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高校野球編Vol.2〜私の球歴続き〜

<はじめに>

前回は、少年野球までの私の経歴を
紹介しました。
「継続は力なり」
の証明であるとともに、

自分に合った練習が
パフォーマンスの向上につながる

という話です。

<中学時代>

中学校は地元の公立中で
のんびり野球しました。

ポジションは変わらず
ピッチャー、キャッチャー
加えてファースト、ショートもやるように。

打順は2年生の頃から4番です。

中学校では、きちんとした部活顧問がおらず
今思えば、
もったいない3年間だったな、
と感じます。

野球というものをもっと教われていれば、
その先の野球人生でもっと上まで行けたのでは、
と思います。

<高校野球>

高校への選択肢は、
強豪私立か、古豪の公立でした。

古豪と行っても、
私が中学2年のとき、夏の甲子園は出場していた
学校です。

中学校で中心選手としてやっていた
チームメイトが私立への進学を決めました。

私は身内に出身も多い
市立の公立高校へ進学します。

この頃の感覚としては、
「県内3強のどこかに行けば、
1回ぐらいは甲子園に行けるだろう」
でした。

<甲子園は出れず>

高校でも、1年秋から4番を打たせてもらいます。

ギリギリ先輩からの
暴力やいじめのようなものが残ってた
世代なので、
かなり目をつけられてました。
下級生から出てたのは自分だけだったので。

1年夏はスタンドから
15年振りの初戦敗退という先輩の姿を見届けます

そして秋から試合に出るようになりますが、

地方大会まで行ったことはありません。
県大会3位決定戦で、負け続けました。

2年生の時の夏の大会は
決勝戦まで行きましたが、
強豪私立の学校に負けました。

3年時の夏は準決勝で
負けました。

個人としては評価をしてくれている方も多く。
自分の中では、
地方大会以上に出れて
成績残せて目立てたのなら
プロへの道も考えてましたが、

諦めました。

<国際試合に出場>

7月の県大会で負け、引退した後。

四国代表の選抜メンバーとして
日米親善試合に参加させてもらえることに
なりました。


甲子園開催中なので
出てないメンバーで
四国4県から18名で

8月にハワイへ遠征に行きました。

3番DHで4試合にフル出場
最多安打、最多本塁打、首位打者

となりました。

このチームからは
後にプロ野球選手が3人出ます。
皆、一軍で現役でやってます。
応援してます。

<大学進学>

おかげ様で
プロ野球選手にはなれませんでしたが
声をかけてくれた大学もありました。

そのうちの1つが進学した関東の私立大学です。

もう1つ、アメリカの
ベースボールアカデミーからも
トライアウトへの招待が届きました。

ささやかな冒険心で四国から関東へ進学するか

大冒険してアメリカへ進学するか

結構迷いましたが、
トライアウトは合格確定なわけでもなく
受験は自費がかなりかかることと
周りからの反対もあったので断念。

今思えば、ナイス判断でした。

<おわりに>

大学時代に指導者を志すようになります。

また詳細を紹介していきますので
お付き合いください。

皆さんの記事にも
また回らせていただきます。

それでは、ありがとうございました(^^)

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