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秋野あかねの「昭和っぽい情景の絵」

「ホームレス殺人事件と優しい社会とは」

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「絵・秋野あかね・アクリル画・帽子にも止まったよ」

ホームレス殺人事件

 岐阜県で、3月25日に橋の下に暮らし、捨てられた野良猫たちに餌をやり可愛がっていた心優しいホームレスの方が。近辺の少年たちの嫌がらせや暴力により殺されると言う事件が起きました。

 被害者は、複数回により少年たちから嫌がらせや暴力を受けていたようで、警察にも数度にわたり相談を行っていたようです。この時に、少年たちに対して警察が何らかの措置をおこなっていれば殺人事件にまではつながらなかった可能性もあります。もし、被害者がホームレスであった為に警察の対応に何らかの抑止がかかったとしたら人権問題ともなり得ると思えます。

 事件に関わった少年や少女は、十数名位にのぼり。何と言ってもこの事件で少年たちが被害者に行った行為の残虐性や、被害者が優しい心の持ち主であったことが多くの方に、やるせない思いを抱かせ感情を動かした事が更にこの事件を世間に広める切っ掛けに成ったと思います。

 私自身も、この少年少女たちに対しては強い怒りと同じような目にあわせて被害者に対して詫びさせたいと思う気持ちが沸き上がります。

 しかし、単にそのような怒りをこの少年たちにぶつける事だけで果たして被害者の方や同様な方がたや、この国の抱える問題が解決するとは到底思えないのです。

下記は新聞関連記事引用。

「少年ら金属棒で抵抗され執拗に暴行 ホームレス殺害」        岐阜市寺田の路上で3月25日、付近の橋の下で生活していたホームレスの無職渡邉哲哉さん=当時(81)=が殺害され、県内の19歳の少年5人が殺人や傷害致死の疑いで逮捕された事件で、少年たちが、護身用の金属棒を持って抵抗する渡邉さんを執拗(しつよう)に攻撃していたことが26日、捜査関係者らへの取材で分かった。           https://www.gifu-np.co.jp/news/20200430/20200430-236678.html     岐阜新聞webより引用 2020年04月27日 07:00

 犯人の少年たちが逮捕されると。今度は、少年法により実名報道しない事に怒りを持った人たちによる犯人探しがネット上で始まりました。少年たちが社会人や大学の野球部員である事が分かると。その者の名前や顔写真がネット上に晒され拡散されました。更に以前の少年による凶悪事件が起きた時と同様に、今回も少年法改正の話へと発展する事態に成りました。

 そしてその犯人として特定され拡散された人物の中には、全く事件とは無関係の人物も含まれていました。また事件の切っ掛けと成った猫に少年たちが石をぶつけて居たのを、渡邉さんが咎めたのが切っ掛けであるとの真偽不明のデマも拡散される事態に成ったのです。


少年法

 私は、このような少年や少女の事件がおきると何時も考えさせられる事なのですが。少年たちの実名が少年法によって公表されない事を理不尽と感じ、その怒りを犯人探しや身許を特定し世間に晒してしまう事が多く行われていますが。私自身はそのような行為は如何なものかと考えています。

 もしも、その少年たちが犯人とは全く関係ない別人であったり。或いは、本当は無理やりやらされたりした可能戦もないわけではありませんし。もし有期刑で社会復帰した時に致命的とも言える社会的制裁を、民間人が私刑的に加える事が。果たして、本当に渡邉さんの無念を晴らすことに成るのか私は疑問を持つからです。

 そして、何よりも私が心を痛めるのは、そのような行為が報復として行われているからです。こんな事をしたならば、こんな目にあわせてやると言う恐怖での支配だからです。人を恐怖で支配する社会の恐ろしさを考えると、少ない収入の中からも自分の食べる分を削ってまで、野良猫たちにエサを与えていた心優しい被害者である、渡邉さんが、そのような社会を望んでいるとは私には思えないのです。

 その少年に対する怒りとか、人権無視や嫌がらせや物理的暴力は伴わない社会的制裁の暴力は。少年たちや、今のこの国の人々の心の中に顕著に潜在しているもので。渡邉さんは、そのような有形無形の暴力を今まで受けてきたのではないかと想像するのです。

 ですから、一見すると少年たちの身元捜しやネットでの晒し行為や、少年法に対する異議を唱える事は。渡邉さん側に立ち、渡邉さんの代わりに渡邉さんの無念を晴らしている行為のように見えますが。本当にそうなのかと私は考えるのです。よく犯罪者に人権は存在しないと考える方もいるようですが。それは間違いで例え犯罪者であろうとも人権は存在し護らるべきものなのです。 ただ自分たちの怒りや鬱憤の爆発を少年たちに向けて、それだけで満足しているだけに思えるのです。

 それに若年者の場合は、まだ大人のように正しい判断が出来ない場合も多々あると言えます。そのような者たちを、一時の怒りにかまけて一括りにして少年法を変えろと言うのは少し乱暴すぎると言えるのではないでしょうか。

 私には、少年法さえ変えれば、渡邉さんを救えたり同様な方たちに対する優しい社会を作ったりする為の行為や手段になるとは、とても思えないのです。もっと根本の問題として、社会自体を弱者に優しい社会にする必要があるのではないでしょうか。

 

優しい社会とは

 私は、以前アメリカのテレビが行った社会的ドッキリ番組で、ホームレス差別や人種差別の状況を作り、その時に一般の人たちがどのような反応示すのかという番組を見ました。

 例えば、ホームレスが少年たちに嫌がらせを受けていると。アメリカ人は女性でも男性でも老人でも殆どの人たちが。少年たちに対して声を上げて止めさせようとしたり、警察に連絡をしたり、中には少年たちを追い払おうとした人もいました。多くの人が見て見ぬふりをするのではなく少年たちからホームレスの人をかばって護ろうとしていたのです。という事は多くのアメリカ人は弱い立場のホームレスを護る事は正義の実現だと考えているのです。

 同様の実験で、ホームレスにお金を与えてレストランで食事をさせると言うものもありました。レストランのお客は中には、ホームレスに対して眉をしかめるお客もいました。

 しかし、6/4位の割合で文句を言うお客はいませんでした。それどころか、マスターが、どうせ酒か薬を買うのだろうからとホームレスから金を取り上げようとすると隣の席のお客が、そのマスターの行為に怒りその金はホームレスのものなのだから彼に返せと言うのです。もしも、彼に返さないのであれば君は泥棒であるから警察に電話すると言うのです。

 そして、もう一人のお客の老人は隣の席に座ったホームレスに対して店のマスターがホームレスに出す水は無いと水を出さずにいると。老人は自分のコップの水をホームレスに差し出すと。マスターに対して君の行為は間違っていると、人性について話し出すのです。「人は誰でも良い時もあれば、悪い時もある。彼は、たまたま今は悪い時なのかも知れない。自分も昔は彼と同じような時もあった・・・」と。切々とマスターを諭す、その老人の目には薄っすらと涙が浮かんでいたように見えました・・・。

 日本よりも所得格差が激しく社会的格差も格段にあると思われているアメリカ社会ですが。人の心という点では、ここのところの日本の方が激しく劣化していると思うのは私だけでしょうか?

 しかし日本ではアメリカに比べてホームレスは少ないから、そのような事に問題意識を持つこと自体が珍しいと言うかもしれません。

 しかし、貧困問題はどうでしょうか? 今の日本には、自己責任の名のもとに低賃金で働かなければ成らない大勢の人たちが存在しています。7人に1人は貧困家庭の子供とも言われているのが現状です。

 もしも、普段からもっと日本人が、いや政府がこの国の弱者に対して適切な対処をしていれば、もっとこのような事件も減少し防ぐことが出来たのではないでしょうか。

 今、この国の他者を蹴落とし、自分さえ強くて金儲けができれば。それが正義であって正しい事だという思う事を間違っていると指摘して変えていく事の方が。少年法を改正する事よりも、余程この社会にとって有益な事と私はおもうのです。

 皆が助け合い、労わり合って良い社会を構成してゆく事の方が。きっと誰でもが暮らしやすい社会を作る事になるのではないでしょうか。

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 「ホームレス殺人事件と優しい社会とは」

終り

2020.5.1  3.加筆 2023.9.25修正加筆

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