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贅沢な悩みを取り巻く社会状況

文學界2024年6月号の『贅沢な悩み』を読んだ。

この連載は文學界の中でも楽しみにしている。

単行本になったら間違いなくヒットするんじゃないだろか、と勝手に思っている。


今回連載では、社会的な贅沢とは何なのか?それを時代の変遷を追いながら書かれている。

前近代では、資本主義が始まり身分制を打ち破ろうとする贅沢。自分の身分には必要のない衣類や食事などの贅沢さを求める。

前近代が終わり工業資本主義に入ると、人々は労働者として自分の時間を切り売りし始めた。この時期には贅沢は格差が目に見える形で現れた。みな同じ労働者であるはずなのに、そこに格差が現れる。それは不平等だと。贅沢は平等に対するものとして姿。

資本主義が成熟すると、消費の時代に入った。この時代の贅沢は満足することを許さず、常に何かを消費し続けることを強要した。消費を続けることで経済を成長させ、儲けた富を分配することで平等を実現させようとした。
(『暇と退屈の倫理学』の浪費と消費から。浪費には満足する点が来るが、消費にはそれがない。)

金融資本主義の時代。社会主義が衰退し、資本主義社会は新自由主義時代に入った。国家による規制が緩和され、市場原理に委ねられる時代。市場で価値のあるものが良いとされる。この時代は富の再分配が抑制され、格差は広がるようになった。贅沢は平等の前にある。

P232-p233をザーっと書くとこんな感じになる。

本連載は國分功一郎の『暇と退屈の倫理学』『目的への抵抗』や、ヴェブレン、東浩紀、ルソー、『万物の黎明』など自分の興味あることを引用して書かれている。

既に読んだことのある本のおさらいもあった。

『働き方全史』では、広告業と生産者が結びつき、消費のサイクルを回すようになったと書かれていた記憶がある。本連載の資本主義社会の真っ只中の出来事にも合致する。

また、『暇と退屈の倫理学』でも、私たちの欲しいものは広告によって作られていると書かれていた記憶がある。これも消費を回すための施策だ。

もう一度書くが、この連載は読んでいて楽しい。元々、面白そうと思っていたのもある。それ以上に、自分が見知ったところとつながり、広がる。「あー、つながっていたんだ」と、知るこの感覚が何よりいい。

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