apart. With my own will I choose not to be defeated. Above all I try to I record on film the season and light that simply feel best to me.

The sky over Japan, in 2011, appears to me different now.

The sky over Japan , in 2020, appears same for me , NOW.

Indeed there is no national boundary in the sun.

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時々、見てくれると嬉しいです。