山にむちゅう(1)
北村祐介は目の前で咲き乱れる「花」に、晴れやかな気持ちを抱いていた。生きとし生けるものとして、これほどの喜びがあろうか。
あられもない肢体が重なりあい、触れあい、新たな喜びを生み出している。
ああ、なんと、山の頂上から見る朝日のなんと素晴らしいことか。
山の端がようよう明るくなってきて、次第に眼下の樹海を照らし始めた。山の稜線に連なるように、女の白い肌の稜線が重なる。
男は腕に抱いた女の稜線を引き起こし、外気から守るように隠されていた垂乳根をやがて来る朝に向かって開かせた。
山の偶像となった我が女が、その柔肌で山の気を満面に受け止め、朝の涼やかさに身をくゆらせた。
祐介の口から吐息が漏れ、かすかな温度が小野寺美玖の白い背中を撫ぜると、夢見心地の這う這うの体であったはずの女は、命を吹き返したように全身の筋肉を脈動させた。
意識の戻った彼女は不安に後ろ手をばたつかせて、祐介を求め始めた。
祐介の半身の結合を促すので、彼は美玖の愛らしいS字のラインを手繰り寄せて、肌を打ち震えさせ、お互いの情念を揺さぶらせた。そして、お互いの舌を舌に這わせあい、巻きつきあい、つつきあい、纏った滑りの奥にある、ざらりとした舌のテクスチャーを確かめあい、生の歓喜を交換しあった。
山のざわめきを一身に受けた二人の小さな生命は、山頂に内からあふれだす大いなるものに脳天が屈服する。
誰もいない山中に嬌声を響かせた瞬間、祐介と美玖は一つの生き物になった。
意識は溶け合い、自我を磨り潰し、肌を撚り合わせる。
一体となった新生命は山の頂で新たな秩序を見たのであった。
*****
「ん……ふ……」
祐介の舌がうねって、由真の舌の裏をくすぐった。
由真が背をそらせて、下がったところを祐介の左手が追いすがって、抱き寄せる。
ぐっと引き寄せられて、覆いかぶさるように唇を被せてくる。ぬっと貝を親指で開くようにして、男の舌の先端がじっとりと歯の間を割り入ってくる。会社の隠された一室、秘密の空間。男は女の舌を丹念に味わっていた。
由真は呼吸を整えようとするが、祐介はリズムを崩して、歯茎の内側を舌で擦り上げてきた。
「ふ……!」
すっかりとリズムを崩されて、由真は祐介の舌の上で転がされていた。やや乱暴な方が好みであった由真だったが、あまりの猛攻に鼻の奥が熱っぽくなり、ずず、と音が鳴る。
こんどこそはこの男に何とかやり返してやろうと思う女の気概は溶かされてしまった。
抵抗するにも舌が短い由真は子供扱いだった。動かそうにも丸め込まれて下あごに押し付けられた後は、舌から掬いあげられて天井をなめている。
由真の舌はもう攣りそうになっていた。由真は祐介に押し込められていると感じはじめると、呼吸は一層乱れ始めて、由真は胸がつかえはじめて息苦しくなってきた。
祐介の背に回していた腕を縮こめて、汗で潤ったお腹とお腹の間に滑り込ませた。思ったよりも体温が低い祐介のお腹に少し驚きつつも、両手でぐっと力をいれた。
男は女の意思を汲み取って、ぬと、と由真の唇から引き抜くと、「なに?」とつぶやいた。
祐介は二人の唇から伸びる糸を指で切ると、額同士をくっつけて目を細めた。
由真は呼吸を整えているのを待っている間、ずっと目を見つめてくる。
「いやだった?」
祐介はそういうともう一度口づけをかわそうとしてきたので、由真は祐介のお腹を強く押して意思を示した。
「長いんだよ、もう」
由真はやっとそれだけ言うと、祐介はやや納得がいかない様子で、ん、と鼻息を一つ漏らす。最後に名残惜しそうに由真の下唇をついばむと、唇と由真を寝かせていた古いテーブルの上から離れた。
使用されてない会議室、いまでは物置になっているこの部屋で、由真は机の上で天井を仰いだ。口の中の充足はしつこく続いていたが、複雑な心境だった。敗北感だ。なぜか負けたような感覚があった。この会社の他の男は由真のプライドを十分保ってくれる男ばかりだったが、祐介は違った。
いざ唇を交わすと簡単に踏み敷かれてしまって、あとはなすがままだった。
だが不思議と、祐介は行為には及ばない。
ただ唇を重ねるだけだった。
この点は由真には不可解でしょうがなかった。祐介は唇しか求めないのであった。
「へ、ぶしょん」
由真が不意打ちにくしゃみをする。
「あ、寒いの?」
「いや、花粉症」
「あとで薬飲んどけよ」
「もう、いいの?」
「なんか、冷めちゃった」
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