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”邦画つまらない論争”と海外監督が映す日本

Twitterなどのネット上では、
「最近の邦画がつまらない。」「いや、そんなことない。」
と言った論争が時折繰り広げられる。

今回は、そんな論争について上から目線で考えてみます。
と安全圏から野次を飛ばしたいとこですが、それだと少し卑怯なので最初に私の意見も述べておきます。

私は、最近の邦画はほぼ見ていません。そのため、つまらないかどうかすら、わからないという現状です。
そんな奴が、こんな偉そうな記事を書くのはいかがなものかと思うかもしれませんが、どうも、私いかがなものです。
しかしながら、紐解いてみると、「見ない」ということは、面白そうだとは思わない、と考えることもできます。
実際、私自身も全く邦画を気にしていないかと言われればそうでもなく、YouTubeやSNSで話題になっている作品の予告編を見ることもあります。
そのため、予告編を見た上で作品鑑賞に踏み込めていないのは、魅力を感じないからということで、”最近の邦画つまらない論争”における私の立場は、つまらない派と表明しておきます。

ただ、邦画アンチというわけではないので、客観的につまらないと言われる所以と主観的な意見を述べ、考察するというのが本稿のテーマです。
そして、後半は『TOKYO!』を取り上げ、外国人が描く日本を参考に邦画と異なる点を見ていきます。

さあ、血みどろの争いの淵に立ったとこで、いざ渦中へ!

邦画つまらない論争の現状

めんどくさいので邦画と述べますが、本稿の「つまらない」の対象は”最近の邦画"です。2010〜2022年辺りですかね。そのため、それ以前の邦画は対象ではないのでご理解ください。

まず「つまらない」という 価値観はだいぶ大雑把なものです。
ここでは、コンテンツに対しての無力的ネガティブイメージと解釈しておきます。

それでは、Twitterから邦画つまらない関連のツイートを集めていきます。


上のツイートは邦画がつまらないのは理由があるという客観的意見。
下のツイートは、つまらないものはつまらないという主観的なイメージ。

上の方は、直接つまらないと言っているわけではないのですが、興味深いので取り上げました。
確かに、日本の低予算映画はあまり見ない気がします。少なくとも、低予算で人気が出たものは上田慎一郎監督の『カメラを止めるな!』以外にパッと出てくるものはありません。
そう考えると日本は、他国に比べるとインディー映画の盛り上がりはあまりないのではと感じます。
それゆえ、低予算の中でやりくりするという独創性が問われる作品があまり作られず、今まで通りの安泰な映画が王道を走るという邦画の画一さに繋がるのかもしれません。

下の方は、素直な感想だと思います。理論的に考えようがなかろうが、つまらないものはつまらないということ。

では、逆にそんなことない派の意見も見てみましょう。


まず上の方の意見。
現時点でいいねが13万以上ついており、端的な正論といった感じに見えます。
確かにその通りでもあると思う一方、逆に「海を越える邦画も洋画の名作と比べるとつまらない。」「海を越える邦画はほとんどない。」という捻くれた見方をすることができます。
これは、「つまらない」という価値観が相対的なものであるため、何と比較するかで変わってきます。対象を世界基準で見ると、世界で絶大的な支持を持つレベルには到達するものがないと見ることもできます。

下の方の意見は、、、
そうですよねえ。
本当に邦画つまらないとか言ってる人センスないですよねえ。。。

すみません。
私が棺桶まで隠し通そうとしていたセンスのなさがバレてしまいました、反省の意と少しの皮肉を込め、今年の邦画はどうやら面白いらしいので、予告編だけでもちょっとみてきます。

予告編で考える2022邦画

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ホラーがいいなあ。おすすめホラーは。

そこで目についたのは『リング』『仄暗い水の底から』で有名な中田秀夫監督の作品。タイトルは『”それ”がいる森』。
2022 9 30 公開のため、予告編マニアの私には丁度いい。
面白い映画は予告編だけでも面白いですからね。

み、短い。。んー、、、わからない。
30秒の映像で、「森のくまさん」で有名なアメリカ民謡が流れ、平和な雰囲気。
それが少年の「俺はクマなんかじゃない!」という一言で、不穏な雰囲気になる。
安堵から不安というのはホラーのお決まりのパターンですが、予告編として構成が似ている作品があります。

【ストーリー】
田舎町でひとり農家を営む田中淳一(相葉雅紀)は、元妻・爽子(江口のりこ)と東京で暮らす小学生の息子の一也(上原剣心)が、突然ひとりで訪ねて来たのをきっかけに、しばらく一緒に暮らすことになる。ちょうどその頃から、近くの森では不可解な怪奇現象が立て続けに発生し、淳一が住む町でも、住民の不審死や失踪事件が相次いでいた──。そんな矢先、淳一と一也も偶然得体の知れない“それ”を目撃してしまう。
「 “それ”の正体とはいったい――!?」
淳一は一也の担任の絵里(松本穂香)とともに、怪奇現象に巻き込まれていくが、それは未知なる恐怖の始まりにすぎなかった──。
松竹チャンネル/SHOCHIKUch

これだ。
ジョーダン・ピール監督『NOPE』こちらもまだ公開されておらず、日本での公開は2022 8 26。
『”それ”がいる森』の予告編で強調しているのは、平和な日常を侵害するものがあり、その正体がであることだと感じます。
一方、こちらの予告編も、迫り来る「何か」を強調しています。

私は、『仄暗い水の底』が好きです。
相葉くんも嵐の中なら好きです。

ただ、予告編を見ただけの段階ですが、
『”それ”がいる森』は『NOPE』の下位互換に感じてしまいました。

「いや、規模感が違うからしゃーない。」
と自分を宥めている時、恐ろしいことに気づきました。

「邦画 ホラー ランキング」
と検索すると、大体1位が『リング』2位か3位に『仄暗い水の底から』という順位。
ということは
中田秀夫は邦画ホラーの巨匠になります。(本人はホラー指向ではないらしいですが)
その巨匠の作品が予告編とは言え、下位互換に感じてしまう。
つまり、それほど邦画は規模にもアイディアにも費用、労力を詰め込めなくなっているのでは?ということ。

こちらは、『リング』の名シーンです。
オマージュとして数々のメディアで使い回されているため、衝撃は少ないかもしれませんが、心を無にしてみると、やはりこの演出は凄いですよね。
鈴木光司さんの原作では、このシーンないんですよ。
『”それ”がいる森』でもコレに匹敵するような、演出へのこだわりを期待したいですね。

まあ、30秒の予告編なので、本編に期待しましょう。

そして、もう一つ気になる作品がありました。
こちらも、『リング』繋がりで、『リング』の脚本を担当した高橋洋監督の作品。
ちなみに、先ほどの貞子がテレビから這い出る描写も彼が発案したものです。
『ザ・ミソジニー』2022 9 9 公開

『ザ・ミソジニー』とシンプルだが含みのあるタイトル。
予告編からは、90〜00年代のJホラーを継承したような雰囲気が伝わります。
こちらも謎が描かれているかと思いますが、見せ方が上手いですよね。
物語調なドタバタした演出ではなく、終始静かな不穏さがあり、階段を登る音だけが近づいてくる。
最初、螺旋階段を何かが上がってくる、次のシーンで奥の階段から誰かが降りてくる。
洋画のような規模感はないが、それを逆手に取った狭く薄暗い雰囲気。

これは”最近の邦画つまらない派”に足を突っ込んでいる私も”そんなことない派”に寝返るかもしれません。

つまらない映画とは?

とりあえず、邦画つまらないかどうかは置いといて、どのような映画がつまらないのかつまらないの実体について考察します。
映画会社の費用がどうとか興行収入がどうとか、背景的な部分はここでは考えません。
そのため、私の主観に基づいていることをご理解ください。

つまらない映画の3つの特徴を提示してみます。
1つ目作り物感が漂う映画です。
ここで言う、作り物は物質的な意味というより、映し方という点。
邦画に関して言えば、私が日本人だから、余計に演技やセリフがフィクションに感じてしまうのかもしれません。
しかし、私が好きな監督、故黒澤明の作品は、ほとんど舞台が日本であり、子役の演技が微妙だったりするのですが、なぜかスッと入ってくる。
それは、映像の中で俳優の顔を映す割合が関係しているのだと感じます。
私たちの日常で、視界に感情的なセリフを吐く人の顔が占める割合は少ないですよね。何かしらの動作を行なっている人の横姿を見たり、風景、道路を走る車、信号機、スマホ、パソコン。
そのため、迫真の顔でセリフを吐くと言う映像は、映画、ドラマという認識で記憶され、現実ではないものとしてフィクション性を強めます。
そう考えると、リアルな映画と名演技は全くの別物で、名演技は現実から寸断されたフィクションの中で輝くものだと捉えることができます。
そして、それ以外にも細かい演出が目につくことがあります。
例えば、
これは、『死刑にいたる病』という映画の予告編ですが

殺人鬼の犠牲者の写真。
全員顔が対称的かつスレンダー。
アイドルのオーディションに来た24人なら納得がいきますが、実際の事件でこうはなりませんよね。
顔が対称的でないと役者になれないのか、わかりませんが私の場合、そこら辺のリアリティの欠如が「見なくてもいいかな。」に繋がってしまいます。
実際に見ていないので、本編は面白いのかもしれませんが。

ふと思ったのですが、キューブリック監督『シャイニング』のジャックニコルソンやグランドセフトオート5(ゲーム)のトレバーのような狂ったおっさんのキャラクター像って日本にはないですよね。
強いて言えば、黒澤明監督『羅生門』『七人の侍』の三船敏郎が近いかな?
ちょっと違うか。

そして、私がつまらないと思う映画の特徴その2
セリフで語るキャラクター性。
「セリフが多い」というのは映画なんだから映像で伝えてくれよってことです。
下手にしゃべってばっかだと出来の悪いヒューマンドラマが完成します。
特定の場所に貼り付けられた俳優が、セリフを言っているだけ。
に見えてしまう。
要は、縦(時間)を感じないということです。
即席に用意されたキャラクターを俳優が舞台で演じているように見える。
実際、そうなんですが、私が思う良い映画に出てくる登場人物はそれ以前以後の存在を感じさせます。
または、それ以前以後の存在を全く感じさせない自然さ、
夢を見るときがそうでしょう。夢の世界はいくらメチャクチャでもそれを疑うことはしませんよね。
これは邦画に多いですが、
キャラクターの作り込みとして、
他のキャラが
「〇〇にはこういう過去があって、、、」
と言ったり、
回想シーンがありますが、非常にチープに感じてしまいます。

これは私が大好きな作品、キューブリック監督『時計じかけのオレンジ』のオープニングです。

これは、ボランティアメンバーの4人が街を豊かにする過程を描いた映画なのですが、このカットは彼らがゴミを拾いに行く前夜祭の場面です。(大嘘)
要は、ボランティアするような奴らには全く見えないということです。
これが、セリフではなく、映像でキャラクター性を伝えることだと思います。

こちらはトッド・フィリップス監督『Joker』
ネタバレになるため、まだ見てない方は目を細め読み飛ばしてください。

マレーを殺す場面です。
注目してほしいのは、撃った後のジョーカー。
一瞬、口を開け焦った顔をして、すぐ前を見て平静を装おうとします。
しかし、その顔は奥歯を噛み締めたような笑顔で、その後も、貧乏ゆすりに顔を細く揺らすなど、かなり動揺していることがわかります。

わずか10秒ほどですが、彼のキャラクター像が滲みでています。
自分的には、そもそもよくこんなはっきりしないキャラクターを表現できるなあとホアキン・フェニックスには驚きます。
そして、「はっきりしないキャラクター」というのは、私がつまらないと思う映画の特徴その3につながります。

その3
テーマの画一性。
私は、予告編で猟奇的殺人とか衝撃の結末とか聞いた瞬間。
「どうせぇサイコパスがサイコパスなことするんだろ!
ほんでもってぇ、そのサイコパスが案外身近な人だったりするんだろぉ!
もおおおいいよぉおその展開!」
と思う方がいることを知っています。スッ

邦画がつまらない理由として、日本は平和で描くものがないからという意見がありますが、
それゆえ、サイコパスというキャラクターは便利なもので、状況によって変化することなく、観客に非日常感を与えてくれるんですよね。
しかし、日本はサイコパス、知能犯映画をやりすぎているため、サイコパスのフィクション性が飽和状態なんですよ!
もちろん、私も最初はサイコパスというキャラクターが新鮮に感じました。
中学時代、英語の授業中、貴志祐介の『悪の教典』を貪り読み、教科書のジムという留学生キャラにいくつもの銃槍を作り、先生にバレ、それ以降、悪の教典というあだ名で呼ばれるようになったのはいい思い出です。

そこで、先ほどの「はっきりしないキャラクター」に戻ると、
Jokerことアーサーフレックは、精神的な病を抱えていますが、会話はほどほどにでき、ほどほどに日常生活を送れています。
しかし、笑わなくていいとこで笑ってしまうなど部分的な変質性(わかりやすくするためこう表現します)を持ち、ざっくりと表せるようなキャラクターではないことがわかると思います。
これを自分は、全体的キャラクター性と部分的キャラクター性と読んでいるのですが、前者はサイコパス、狂人、僧侶など、方向性が提示されている人間像
後者は、アーサーフレックのような歪みのあるリアルな人間像
前者が作り物に感じ、後者が自然に感じるのはいうまでもないですよね。
(*追記 ごめんなさい、その2のキャラクター性で良かったですねこれ。)

そして、「日本は平和で描くものがない」というとこに戻ると、全くそんなことはないです。
むしろ、妖怪や都市伝説、怪談、祭り、カワイイ文化、
などサブカルチャーが高度に発展している国だと思います。
なんなら、「平和でつまらない」という点を逆手に取り、
同調圧力などの恐怖をテーマにすることもできると思います。

いずれにせよ、テーマがなんであろうと使い古され新鮮さが欠けると俳優の演技を見るコンテンツと化してしまいます。
私は、俳優や女優にあまり興味がないためそういう類は面白いと感じませんが、勿論好きな方もいるため映画ではなくドラマなどでそこら辺に力を入れて欲しいですね。

外国人が見た日本

熱が入ってきたとこですが、
ここでは少し違う視点で邦画を見てみます。

先ほども書きましたが、邦画がつまらない理由として舞台が自分達の住んでいる日本だから余計に嘘くさく感じるとも考えられます。

そこで、面白い作品があるのですが、それは3人の外国人監督がそれぞれ日本を舞台に、そして日本人を使った短編をまとめた映画、その名も『TOKYO!』。
要は、舞台が日本だからというより、日本の監督or会社だから、つまらないのでは?ということです。

ミシェル・ゴンドリー監督『インテリア・デザイン』
レオス・カラックス監督『メルド』
ポン・ジュノ監督『シェイキング東京』

私は、本編も見たことがありますが、予告編だけでも、新鮮さが伝わると思います。(アマプラで観れると思います。)

最初の話、『インテリア・デザイン』
予告編のセリフを抜き出します。
「私の方はというと、ビルの隙間で幽霊達と暮らしています。」
女性「…会社が大きいほど部屋がちっちゃくなっちゃうんだよね。」
男性「だったらもっと小さい会社に行けばいいのに。」
こういった一見、意味のなさそうな会話ってあまり邦画ではみない気がします。
監督のミシェル・ゴンドリーはフランスの方なので、ヌーヴェル・ヴァーグ的な自然主義の影響を強く受けているかと思うのですが、日本が舞台だと新鮮ですね。
仄かな暖かさや冷たさ、淡々としながら辛辣なタッチ。
思い当たるのはエリック・ロメールあたりですかね。
変わった建物(中銀カプセルタワービル2022 4月 解体)や大量の車など迷宮的な描き方もされています。

『メルド』

これもフランス人の監督、レオス・カラックスのよる作品。
開幕、いきなりの「糞」という文字。(メルドは日本語で「クソ」)
そして俯瞰視点からマンホールにカメラがズームし、異様な格好の男が這い出て、街で悪さをするのですが、
この、町で暴れるシーンは直接被害を被る人以外、エキストラではないですね笑
その点これも先ほどと同じ自然主義的な撮り方がされていることがわかります。
しかし、異なる点は大分攻めているということ。
それは観ていただければ分かると思いますが、邦画ではタブーのようなことが普通にされます。
ex  麻原彰晃の映像、人種差別。
個人的にこの作品は日本に対し評価的側面で肯定も否定も許さない突き放したものを感じました。
それゆえ、「オレを越えてみろ!」的な邦画への挑戦とも取れるのではないかと思いました。
本稿では触れませんが、『メルド』はもっと掘りがいのある映画だと思うので、別の機会にこの作品について詳しく分析しようかと思います。

『シェイキング東京』
ポン・ジュノは韓国の監督です。
『パラサイト』の監督といえば分かるでしょう。
冒頭の独白で語る様は小説的で、香川照之の声も相まって引き込まれます。
邦画というか、『世にも奇妙な物語』のような短編をガチでやったような感じです。
邦画とは違う点は、狙い過ぎないとこですかね。
直接的なセリフによるものではなく、状況が生み出すコミカルさや、シリアスさ。
ただ、上の2作品と比べるとだいぶ邦画的で感情的な起伏が垣間見えるかと思います。
韓国など割と文化や思想が近い国との創作で生まれる差異がどこにあるのか考えてみるのも面白そうです。

「日本の監督or会社だから、つまらないのでは?」
という点に戻ります。
つまらないというより日本×日本ではなく、日本×海外なので見慣れたものよりは新鮮さがあると感じました。
それは、録音方法だったり、カットなど編集であったり。
ヌーヴェルヴァーグ色の強いフランス監督作品は、移動シーンをワンカットで撮る、照明を派手に使わないためコントラストがあまりない、影のある映像などがリアルな雰囲気を生んでますね。
要は、作り込み過ぎないことだと思いますが、そういったリアル感は邦画にはないような気がします。

最後に

最初にも書いた通り、今まで、最近の邦画を見ようとは思ってなかったのですが、今回記事を書くためにざっくりと予告編を見て、面白そうな作品もある、と感じました。
それは、今までもそうだったが見過ごしていたのか、今年の邦画は豊作なのかわかりませんが、たまには邦画をチェックするのも良いですね。(上から目線ですみません)
邦画つまらない論争、血が流れないなら議論、対立があることはいいことだと思います。
それでは最後にコンプラに悪態をついて〆ようと思います。

近頃
「こういうことは言ってはいけない!」
「こういうことを言う人とは関わるな!」
のようなコンプラが強調される傾向にありますが、
それは個人が持つ倫理観であって、他人と共有するために提示されるべきものではないと思います。
そのため、「つまらないと言ってはいけない!」
的な意見を目にすると個人的に
「正気か?」
と思ってしまいます。

作品は評価を前提としたものであり、理にかなわない誹謗中傷や集団で嫌がらせ、生命、身体に害を加えると脅す、などをしない限り、思ったこと、好きなことを言うべき、少なくとも言う権利があります。
しかし、謙虚さが裏目に出てるのかはわかりませんが、過剰なアーティスト崇拝でコメントは肯定的なものばかりになると、
肯定的な意見が当たり前となり、わずかにある低い評価がエラーとして認識され、悪いイメージとして強調されます。
そのため、低い評価は見たくない現象が発生し、何が良く何が悪いかすらわからない平和的、価値観の同一性につながるのではないかと思います。

もし、映画に対し、「つまらない!」と言って、「事実ではない。名誉毀損だ!」とかなったら世も末ですよね。
何でもかんでも「いいね!」と言ってると、制作側も観客側も「何がいいのかわからないけど、みんなが言ってるから、この作品は良いんだな。」という最悪の沼にハマることになります。
というかもう若干はまりっている部分もあるかもしれません。

勿論、「肯定的な意見をするな!」とは1mmも思いませんが、誰かが既に言っている、もしくは決まり文句的なものは1人が言えば十分なので、
既に「めちゃくちゃ面白かったです!」と言う意見があるなら、同じことを言わずに自分なりの意見を考えてみるのも良いんではないかと思います。

最後に愚痴をかましましたが、私の記事では思ったことは正直に言うことを心がけているので、ご理解ください。

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