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河口俊彦『大山康晴の晩節』

2021年11月12日、第34期竜王戦7番勝負第4局において藤井聡太三冠が豊島竜王を破り、竜王を奪取。史上最年少での四冠を達成しました。これにより現在8つあるタイトルの半分を独占。さらには現在行われている王将戦挑戦者決定戦リーグでもトップを走っており挑戦者になる可能性は高く、年明けには五冠王になっているかもしれません。竜王位獲得により、序列1位にもなったことで、いよいよ本格的な「藤井時代」が幕を開けたといっても過言ではないでしょう。

一方でかつて棋界を席巻していた、羽生九段を中心とした「羽生世代」の現状はどうでしょうか。羽生九段が七冠に輝いたのは1996年(平成8年)。以後、平成の将棋史はそのまま羽生時代であったといっていいほど棋界に君臨し続けていました。また彼を取り巻くライバル、羽生世代に先行して活躍していた谷川九段、森内九段、佐藤康光九段、郷田九段、藤井(猛)九段などのきらめく才能の持ち主達も活躍し、数多くの名勝負をファンに見せてくれました。

しかし、羽生世代で現在A級に在籍してるのは羽生九段と佐藤(康)九段のみ。タイトル戦の檜舞台に登場することもなくなりました。羽生世代より少し下になる木村九段が今年王座戦に挑戦するなど、まだまだ「終わった」とはいえませんが、時代の中心からは一歩退いたことは否定できません。個人的に羽生世代は私と同世代なので、タイトルでの活躍をもう一度見てみたいものですが…。

いかな才能の持主でも加齢による衰えからは避けられません。50歳周辺というのは一つの節目となる時期で、羽生九段の前に棋界に君臨していた中原誠十六世名人は53歳でA級陥落。その後病気のせいもあり、61歳で引退。「光速の寄せ」で知られ、羽生九段と何度も名勝負を重ねた谷川九段(十六世名人)はA級連続在籍32期に及んだものの、52歳で陥落し現在はB級2組。羽生九段より早く永世名人(十七世)となった森内九段は47歳でB級1組に降級がきまるとフリークラス宣言をして、順位戦からは降りた形になりました。
ちなみに「ひふみん」こと加藤一二三九段は降級と復帰を繰り返しながらも62歳までA級で指しており、非凡な才能の持主であったことを証明しています。

現在50歳を超えてA級に踏みとどまっている羽生九段と佐藤(康)九段はさすがですが、羽生九段は今季の順位戦の成績が悪く、今後の星取り次第では降級もあり得る事態となっています。先日の王将戦リーグでは藤井三冠(当時)と対局し、敗れはしたものの、将棋の内容はまだまだ羽生さんは強い!と思わせるものではありましたが…。今後、余程のことがない限りしばらく藤井四冠時代が続くと思いますが、月日は流れアラフィフとなったとき、彼はどんな将棋を指しているのか、気が早いと笑われそうですが、大いに気になっているのです。

それというのも、かように50歳周辺で成績を落とす棋士が大半の中で、全盛期を過ぎた50歳以降も勝ち星を積み重ね、癌に侵されたにもかかわらず63歳にはなんと名人挑戦者となり、69歳で逝去するまでA級に踏みとどまっていた「怪物」が将棋界にいたからで、その人こそ本書の主人公、大山康晴なのです。

本書を執筆したのは、自らもプロ棋士でありながら文才に恵まれ、『対局日誌』をはじめ多くの著書を残した河口俊彦。棋士として大きな実績を残すことはできませんでしたが、大山、升田から羽生、渡辺に至る数多くの名棋士を間近で見てきた河口の著作は棋士の息遣いや激闘の様子をつぶさに伝えており、将棋ファンにとってはたまらない読み物となっています。

その河口が実に20年の歳月をかけて執筆したのがこの『大山康晴の晩節』。大山の生涯全般に筆は及んでいますが、特に晩年の姿に力点が置かれているのは「偉大さは、全盛時より、棋力、体力の落ちた晩年の頑張りにあらわれていると思う」という考えによるものです。

河口の将棋観は一種の運命論と呼べるもので、名人になれるものはただ才能があるだけではだめで、天に愛され、時代の空気をつかまないといけず、そうしたこと全てを含んだ総合的な人間力がないといけないというもの。こうした視点から大山を中心とする棋士の人間群像が描かれていきます。

A級に残り続けるために、ライバルを打ち負かすために必要であれば盤外戦術も辞さなかった大山の姿勢は今なら賛より否定の声の方が大きくなるでしょうが、そうしたことがあった時代の優れたドキュメントとして本作は読むことができるし、清濁併せ持った人間、大山康晴の大きさを知るにはうってつけといえるでしょう。
タイトルの数だけでは計れない持続する大山の強さ、大きさに今後羽生九段は、藤井四冠は、どれだけ迫ることができるでしょうか。

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