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【短め短編小説】2126年、永遠の平和 #シロクマ文芸部 #平和とは

 平和とは……
 20世紀においては、テクノロジー、特に弾道ミサイルに搭載された核、化学、生物兵器が人類を死滅させないことを意味しました。
 21世紀においては、気候変動が引き起こす巨大な嵐、高波と洪水、熱波と寒波が人々の生活を破壊しないことを意味しました。
 そして、22世紀、私たち人類は、ついに完全な平和を手に入れることができるようになりました。
 さあ、あなたもこの小さなオレンジ色のタブレット〈パナセア〉を試してみてください。永遠に続く心の平和が得られます。
 心の平和こそ、誰も邪魔することのできない、本物の平和です。

 黒髪の美女、リリはそう言って私の部屋で微笑むと、オレンジ色のタブレットを口に放り込んだ。

 とはいうものの、彼女は空間に映し出されたCMの三次元イメージだ。地球人口が2億人まで急減し、人類が絶滅の危機に晒される2126年、視聴者は、動くイメージをいつでもどこでも好きなように映し出すことができる。

 リリは完美生活製薬のイメージキャラクター。完美生活製薬は、何があろうと日々、至福感で満たされる心の万能薬を開発した。

「まるで麻薬ではないか」との批判もあったが、心の万能薬〈パナセア〉は麻薬とは違い、健康や人生を破壊することはない。麻薬のようにやめるためにリハビリ施設に入る必要もない。やめたい人のためには、簡潔かつ完全なマニュアルが必要なデバイスとともに同梱されている。

 一部の有識者が〈パナセア〉の過剰使用に懸念を示したため、2103年までは医師の処方箋なしに手に入れることはできなかった。しかし、今では、誰でも中毒になることを恐れずに気軽に使用することができる。

 私が物心付いたときには、〈パナセア〉はすでに私の常用薬となっていた。私の世代は、生まれた頃から〈パナセア〉を飲んでいるためP世代と呼ばれる。この薬のおかげで、私の人生はいつも希望に満ちている。希望があるから、私は常に努力している。そして私の日々の努力がこの世界をより良いものにしていると自負している。

 私は、毎朝5時半に起き、2階の自室の窓を開ける。庭には季節の花が咲き、小鳥たちが窓辺にやってくる。小鳥たちに挨拶すると、私は1時間ほど勉強する。

 階下に降りると、ママが木目の美しい大きなテーブルに朝食を並べてくれる。和食だったりアメリカンブレックファストだったり中華粥だったりと、メニューはママの気分次第だ。

 あとからやってくるパパも加わって朝食を食べると、身支度を整える。パパは野菜の品種改良をするために研究所に、ママは洋服のデザインをするためにアートオフィスに、そして私は医者になる勉強をするために大学に出かける。勉強は大変だが、医者になって人々の役に立てると思うとワクワクする。

 1日を終えて帰宅すると、仕事が忙しい両親のために夕食は私が作る。先に食事を済ませ、私は自室で勉強する。両親が帰宅すると〈おかえり〉のハグをする。私はのんびりとシャワーを浴び、読書しながら眠りに就く。私はミステリーのベストセラーは必ず読むことにしている。

 こうして私の平和な1日が終わる。

 こんな幸せな日々は決して手放したくない。完璧な家族に将来の明るい展望――。どんなに勉強が大変でも、必ずやり遂げて医者になり、この世界の役に立ちたい。そしていつかパパとママのような結婚をして、私のような子供が欲しい。

 そのために、私は〈パナセア〉を飲み続ける。努力し続けられるように――。

 ところで、〈パナセア〉には1つだけ副作用がある。それは怖い夢を見ることだ。残念なことに、悪夢は毎晩のように私の眠りに入り込む。

 でも、たかが悪夢だ。私は物心付いたときにはすでに悪夢を見ていたが、だからといって、これまで生活に支障が出たことは一度もない。〈パナセア〉の効能を考えたら、副作用など取るに足らないものだ。

 どんな悪夢か? 日によって少しずつ違うが、たいていはとても陰鬱だ。希望の欠片かけらもない。それが現実なら、私はピストルで自分のこめかみを撃ち抜くだろう。

 私は瓦礫と化した東京で、廃墟となったビルの2階に住んでいる。壁の穴からは、昼も薄暗い灰色の空が覗いている。眠りから覚めると、毎日、その灰色の空を眺める。何千というムクドリの大群が空を舞い、空をいっそう暗くしている。

 1階に降りると、そこには痩せこけた病人や手や足のない人々が腹を空かせて彷徨うろついている。私はビルを出ると、ライフルでムクドリを2羽撃ち落とす。2階に戻り火を起こし、羽をむしったムクドリを焼いて食べる。調味料はない。

 食事が終わると、何か生活の役に立つものを求めて瓦礫の間を彷徨さまよう。ライフルもそうして見つけた。でもいつまでそんなふうにして生活を続けられるか。考えると不安でたまらなくなる。

 親も友達も仲間もいない。会う人間は全員、生存競争で勝たねばならない敵だ。今はライフルを持っている私が優勢だ。1階の住人たちも私を襲ったりしない。でも銃弾たまが失くなったら……。不安と恐怖で私の目に涙がにじむ。

 胸を押さえつけられたように不安で胸がいっぱいで苦しくなり、私は目覚める。

 部屋には朝の光が美しく差し込み、外からは小鳥のさえずりが聞こえてくる。私は真っ白な天井を眺めて、悪夢が夢で良かったと胸をなでおろす。自分がいかに恵まれた人生を歩んでいるか、感謝の気持ちで満たされる。

 勉強が忙しいと年に数回、〈パナセア〉を飲み忘れそうになる。いったん大学に行ったものの、〈パナセア〉を飲み忘れたことに気づいて、三次元移動高速エアタクシーで帰宅したことがある。飲み忘れると、副作用の悪夢が、白昼夢となって生活を侵食することがあると言われているからだ。

 飲み忘れた同じ医学部の友達、カンチェは、昼間の生活を侵食してきた悪夢と現実の区別がつけられなくなり、ひどく苦しんだ挙げ句、〈パナセア〉の使用をやめる決意をした。

「これからは自分の力だけで頑張ってみるよ」
彼はマニュアルに従い、私の前でデバイスを右のこめかみに当て、赤いボタンを押した。私が呆気に取られている間に、何処に行ったのか、カンチェの姿は消えていた。

 その後、大学でカンチェに会うことはなかった。噂では、親の転勤に伴って、ドイツの大学に編入したということだった。〈パナセア〉なしでは医学部での勉強は無理だったのでは……と陰口を叩く者もいた。

 カンチェが苦しんている時の様子、〈パナセア〉をやめたことは、私にとってはかなりのショックだったのだと思う。カンチェがいなくなってからというもの、カンチェは私の悪夢に毎晩のように登場するようになった。

 悪夢の中では、カンチェは友達ではなく、いつも私が手に入れる獲物を盗みにくる敵だった。獲物を取り上げようと私の手首を掴んだカンチェの手は、現実のように生々しかった。

 獲物を手に入れるたびにそれを盗むために暴力を振るうカンチェに業を煮やした私は、ある夜の悪夢の中で、カンチェをライフルで撃ち殺した。私は勝利に酔った。

 それにもかかわらず、白い自室で目を覚ました私は泣いていた。

 私は慌てて起き上がり、バスルームの薬棚からオレンジ色のタブレットを取り出し口に放り込んだ。永遠の、誰も邪魔することのできない平和を手にするために――。(終わり)

*写真はムクドリではなく、昨冬のユリカモメです。ムクドリの群れの写真がなかったので、悪しからず😅

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