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「応援」と「味方」

以前に引き続き、『風に立つ』から。

工場の職人と、補導委託された子どもの父親との口論の場面。

「応援しているスポーツ選手が負けると責めるやつがいるけれど、勝手に期待して自分の望んだ結果が出ないと怒るなんて、俺から言わせれば身勝手だ。でも、その人が自分が望んだ結果を出せなかったとしても、寄り添い支え続ける人がいる。それが味方だ。いまのあなたは応援者だ。 親っていうのは、子供の一番の味方であるべきなんじゃないんですか」

p336-337

「応援」と「味方」。違いについて考えたことが無かった。何か差異はあるんだろうけれど、応援≒味方で考えていた。

包含関係で考えれば、応援の輪の中に味方があるんだなと理解した。応援している人が必ずしも、味方の輪の中入っているわけではない。

似たような関係として、芦田愛菜の「信じる」を思い出した。

彼女にとって「信じる」とは、端的に書けば、「自分が思っている相手の理想像に反したことをしても、その人のことを裏切らないこと」だ。

多くの人は、「〇〇さんは□□な性格」と、ある程度のラベルづけはしているだろう。

端的に陽キャ、陰キャ。内向型、外向型。活発な人が、寡黙な人などなど。

例えば、「優しいと思っていた人が家庭内ではDVをしていた」と聞いたら「裏切られた」と思うだろう。その途端、相手のことは信じられなくなる。何を言ってたとしても「本当にそうなんだろうか?」と疑い深くなる。

そうではなく、「たとえ家庭内でDVをしていたとしても私はあなたを信じます」という心を持ち続けられるのなら、それは本当に相手のことを「信じている」。

自分の期待・想像したどおりいかなかったけれど、それでも相手との関係性は変わらない。

その点で「味方」と「信じる」は同じだなと感じた。

少ししっくりこないのは、「応援」と「味方」は包含関係になっているが、「信じる」はあくまでも「信じる」か「信じない」かの二者択一になっている。

同じ関係で表すとしたら、「信じる」に近しい言葉は何なのか?と考えるが、特に思いつかない。

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