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インタビューで振り返る我が半生


この度、オペラハーツのホームページに私のインタビュー記事を掲載していただきました。

オペラハーツとは、こちらをご覧ください。↓

リサイタルが近づき、練習のみならず、ラジオ出演などプロモーション活動にも奔走し、慌ただしい日々を過ごしています。私がデビューする前から応援してくれている人たちにも、久しぶりに手紙を書き、その都度蘇る思い出があります。「この方たちと一緒に山登りに行ったな」「このお宅のワンちゃんは元気かな」など、ノスタルジーに浸ってしまい、なかなか作業が進みません。

そんななか、オペラハーツからインタビューを受け、その記事が掲載されました。リサイタルの話だけでなく、現在に至るまでの私を半生を振り返るインタビューです。

同級生からメッセージ!

このインタビューは前半と後半に分けて公開されています。その前半が公開され、TwitterなどのSNSで告知した翌日、海外に住む中学、高校時代の同級生から連絡が来ました。

「高校までのキラキラきむ(私は「きむ」と呼ばれていました)で記憶が止まっていたけど、いろいろ苦労があったんだなとか、諦めずに立ち向かって努力したんだなとか思ったら泣いちゃったよ。私も頑張らねば! って勇気をもらった」と。

インタビューを読んで、そう思ってくれたのか、と嬉しくなりました。SNSが発達している現代、遠く離れていても繋がっている感じがしていましたが、実際には20年以上会っていない友達。過去の記事にも書いた「小さなヴァネッサ・ウィリアムスのファンクラブ」のメンバーでした(笑)Mちゃんありがとう!

とても濃かった中高時代から、忍耐の20代

キラキラしていたかは分かりませんが、改めて自分の半生を振り返ると、中学3年の1学期末から高校3年生まで、周りのみんなからの応援、援助、理解によって「歌う道」を歩むことを後押しされ、私自身もその道をひた走っていました。

中学3年のころ、工藤宏子先生が文化祭で歌うことを勧めてくれなかったら、高校1年生で浦田玲子先生に出会えず、声楽のレッスンをしてもらえなかったら、一緒に藝大受験しようと言ってくれた同級生Cちゃんがいなかったら、ソプラニスタ木村優一は存在していないかもしれません。

その後、大学に入ってからは、この道の厳しい現実にぶつかりまくり、忍耐の20代が始まります。高校時代は地元ではちょっとした有名人で、テレビの出演、コンサートの出演依頼がありました。大学に入学した後も、同じような依頼がいくつかありましたが、それらを受ける実力も精神力もないと感じていた当時、お断りして、練習と勉強の日々でした。

詳しくはインタビューをご覧いただきたいのですが、気持ちも内向きになっていた気がします。しかし、それも必要な種まきの時期だった。自分自身そう勝手に思っていますが、少なくとも歌を続けることできているので、当時まいた種が道標のように花を咲かせてきているのかな、と。

詳細は是非インタビューをご覧ください! ↓



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