台北中山周辺

孤独を癒すクスリは「自分」である。

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孤独には二種類ある。
光の見えない孤独、そして光が見えている孤独。どちらがツラいのかといえば、光が見えている孤独の方だとわたしは思う。

第二次世界大戦時下にナチスドイツが作ったユダヤ人強制収容所では、クリスマスのあとに自暴自棄になる人が多かったと言われている。それはクリスマスに解放されるかもしれないと多くの人が希望を持ったからである。

掴めそうな光がある。けど掴めない。そのとき人はいらだちを感じ始める。そして、その状態が長く続くと人は孤独や絶望に苛まれる。

いつも、孤独と静寂はCombo(セット)で提供される。孤独と静寂のComboはうるさい。一人なのに、なぜか孤独と静寂は音を立てて忍び寄る。そしてまとわりつく。なんとも厄介なヤツらだ。ポール・サイモンはそれを“Sound of Silence”と表現し、MISIAは“沈黙のボリューム”と唄った。

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先日、わたしは台北にあるパワースポットを二カ所巡礼してきた。医学の神様を祀る大龍峒保安宮という寺廟では人目をはばからず、天と地をつないで場を浄化するという秘伝のワークを行ってきた。だからか、わたしの体は異様なほど調子がいいのだ。

しかし、気の流れが良くなると怖いことも起きてしまう。体が弛むと思考のよどみがスパッとなくなるようなトリップを起こしてしまう。そうなると、感情の波がドッと押し寄せてくるのである。腹を据えると言うように、へその下あたりの“下丹田”を鍛える必要性はそこにある。

帰国後も、わたしは夜の公園でひとり静寂に包まれながら秘伝のワークを行っている。それは孤独と静寂という厄介どもと対話するためである。一応、近所の人に怪しまれないように、鉄棒での懸垂も合間に入れている。

孤独はただただ孤独であり、静寂はひたすら静寂である。そこに、光など一切存在しない。けど、我々は無理矢理そこに光を見いだそうとする。そして、光はあるのだと自分に言い聞かせて、自分の心を強制的に希望へと押し込んでしまう。

孤独を癒す。そのためには、本物の光を見ることが大事だとわたしは思う。それは、太陽の光であり、人が放つ光である。人工的な光、主観的な光、お金が生み出すキラキラした光など一切我々を助けてはくれない。

幸福とは振動である。
繊細で美しくも儚い心と体の微細な振動だ。本物の光を見ることでその振動は生まれる。だから、もっと本物の光を見ようではないか。

そして、幸福の余韻に浸ろう。
余韻こそ、この世でいちばん非科学的だが、誰もが認める幸福のクスリである。

自分の足で、外に出よう。
自分の顔で、人と会おう。
そして、自分の目で、光を見よう。

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