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羊と山羊

日本の世の中はどんどん冷え切っていく一方ですが、今後どのような裁きが降り注ぐのか世の人々を見渡していると複雑な気持ちです。

悩み不安、真理を求めている人は御言葉に辿り着ける可能性がありますが、安穏と生きる日々に溺れている人々はある意味この先の裁きがなければ真理を求める事はないのかもしれません。

私はこの御言葉に救われました。
今は、信仰を持って1年弱となります。
私自身も最初から全て捨てることができて御言葉に従順にしたがえたわけではありませんでした。

本当は、2019年に御言葉に出逢っていたのです。

しかし、当時の私にとって御言葉は、かなり厳しく聞こえ、剣の如く心に突き刺さりました。

厳しすぎるが故に、その時は御言葉を聞き入れる事ができませんでした。

今御言葉を聞けばその当時は握りしめてはいけないものを握り続けていたかったのだと感じます。
私の中で、それはある種のスポーツであり、その道で本気でプロを目指していました。

記憶を辿れば、高校や大学時代から神様は信仰の道に手招きをされていたのだという体験が幾つかありました。
幼少期から見えない存在を信じていたものの大人になるにつれて神様よりも人間個人の能力が人生を左右するという考えに変わっていきました。

私は、その後、道を踏み外し神様からかなり厳しく懲らしめに遭いました。
それでも、プロになることこそが全てであり、辞めてしまっては生き甲斐を失うと思い社会人になってもその道を歩みました。

神様が、握りしめているものを離す事を願っているのは気づいていました。何度も霊感を与えられていました。知り合いにも、そのような話を幾度となく話していました。
身体がボロボロになっても手術してでも、私はこの道に縋り付きましたが、いつしかそのような自分を見て悲しくなり、虚しくなりました。

そして、集大成で挑んだいくつかのセレクションで、私はスポーツ界の闇に打ちひしがれ、人生のどん底に撃ち落とされる事となりました。
しかし、今思えば大学時代から裏の話はよく耳にしていましたが、能力があればひっくり返せると過信していました。

更に度重なる怪我により、もやは心身共にボロボロの私は神様を恨む事もありました。
何より、人生全て捧げてきたものが奪われる苦しみに恐怖で見舞われていました。

そしてこの時になり、ようやく握りしめていた道を離れて信仰の道にいくことを決心する事ができました。
最初は物凄く辛かったですが、3年ぶりに御言葉を聞いた時に、3年前に聞いた感覚とは違う形で私の中に入ってきて、これに縋るしかないと思いました。

世の中で生きていれば、いざ信仰を持った時に捨てなければいけない事が山ほどあります。
中でも、神様を一筋に愛する時に自分の中で握りしめておきたいものが必ずと言っていいほど存在すると思います。
私にとってそれは、15年以上歩んだ人生そのものだったので苦渋の決断でした。

しかし、今の私から見れば天秤にかけれるものではなかったと感じます。
神様の愛はそれほど凄まじいものなのです。
信仰がなければ今頃、私の人生は取り返しのつかない事になっていたでしょう。

人生を変えたい人、悩みの尽きない人、
生きる意味を見出せず虚しい人生を歩んでいる人
神様の為に生きる人生を選択できればこれほど幸いな事はありません。
なかには、皆様の証を読んだり実際に御言葉に触れた方のなかにも厳しいと感じ信仰を持つに至らなかった方もいるかもしれません。

神様は必ず人生の中で語りかけて下さっています。
幾度となく神様は救うべく働きかけてくださっています。
なかなか捨てきれないだけに苦しい思いをしていませんか。
捨てたくないが為に、肯定して握り続けていませんか。

そんな人が勇気を持って捨てられらように心から祈っています。9月の御言葉はまさに、決心・握り続けているものを捨てる重要性、などがテーマの御言葉がありました。

是非一度聴いてみてください。

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