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準備の準備をする

そろそろ取りかからなければ、、、と思いつつも手をつけられないことが多々ある。

そんな時は準備の準備をすればいいのでは?という提案。なぜなら、準備するぞ!と取りかかっていることが準備の準備だったりするからだ。何かを始めるにあたって、ネットで「準備には何が必要か?」と調べたりする。これは紛れもなく、準備の準備であって、準備ではない。そして、気持ちの問題に関わらず、最初のアクションは大体ここから始まる。

なら、気持ちが乗らない時は準備の準備をすれば気持ち的にもハードルが下がるし、準備をする時と同じ行動を取れて一石二鳥ではないだろうか?と考える。

(やっていることは変わらないのに。)

なぜ、心理的に取りかかりにくいのか?と考えてみる。

それは物事に対して直接接しているからと思っているからではないだろうか。

当たり前のことだが、準備の先には本番がある。例えば、私は大会直前の練習ほど緊張感があると感じる。それは大会と隣り合っているからだ。普段の練習となんら変わりがないことでも、目の前に大会という本番があるから緊張する。

私の指している「準備」とは大会直前の練習のようなもので、大会から遠くはなれた練習ではない。

そうなれば、大会から離れた練習は準備の準備をしているという扱いになるのだが、私の気持ちとしては間違っていない。本当はそうであってはいけないのだが、どうも気持ちが入らない。

私はこの感覚を利用して準備したらいいのではないか?と思っている。準備の準備、つまりは大会から遠く離れた練習は気が乗らないので、この気持ちで準備をする。練習もやらなければ上手くならないし、準備もしなければ本番はズタボロになるからだ。

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