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欧州をめぐる旅(40年ぶりにパリを訪ねてみたら-1)Sophies Zimmer

40年ぶりのパリ

今回の旅ではドイツ語圏だけまわる予定だった。でも、地図をよくよく見ると、(当たり前の話だが)ドイツから電車でひょいとパリに行けるではないか!これは行かない手はない。それからというもの、私は、ドイツそっちのけで、パリの地図を食い入るように見ていた。
 
パリには遠い昔、住んだことがあった。パリを去ってから実に40年。40年という年月は、どれくらい長いのだろうか? 私が帰国したとき生まれた赤ん坊は、もう40歳になっている。大人にとってはあっという間でも、子供にとっては途方もなく長いんだろうな。パリもさぞかし変わっているだろう。
 
でも、地図を見れば、サンミッシェル、サンジェルマン、シテ島・・・、通い慣れた地名が目に飛び込んで来る。シテ・ユニベルシテの学生寮には、1ヶ月住んでいた。そこで入居者募集の張り紙を見て、モンルージュのシェアハウスに引っ越した。そこで出会ったルームメイトとの衝突、葛藤の日々。
 
辛いことの方が多かったはずなのに、夢中になって思い出を辿る私がいた。これが、ノスタルジーってやつか?
 
40年後のパリは、どうなっているのか?私は、期待よりむしろ不安に胸を膨らませ😅、パリ北駅に降り立った。それから新たに経験したパリ。40年の月日を経て、変わっていたこと、変わっていなかったことをいくつか挙げてみたいと思う。

変わっていたこと:

その1 - 観光客が!
パリに限ったことではないのかもしれないが、どこに行っても人人人。気のせいか、この人っていう字、エッフェル塔に見えてきた。最初に凱旋門、次にエッフェル塔と典型的な観光コースを巡ったわけだが、どこも観光客で溢れていた。そして極めつけは、ルーブル美術館、行列に並んで、やっと中に入るとやっぱり人で混み合っていた。

ルーブル美術館、当時はあのピラミッドもなかった。ない方がスッキリしていいかも
モナリザの絵の前には、モナリザになだれ込まんばかりの人が・・・

人気の観光コースだから当たり前じゃんと言われそうだが、40年前は、そんなに観光客もおらず、行列に並ぶことはなかった。もちろん、インターネットもないし、観光名所を訪れるのに予約は不要。どの美術館もガラガラで、静寂に包まれてゆっくり鑑賞できたのである。当時、行列は、日本の産物みたいに嘲笑気味に見られていた。だが、今や「行列の最後はどこだ?」は、世界共通の合言葉になっていた。

ステンドグラスで有名なサント・シャペル、期待して行ってみたが・・・
ものすごい行列で入れず(´;ω;`)

その2 - メトロにて
パリは治安が悪いことで有名だ。それは今も昔も変わらない。メトロ(地下鉄)の乗客はスリの格好の餌食だ。しかも、観光客が増えたせいか、時間帯を問わず、東京の満員電車並みに混んでいる。車内になだれ込む乗客、その中でぎゅうぎゅう詰めになって揺られていると、電車内のアナウンスが流れてくる。「スリが多いので、ハンドバッグなど携帯品に気をつけて下さい」。こんなアナウンス、聞いたことがなかった。基本的に、置き引きとかスリ程度なら、盗難に遭う方が悪い、盗難に遭わないよう対策を取るべきであり、次の停車駅や乗り換えの案内などを含め、余計なお世話は一切しない。見事なまでに自己責任主義だったはずなのに、「スリに気をつけて下さい」と注意喚起するとは、パリも変わったなぁ、と思った瞬間だった。
 
その3 - フランス語で話しかけてみたら・・・
よく言われるのは、フランス人に英語で話しかけたら、意図的にフランス語で返される、というもの。要は、フランス人は、母国語を誇りに思っており、母国語以外はガンとして話さない、と言いたいのだろう。ほんとは英語が苦手なだけかもしれないのに・・・。
 
ところが、である。私も昔取った杵柄をと、張り切ってフランス語で話してみたら、なんということでしょう、英語で返ってくるではないか! 私のフランス語が錆びついているもんだから、付き合っていられないと思われたのかもしれないが、それにしても、母国語への誇りはどこ行ったのか?
 
それどころか、若い人に限るが、日本語で返ってくることもあった。きっと日本のアニメを見て育った世代だろう。私は、フランス語で話す機会がほとんどなく、笑顔で応じながらも、内心がっくりした。こんなはずじゃなかったと。
 
しかし、よくよく考えてみれば、それは良いことなのだ。それだけフランス人も開放的になったし、日本も認知されてきたという証なのだから。昔は、日本も中国も韓国も一緒くたにされたものだ。私が、韓国人とフランス語で会話していたら、なぜ母国語で話さないんだ?と訊かれた。アジア人はみんな同じ言語で話しているとでも思われたのだろう。

今や、日本の映画やアニメはフランスで大人気だ。それをきっかけに日本に興味を持ったフランス人も多いだろう。彼らだって日本に触れたいのだ。ちょっとでも日本語で会話したいのだ。私がドイツ語やフランス語を使いたいように。すると、どうなるのか?
 
私は、外国の文化を知るためには、その国の言語を学び、身につけることが一番と信じて、英語だ、フランス語だ、中国語だと、かじってきた。それは、無駄ではなかったけれど、そこまで語学に固執する必要はあったのだろうか。私の努力は、向こうから得ようとすることに主に注がれ、こちらから与える、例えば、日本文化を伝えようとする熱意は希薄で、全くの一方通行だった。今度は私の方から日本を知ってもらう努力をすべきなのかも。
 
でもなあ、私、自分の国を紹介するのが一番苦手なのである。いいところを挙げると自慢しているみたいだし、悪いところを挙げると卑屈に見えるし。詰まるところ、自分のことにはあまり触れたくないという、弱点に行きつく。なんだか、これまで抱いていた価値観か根底からひっくり返される思いがした。私も少しは、往年のフランス精神、「自国の文化に誇りを」を見習わなければならないのかもしれない。

ノートルダム寺院はまだ工事中で入れず(>o<)

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