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私は許可しない

 昨年10月に「戦争」と呼ばれる事態が起こってから、私はしばらくそれまで通りの生活を続けていました。「ガザはしょっちゅう紛争がある」「またか」という扱いを心のどこかでしていました。「イスラエルのために祈ろう」などと言い出すクリスチャン・シオニズムの影響を受けた人々とよく喧嘩してはいましたが、しかし決定的にこれまでと違う何かが起こったとは思っていませんでした。
 いや、確かに、今回も実は、これまでと何も違わない、これまでもずっとあったことなのでした。ただ、私が、これまでずっと現実を知らなかったのです。この虐殺があまりに長期に続くなかで、私は三つのこれまで知らなかった現実を直視せざるを得なくなりました。
 一つ目が、「この戦争が起こる前から、パレスチナ人はイスラエル国の占領体制の下で人権を剥奪され、戦争じゃなくとも簡単に拉致され、殺されながら過ごしている」ということです。
 実は10月7日以前だけで、しかも2023年に入ってからだけで、 200人以上のパレスチナ人がパレスチナ領内でイスラエルによって殺され、5000人が拉致されていました。何十年もパレスチナ人はイスラエルの不法な軍事占領の下でいじめられてきたのです。パレスチナ人は雨水を集めたり、自分たちの国旗を掲げるだけで捕まり、苛烈な拷問を受けるのです。 不法占領の下で民族自決権を侵害されているパレスチナ人には、実は「武装抵抗の権利」が国際法で認められています。それでも普段はパレスチナ人はイスラエル領を攻撃せずに耐えて生きています。ずっと、毎月のように殺されながらも、私たちの助けを待っているのです。私たちは前の大規模武力衝突から何年も、また完全にパレスチナ人を非人道的な監獄のような環境の中に置き去りにしたまま、無視し続けてきたのでした。
 二つ目が、「この事態は戦争と呼ぶにふさわしくなく、連続虐殺事件、集団殺害(ジェノサイド)と呼ぶのがふさわしい」ということです。
毎日ニュースを追う中で、イスラエルの擁護者が盛んに「これは戦争だから」と言っていました。最初はあまり疑問に思いませんでしたが、次第にこの意図、罠が分かり、恐ろしくなりました。私たちは、「戦争なら、民間人がたくさん巻き込まれて死んでもしょうがないことだ」と勘違いさせられているのです。これは国際人道法を無視した嘘です。
 これはイスラエル軍が毎日起こす地下鉄サリン事件、毎日起こす障碍者施設虐殺事件、毎日起こすパリ同時多発テロです。毎日起こすせいで感覚や常識が麻痺させられている。国連総長が「いま我々は人間性の危機にある」と言いました。本当にそうだと思います。今起こっていることは、しょうがないことではないです。天災でもないです。全て人為的に、意図的に、遂行されている殺戮と破壊なのです。イスラエルはこの間、イランやレバノンにいる要人をピンポイントで殺して見せました。それだけの精密な軍事的能力を持ちながら、ガザでは全ての建物と畑と人民、赤ちゃんたちを燃やし尽くしているのです。
 そして三つ目の、決定的に私を震撼させた現実は、「この殺戮と破壊は、国々が、企業が、教会が、そして人々が、その続行を許可し、むしろ積極的に支援しているからこそ、遂行可能なものになっている」ということです。
国連安保理が停戦決議を採択したのは、殺戮が始まって5ヶ月も経った後でした。何度も何度も議案が出されて審議されましたが、採択直前で拒否権行使の手が挙げられ続けたのです。何度もその大国が挙げる手に絶望しました。停戦命令を文言に入れると拒否される。「殺戮を止めるな、続行せよ」という暗黙の宣言が5ヶ月もの間なされ続けました。 その間、イスラエルの戦争犯罪は毎週新しい段階へとエスカレートしていきました。これが意味するところは何でしょう?イスラエル国は、私たちの反応を伺っていたのです。ある犯罪を見ても、イスラエルを止めようとする声や力が弱いのを見てとって、次の犯罪を始める。毎日イスラエルは殺人しながら私たちに目配せしていました。でもキリスト教社会も日本人もその目配せに無言で頷き返し続けました。「私たちはあなたを裁かない。止めない。続行せよ。」と。イスラエル国の正当化と、軍事・経済協力をやめなかったのです。イスラエルはありとあらゆる国際法と国際人道法をこの10ヶ月間で破りました。もう怖いものがないのです。
 これらの現実に直面し、私は毎日気が狂いそうでした。イスラエル国が、私たちを見ている。パレスチナの人々が、私たちを見ている。毎日順番に、私たちの許可のもとで殺されていく人々が、私を見ている。「私たち」はその視線を感じながら、お仕事している。友だちとご飯を食べている。天気の話をしている。聖書や愛の話をしている。恋の話をしている。人生論を話している。将来のことを話している。性格診断のことを話している。オリンピックのことを話している。こんなの全てが許せないです。
 そしてこの許せないあり様は、昨年10月以前の私についても当てはまるのです。それまでもずっと、何十年もパレスチナ人は監獄のような環境で生活させられていたのです。毎月のように殺されてきたのです。イスラエル人が殺されたから私たちのところにニュースが来たのです。パレスチナ人は殺されてもほとんど無視されるのです。パレスチナ人を占領体制の下に置き去りにして、キリスト教社会と日本国がイスラエル国の占領体制を論理的・軍事的・経済的に支えている現状を変えようとせずに、私はお仕事をし、友だちとご飯を食べ、教会でお祈りし、命に関わらないくだらない話や自分の実存的なお悩みとだけ向き合っていたのです。
 もう二度とその全く同じ日常に戻ることはできないです。戻ってはいけないと思います。先進国の偽りの平和の中を、ただ平和に生きるのは、それ自体が罪だと思いました。私はオリンピックや天気のことではなく、パレスチナについて話し続けます。
 この虐殺と、虐殺を許可する世界を目撃した私たちの世代で、今度こそ、パレスチナ解放を。


Marcus Æmilius Paullus Pelagius
プロテスタントからカトリックに改宗したクリスチャンです。ITエンジニアです。親しみのある分野は宗教哲学全般・古典言語・キリスト教史・オリエント史・東アジア史・経済史学・実定法学・遺伝学・系統学・生理学・量子力学・宇宙物理/天文学(←専攻)・数学全般などです。共同体形成・拡大家族・LGBTQ+社会と既存社会の協働にも関心があります。キリスト者として、十字軍史の続きに立ち会ってしまったという感覚を強く持っています。キリスト教社会が生み出してきた多くの虚偽を解体することで、イスラエル国の占領体制を保護する神話を解体するというのは一つの自分に適した目標だと思っています。私たちのせいでパレスチナの人々が課されてきた命と自由を奪う不断の暴力を終わらせるために、道を探し続け、動き続けたいです。



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