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18歳(成人)になったから虐待を振り返る

私の虐待体験談

初めまして。現在18歳の通信制高校生のあしあとと申します。今年3年生になりました。

突然ですが私は"父親と祖母に虐待され保護されていました"

虐待もそうですし、本来これで安心なはずの、保護された後もたくさんの理不尽な目に遭いました。

同じような環境の誰か、支援する側の誰かに届きますように。

児童虐待とは
児童虐待とは、主に「身体的虐待」「性的虐待」「心理的虐待」「ネグレクト(育児放棄)」の4つに分かれます。

身体的虐待・・・殴る、蹴るなどの暴力、火傷を負わせる、溺れさせるなど

性的虐待・・・親や周囲の大人などによる、性交、性的行為の強要など

心理的虐待・・・子どもの自尊心を著しく傷付ける暴言、軽蔑、差別など

ネグレクト(育児放棄)・・・衣食住の世話をしない、医療機関に連れていかないなど

参考文献

(事例が詳しく載っています、よかったら覗いてみてください)

児童虐待の定義と現状-厚生労働省HP

https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/kodomo/kodomo_kosodate/dv/about.html

"子ども虐待を無くすことを呼びかける市民運動"オレンジリボン運動HP

https://www.orangeribbon.jp/about/child/abuse.php#

私はこの中の心理的虐待(主に暴言)を受けていました。これから虐待に至るまでの経緯と、当時の虐待の状況を書き記します。

虐待に至るまで、当時の虐待の状況

まず私は小学校は特別支援学級に通っており、1学年1クラスの小規模の学校でした。

その学校から、色々な事情があり、友達が誰1人として居ない1学年5クラスのマンモス校の中学校に入学しました。

小学校は特別支援学級でしたが、卒業直前にはほぼ普通級で生活していて、中学校は普通級に入学しました。

中学校ではなんとか頑張っていたものの、いじめ、成績不振、友人関係などで不登校になり、そこから父親に毎日のように「お前はなんでそんなんなんだ」「今まで頑張ったことあるのか?」「弱虫」と言われ続け、大声で怒鳴られ、ため息をつかれ、

一緒に暮らしていた祖母には「早く学校行け!!」「ビョーキなんじゃないの?」「馬鹿」など言われ、私の部屋の隣は祖母の部屋で、ずっと大声で「死ね」「なんなんだあいつは」と毎日のように言っていました。

良くないのは重々承知の上なのですが、私は本当は心配してくれていると思いたくて、祖母の日記を見ました。そこには何ヶ月にも渡って毎日毎日私の悪いところが書かれていました。終わり。

※ちなみに祖母は元看護師です
こんな元看護師が居てごめん。

虐待の通告〜保護まで

そんな毎日に耐えかね、私は唯一と言っていいほど大人で信頼していた、担任の先生に相談、私の学校にはスクールソーシャルワーカーさんも居たので、そこにも相談、フリースクールという不登校の子が通うところにも行っていたのでそこにも相談しました。

言葉での虐待だったので、最初は「お父さんも○○が心配なんだよ」「おばあちゃんは可愛さあまってそう言っちゃったんだよ」と言われました。それが毎日毎日続き、"もう無理だ死にたい"となった日、フリースクールの先生にお話して、担任の先生に連絡が行き、次の日に学校へ行き(次の日はテストで、これまでテストは休んだこと無かったので、家族からの"絶対行け"のプレッシャーがありました)、学校から児童相談所へ通告(虐待の疑いの連絡)をしてもらい児童相談所の一時保護所というところに保護されました。

それで一安心、なら良かったなあ、、
一時保護所は一時保護所で地獄でした、、

一時保護所とは・・・
一時保護所に併設された、幼児~18歳以下の様々な事情で保護が必要な子どもを保護する場所。

[一時保護所の入所理由]
主に虐待、親の病気、非行など

一時保護所に入るとどうなる?

1.所持品
所持品(洋服、下着を含む)は全て保護所に預ける。一時保護所での生活中、洋服、下着は全て保護所の物を借りる。(但しメガネは持ち込み可)

2.連絡手段
携帯は使用禁止(そもそも持ち込めない)、電話も出来ない。それぞれに付く、ワーカーさんという人にのみ伝言を頼むことが出来る。
※風の噂では、保護所によっては携帯OKなこともあるとか…?

3.外出制限
まず、一時保護所での保護の間、学校には通えず、欠席扱いになります。外に出るときは体育で、一時保護所内の周りを囲まれたところで運動します。髪は切りにいけないのでその間伸びっぱなし、保護所出てから切ってねです。
外に出る必要がある場合のみ、ワーカーさん(場合によっては一時保護所の方)の付き添いの元外出します。
※保護される場所によっては、一時保護所の外の散歩もOKとか…?(風の噂です)

4.ケースワーカー
子ども1人に付き必ず2人のケースワーカーさん(物事を解決させる為に動いてくれる人)が付く。基本週に1回面接(今後に向けた話し合いなど)をする。

5.[生活の中でのルールについて]
ここに来た理由に関する話は禁止。
恋愛の話は禁止。
勝手に外には出ない。
男女の会話は禁止。
連絡先の交換は禁止。
他の人の部屋には出入りしない。
私物(保護所でもらった紙など)を持ち歩くのは禁止。必ず預ける。

一時保護所での生活

うろ覚え時間割↓

-平日-

7:00 起床
着替え、布団をたたみ、歯磨き、掃除

7:30 朝食
みんなで食堂に集まって食事をします。

7:50 自由時間(テレビ・漫画・本)
漫画と本は検閲済みの寄付された物。
テレビは基本的に録画された決まったものしか見れません。私のところの場合は、ドラえもん、クレヨンしんちゃん、ポケモン、ミュージックステーション。

8:00 先生のお話
雑学とかのお話を聞きます。

8:20 勉強開始 1時間目

9:10 2時間目

10:00 3時間目

10:50 勉強終了 清掃

11:20 自由時間(パズル・お絵描き・塗り絵・折り紙・読書)

12:00 昼食

12:30 自由時間(先生のきまぐれテレビ・パズル・お絵描き・折り紙・読書)

13:00 4時間目(体育・図工など曜日によって違う)

14:00 女子順次お風呂タイム(20分)、自由時間(パズル・お絵描き・折り紙・読書)

14:30 おやつ、自由時間(テレビ・漫画・本)

15:00 清掃

15:30 反省会
反省会では、1日の振り返りの日記を書きます。その後、自由時間となり、映画のDVDや、パズル、お絵描き、塗り絵、読書、ミサンガ作りの各自好きなことをします。

17:00 夕食

17:30 自由時間(テレビ・漫画・本・パズル)

20:00 就寝

休日はこれの自由時間多いバージョンだと思っていただければ…!

ケースワーカーさんとの面接(今後に向けた話し合いなど)は時間に関わらず来ます。時間は事前に伝えられていない場合が多いです。

感想✎
・本やテレビは長くいると同じものの繰り返しになる
・ここに来た理由というか、家庭の情報の話がアウトだから、話す話題がすぐ尽きる(大体食べ物の話になる)
・部屋は大抵相部屋で、時間割的にものびのび出来ない
・一時保護所内に鍵付きの鉄の扉があって結構こわい
・悩み相談したかったり、何か話したかったら、短い時間なら一時保護所の人が話し相手になってくれる。ただそんな頻繁には無理。週1とか?

あくまで私の居た場所の体験談であって、場所によってところどころ違うところはあると思います。参考程度に…!

この情報でどうせ身バレすると思うので言うと、私は約半年ほど一時保護所に居ました。一時保護所は本来そんな長期間居る場所では無いので、単調ですごく苦痛でした。でも、でも、親身になって下さった一時保護所の人にはとっても感謝しています。
そして、一時保護所に居るときの制限は、厳しいですが、大体は子どもの身を守る為であったり、貧富の差を出さない為であったり、大体は納得出来るものでした。子どもの為を思って、もっとこうしたらいいんじゃないか、と話していた保護所の方も居ました。かなり娯楽が少ないので、低学年の子じゃないと、1ヶ月もすればすぐ飽きてしまって苦痛になってくる印象でした。携帯使えないってこんなに暇なんだ…まあ虐待された子からすれば家よりはマシ…ですけどね…

刑務所みたいと言われることもありますが、まあ近い部分はありますね…

もっと快適に過ごせるようになればなと思います。

一時保護所退所後(家庭復帰)

虐待された後の行先は

「家に戻る」
「施設に行く」
「里親の元で暮らす(これがなかなか出来ない)」
でした。

お世話してくれる親戚が居るなら、また別かな?

私はずっと家になんか戻りたくなくて、戻ってもまた絶望が待ってるだけ、そう思ってずっと施設を希望していました。居ましたが、よっぽどの事情がない限り、施設に入るには親の許可が必要なんです。

約5ヶ月粘りましたが、一時保護所での生活もしんどくてしんどくて、このままだと高校入学してからも一時保護所に居ることになりそうだ、となったので条件付きで家に戻ることになりました。

まあ一時保護所退所後に待っていたのは絶望なんですが、、

ここで思いもよらないことが起こります。
一時保護所退所1週間前ほどに、突然、「これからはSNS全部禁止です」と言われ、退所直前には「LINEも禁止です」と言われ、LINE含むSNSが全部禁止になりました。Googleも全く使えません。

入所する前に事前告知とか無しです!非行歴全くなしです。理不尽ですよね。

※私だけではなく、後で私の通っている通信制高校でも保護された子が居たみたいで、SNS全部禁止になった!!児相○○(暴言)!!と言っていたので、多分ここの児相に保護された子、又は全国どこでも、児相に保護されればSNS禁止になるんだと思います…一時保護所に保護されたって話が出回らないのもこれが原因かな…?

その後はコロナ真っ只中、半年ほど学校もろくに行けず、課題だけやってあとはコメント欄全部制限で閉鎖されたYouTubeと、制限のかからなかったゲームで出会った人達とお話してなんとか生きてました、、

YouTube、私みたいに何か事情が有ってコメントもチャンネル登録もいいねも出来ない人達が一定数みてるんだろうなあ。再生回数100とかの毒親関係の動画もよく見てました。何も反応来なくても、その動画に支えられた人がここに居る。その節は大変お世話になりました。

虐待のその後

一時保護所退所後の半年はSNSの制限がっちがちのコロナ渦自粛生活を送っていましたが、あまりにも辛すぎて半年後に「Twitter親が一緒にログインして、管理してもらいながら使うことは無理?」ってダメ元で親にお願いしてなんとか親と児童相談所にOKもらって、学校も再開して息を吹き返して高1の後半~高3の現在までを生きてます。

自己発信系(ラジオタイプのものや、エッセイ、noteなど)は18歳まで制限継続

ちょっと人生色々ありすぎて上手く説明できない、、祝全制限解除&いつでも逃げられる18歳!!
18歳成人にならないと18~20手前までは保護もされず、勝手に家も出られずだったので個人的にこの変更は有難かったです。そして私の代から18歳成人、、セーフ、セーフ…

とりあえず今幸せです!!

保護された子は、もう成人までほとんどの子がここ見れないと思うけど、その前の段階にいる子にはこれが届くかもしれない。

今虐待されてて辛い子の為に、保護してもらうにはとか、保護されない選択をしたらとか、これから書くね。待ってて。

以上、私の虐待体験談でした。

心もとない文章かと思いますが、見て下さってありがとうございました。

#虐待 #児童虐待 #児童相談所 #一時保護所
#体験談

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