かなこさんの記事で思い出したこと。

先日、かなこさんの記事を拝読していて思い出した事があります。

それは、此方の記事に書かれていたことなのです。

かなこさんの「父の遺言状」より一部抜粋して引用

父は手紙を書くのが好きで、父からは何通もの手紙をもらっている。私はそれを「不幸の手紙」と呼んで恐れていた。

お金に困っているわけではないはずなのに、封筒を再利用したりチラシの裏に書いたりと昭和のもったいない精神が生きていてそれすらも貧乏くさくって嫌だった。

この、かなこさんの記事を読んで、私も同じような事を思ったことがありました。

確かに昭和生まれの戦争を体験した人たちは、よくチラシを捨てずに取っておいて裏の白い面をメモ代わりに使ったりしていたなと思ったのです。

そして、かなこさんと同じように私も、

「紙なんて今は安くて、いくらでも買えるのだから。なにも、そんな紙をワザワザ使わなくても」と思ったりしたものでした。

そして、同じように紙袋や包装紙なども丁寧にたたんで取っておいたりもしたなとも。

しかし、取って置くだけでめったに使う事もなかったなとも・・・。


そんなことを考えていると、ふと思い出した事がありました。


それは、以前に読んだ「棟方志功」さんに関する本に出ていたエピソードです。

そこには、志功さんが戦時中に疎開していた富山県旧福光町、現南砺市での出来事が書かれていました。

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当時、福光町へ疎開中の志功さんの所へ、地元の人たちがとれ立ての野菜などを持ってきてくれたそうなのです。

それで志功さんも、そのお礼にと画を描いて渡していたそうなのですが。

画を、何に描いて渡していたかと言うと、新聞紙に描いて渡していたと言うのです。

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戦時中だったので、色紙や画用紙などはとても貴重品でなかなか手に入らなかったのでしょうね。

それでも、律儀な志功さんにしてみれば、何かしらお礼の気持ちをと思って新聞紙に描いた画をあげていたと言うのです。


ところが、その頃はまだ志功さんも、それほど有名ではなかったという事もあるでしょうが。

今ほど情報網が整っていた訳でもなく、棟方志功と言ってもただ画を描いているちょっと変わった面白い人らしい程度の知識しかなかったのでしょう。

せっかく志功さんが描いて渡してくれた画を、大概の人が焚きつけに使ってしまったと言うのです。

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きっと、今その画が残っていれば数百万位の価値はあったでしょうにね。

そして、その画が現存していれば「棟方志功」さんファンや絵画好きや研究者にとっても貴重な画であり資料的価値もあったと思えますが・・・。


それで、このエピソードを思い出したことで当時の人たちの事を考えてみたのですが。

先の大戦を経験している人たちは、きっと紙の大切さが身に染みていたのではないかと思ったのです。

それも尋常ではなく、もう強迫観念とも思えるほどに物資不足が骨身にしみていたのではないかと思った訳なのです。

国内においては、そのような物資不足や空襲に悩まされ。

海外の戦地においては、平時では考えられないような怖ろしい事をやったり、やられたりした訳です。

そう考えてみると、本当に戦争とは恐ろしいもので二度と再びあってはならないと思ったのでした・・・。

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かなこさんの記事で思い出したこと。

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